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          「小説の構成…実習方策」

 

                佐 藤 悟 郎

 

 

 小説を書かなければならないと焦って筆を執った。中々書けるものではない。しかし私は、そんな我が儘は言っていられない。早く多くのものを書き上げるために、その方策を研究しなければならない。これから書くことは、単に作品を書くための方策にしか過ぎない。それも当面のことであって、書く題材等がなくなった場合に役立つものと思う。

 

 第一に行う作業は、小説全体の主題を作ることである。

 これには、深い意味のものから軽いものまで色々とある。例えば「悲しみ」を主題とする場合や「社会制度への不満」を主題とする場合など、色々とある。その主題に合わせ、筋立てを行う。集中的かつ徹底的にそれを研究していく必要がある。

 主題を作るのに、具体的な方が的を絞りやすい。例えば「悲しみ」の中にも「少女が失恋した悲しみ」という風に具体的に主題をとれば、作品を創作する上で数倍も容易になる。

 

 第二に行う作業は、主題に沿った筋の組み立てを行うことである。

 最初の段階で、はっきりした筋構成をとることは困難である。漠然とした主題に沿った筋の方向付けをすること。例えば

「少女は、ある少年に恋心を抱いた。それがある時の少年の態度を見て、嫌われたと思った。少女は深い悲しみに襲われた。少女は、悲しみを乗り越えることができず、静かに死んでいった。」

と言うことになる。これらの作業は、他の資料や新聞、小話からも拾うことができる。

 

 第三に行う作業は、主体の性格、環境、精神、人生等の肉付けを行い、主題の中心的な意味付けを行うことである。

 小説は、登場する人物の行動によって進行する。特に、主体となる人物に対し或る程度纏まった物を与え、物語から遊離したものとならないように注意する。例えば前の例で、少女と少年に対する性格付けなどが必要である。

「少女の家庭は、平凡な良識ある中流の家庭で、少女は一人娘である。学校の成績は中程度で、目立たない存在である。少し痩せ気味の容姿で、顔立ちは良いが積極性に欠ける。」

「少年の家庭は、父が会社役員で裕福であり、少年は次男坊である。考え方は健康的で、少し粗野な面が見受けられるが、学校の成績は上位にある。」

このような人物構成をする。その他の登場人物は、付随的に必要な人物を引っ張り出せばよい。

 主体の性格付け等を行うと同時に、主題に沿った意味付けをしなければならない。例にとってみると

「少女の深い悲しみとは何なのか。そしてどのような悲しみなのか。」

主題に対する具体的な意味付けをしなければならない。この作業は、重要であり、いい加減な作業をすると物語は主題と全然別な方向に向いてしまう。主題を放棄した方がよいような状況も出てくる。主題から外れたら何の意味もなくなることを心によく留めておかなければならない。

 例によって試みるならば

「少女の悲しみというのは、少年が少女を馬鹿な女だから嫌いだ、と言ったのを誰かから聞いて知ったからだった。少女は成績を上げるために一生懸命に勉強したが、彼のような成績を取ることはできなかった。ただ彼に好かれるために勉強して、体と心を壊してしまった。勉強することが、恰も自殺行為のように。」

という風に留め置いておけばよい。

 

 第四に行う作業は、必要明確な場面の設定と筋の配置である。

 この作業は困難を伴うが、これをしなければ作品は屑となって、屑籠に捨てられるだろう。必要明確な場面とは、作品の中で最低限必要な場面を指すのである。例えば先の例で「失恋の場面」「悲しみの場面」「死の場面」は、どうしても必要である。これに更に加えるとするならば、「恋心を抱いた場面」が必要となってくる。

 問題は、これらを具体的にしておくことである。場所、時期、内容を明らかにしておかなければならない。知らない場所などは、研究する必要がある。もう一つ問題となるのは、必要最小限で小説を構成するのかということである。

 

 第五に行う作業は、最も厄介な作業で、付随場面の設定配置と作品の表現方法である。

 小説は論文ではない。物語としての楽しさがなければならない。読者の心理を掴んでいくのはこの作業である。また、作品の露骨な意図を平滑にして抵抗感のないものにしていくのもこの作業である。

 付随的な場面と言っても、そう容易に書けるものではない。想像することすら困難な場合が多い。自ずと自分の経験上の場面を取り入れてしまう。そのような場面は、直ぐに使い果たしてなくなってしまう。多くは、その辺を歩き回って捜してこなければならない。小説家たる者は、常に見るもの、聞くものに注意を注ぎ、観察し、理解しなければならない。書くことの手詰まりは、大部分この辺に原因がある。

 では、どの部分に付随的な場面を設けるのか。作品の自然な流れを見て、必要な場面を挿入し、全体の均衡を調整することである。付随的場面を必要以上挿入すると、読んでいても偏ったものとなってしまう。先の例で「少女の恋心」「失恋の場面」「悲しみの場面」「死の場面」を筋の構成としたとする。「恋心を抱きました。その次ぎに失恋しました。」となると実に味気がない。この二つの間には、当然、場所を変え、品を変えなければならない。少女の恋の程度、恋心を抱いている状況、家庭内での状況などを書いて挿入することが要求される。

 このように付随的場面を設定すると、次ぎに「失恋の場面」と「悲しみの場面」の間の付随的場面が必要となる。これは前の付随的場面と釣り合った程度のものが必要となってくる。付随的場面は、主題に左右されないが、必要場面に派生するものである。この作業の時は、私は場面を捜しに出かけなければならない。

 作業的な量は、物語の表現方法によって違いがあるが、表現方法を考慮しながら決めなければならない。表現方法とは、誰が物語を語っているのかによって決まる。先の例で言えば、作者が語るのか、少女か、少年か、家の者か、先生か、第三者かと言うことである。逆説的に語るのか、演繹的に語るのかも考えなければならない。

 

第六に行う作業は、全体の見直しと副題の挿入、一気呵成の草稿の作成である。

全体を見て小説としてどうか。社会的、世界的風潮、例えば教育の問題を入れて、読んで面白いものになるかどうか。まさに自己による価値判断である。ものにならないような作品を書いても意味がないからである。価値判断をした上、後は草稿の書き下ろしである。草稿は、作品の統一性を考えると、突貫的に書き上げてしまう必要がある。

 

以上述べてきたように、当面このような実習方策によって小説を書いていくようになると思う。特にこれらの方策を活用するならば、短編小説にも応用ができると思う。この他にも、作品を創作する方法は知っている。偶発的な作品とならないために、このような方策を採るこことする。作品の長さについては、筋場面に枚数を乗せれば、全体の長さがでてくると思う。