「中編小説の創作」

 

                                                 佐 藤 悟 郎

 私の現在の立場では、かなりの長文に及ぶ小説の創作は困難である。その原因は、主に時間が不連続であること、それに生活が執筆活動というものに継続した行動がないということである。

 このことは、作文力の後退、精神的・意志的な壊滅、最も重大なことは、思考の中断があることだ。長い文章を書くことが恐ろしくなることがある。そこに自分の思考の分裂が見えるからだ。能力がないと言ってしまえば、それまであるが。

 当面、小説の創作の中心は、中編小説が主となるように活動しなければならない。迅速な完成を試みなければならない。重圧感があるが、とにかく急がなければならない。私は、そのような人間なのだから。

 中編小説とは、どの程度の物かと考えるに、今迄の作家を参考とすると、単行本頁数にして四十ページから百ページである。原稿用紙にして、八十枚から二百枚ということになる。

 その内容とすべき要素云々については、考える必要はない。最初から良い物ができるということも考える必要もない。とにかく原稿用紙に、それだけの文章を埋めることを最初に考えなければならない。

 しかし、字句を埋めるにせよ、小説というからには、最低限度必要なことがある。一つに、筋構成が整っていること。二つに、文章表現に歪みがないことである。特に、私の執筆活動上困難なのは、これらを保持しながら作品の中に間隙を作らないことである。

 正直な話であるが、私が何を書こうとしていたのか、忘れてしまうことがある。そのため、作品が未完成どころか、屑籠の中に捨てるように片付けなければならない。また、漠然とした考えで執筆することがある。結果は、行き着くところがなくなる。当たり前のことである。

 この問題を如何にして処理していくか考えなければならない。時間的な配分も、かなり重要なことである。より多く、より執筆活動に没頭できる方法をとることが重要である。それについては、別に考えることとする。

 中編小説の実作ということについて、現在必要な考え方は、作品の草稿に対する考え方である。間隙の困難を埋めるには、草稿段階を重視しなければならない。草稿として、私に要求されるのは、作品の完成を完遂させうる草稿の作成である。前にも述べた必要な事項、筋構成及び文章表現が整えてある作品であることが必要である。これが整っていない作品は、草稿として採用してはならない。活動を阻害するものになるのは明らかである。

 草稿は、漠然たる物であってはならない。明確な草稿、それも集中的に築き上げなければならない。全てを早く、時間を無駄にしないように、作品を完成させるためである。中編小説の完成は、急を要する仕事である。主題となるべき思想は、当分の間、借り物でも良いと思う。