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    「姿 勢」

                         佐 藤 悟 郎

  

 私は、怪我をして一か月以上休養している。考えるなと言われても、あれこれと考えることが多い。今まで生きてきたことに、深い屈辱感を感じている。真正面から自分を見つめることを、絶えず避けてきたのではないか。そんな気がしてならない。自分の姿を見つめると、生きる価値がないほど、屈辱感に覆われている。その屈辱感を消し去る機会もない現実の世界がある。

 

 私は、何も根拠もない自尊心を抱きながら生きてきた。知識や能力がないのに、備わっているように装うこと、馬鹿な姿が見える。最近、自分が何を考え、何をすればよいのか分からなくなってきた。

 

 今まで、思ったこと、行ってきたこと、人に接してきたこと、学んできたこと、そこに絶えず妄想や偽りがあった。何事にも、真剣に取り組んでいない。根も葉もない自分を鏡として、物事を対処してきたのでないだろうか。過去と未来の亡霊に憑かれ、生活していると見なければならない。過去の私は、一体何者だったのだろうか。過去と現在の姿勢、その相反する思いが、私を捉えて離さない。

 

 過去に思った自分の姿は、世界に君臨する知識人、科学者という夢を持つ前途有望な姿だった。そのための実質や才能を持っていると思った。未来は、世界一流の文学者である。現在は、社会に埋没した存在である。問題は、現在の事実を認めない姿勢である。

 

 自分だけを信じて生きていくことは、恐ろしいことである。未来を納得させて生きることは、尚更に恐ろしいことである。未来は儚い夢であるのに。私は、読んだ本の知識、自分勝手な考えや文章を、自惚れの道具としていた。決して開くことない自分の心で、自分を作ってきて、現在の自分の姿となっている。自分の考えること、言葉、行動することを絶対的な物と信じて生きていくほかなかった。

 

 今まで生きてきたことを、全て認めよう。そして忘れ去ろう。今の立場と現実の中で生きていこうと思う。私の望みは、現実の中で見出すしかない。それ以外に、私の道はないのだと思う。自分の考えた固定観念、全て捨てようと思う。過去も希望も全て受け入れ、そして忘れ去ろうと思う。私に残っているのは、現実の世界だけである。現実を如何に生きるか、私の最大の問題である。

 

 「屈辱」という言葉、忘れることができないかも知れない。過去の多くの事実を思い出すかも知れない。

「私は、そのようなことに関係ありません。」

「私は、今日の朝生まれたんです。そして、今夜寝る時、死んでしまうのです。」

私は、その日一日のために生きていく。この考えが、私の全てであると決心した。

「私にとって、重要な時間を過ごさなければなりません。」

重要な人と話をし、重要な本を読んで、一日一日を過ごさなければなりません。

行動を規定することは、多くの愚かなことを要求することになる。そのような悪魔との契約書は書かないこととした。私には、良心があるからだ。