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    「思考のための普遍性」

 

      佐 藤 悟 郎

 

 

 人間の思考は、強い指向性を示す場合がある。その思考が人間の生涯に及ぶ場合もある。それは主義、主張、人生観に見出される。このように思考を持った人間は、その思考を礎として、人生観を作り上げていく。別に問題がある訳でなく、ある意味で人間として正しいことだと思っている。

 

 執筆者として、固定した思考が必要かという問題がある。文学においても究極において、文学者の思考が表現される。このことに反対するつもりはないが、文学者としての思考態度が暴露されることに不安を覚える。

 

 相対的な思考研究が進んでいる今日、文学を通してその文学者が特定の思考傾向があるとして捉えるだろう。これは仕方のない問題である。このように煩く言うのは文芸評論家と称する輩の「戯言」と思っておればよい。

 

 思考とは、一つの思考について一つの思考を持っておれば十分である。数学的な見方で思考することに問題がある。思考と思考の間には無数の線があることを知らなければならない。「幸福」という事実は確定的なものでない。上下左右と色々な見方があり、相反する思考が渦巻くものである。

 

 創作に必要な思考とは、対象とする作品に対してのみである。他の作品に対しては、同じような思考は必要でなく、そうあってはならない。全てが同じ思考であれば、作品の形や物事が変わっていても、結局合同あるいは相似的な作品となってしまうからである。

 

 作品に必要な思考は、作品ごとに異なる思考がなければならない。数多くの作品に同じ思考を入れたところで無意味である。それならば一つの作品だけでよく、その作品の中に人生観、思想、哲学を示せばよいことである。

 

 創作の生命は、思考にあると言っても満更外れていないと思う。全体として何を表現するかである。文学者の思考の在り方は、各々の作品の間に思考的な関連がないことが望ましい。少なくとも私は忘れないようにしたい。