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「小説と異常現象」

 

            佐 藤 悟 郎

 

 

 小説は、異常現象を対象として語られることが多い。主題にせよ、内容全体、場所において異常現象を含んでいる。そして、その中に何かを見い出して語られていく。

 

 私は、小説が異常現象を対象とし、またそれを求めて書かれていることに、長い間反発を感じていた。そこに小説や文学全般を求めるとするなら、狂気の文学世界が造られていくからである。

 

 社会の特異な現象、特異な事件、架空な夢物語、特異な人間の立場等を、多くの小説が題材としている。この種の小説というのは、通常社会に根を下ろすものでない。このように結論したところで例外は多く、私が読む本にも異常現象的なものが多い。

 

 私は、この問題を考えなければならない。現実にないもの、現実離れしたものの中に、人を惹き付けるものは何か。その中に、人間誰しもが持つ感情、憧憬、意識があるように思う。即ち、異常というものは、人間の判断であり、既に心理・意識が働いているものと解してよい。

 

 私自身、何かの理由があって異常現象を嫌っていた訳でない。主に、人物の性格付けに対する不満が多かったのである。人や現象に確定的な性格を与えて物語をすることは、私には到底考えることができなかったのだ。少なくとも、多くの人は物事を考え、その判断した意志で動いていくものであり、少ない人のあり得ないような人物を配置するのは、社会的に見ておかしいのではないかと思うことが多かったからである。

 

 これからは、異常現象、社会の現象に注意を払わなければならないと思う。何故そのようなことになったのか、起きたからには原因があり、追求すれば社会的な問題が必ず存在するからである。それがどの程度の広さがあるのか計ることができないにしろ、人の心に与える何かがあると思う。大方、政治の貧しさ、社会的人間の欠陥などがあるに違いない。

 

 異常的な事柄について、これから目を向けていかなければならない。時事問題として注意深く考えていかなければならない。しかし、注意することは、その判断を以て、自分の固定観念とすることがないようにしなければならない。

 

 異常現象を受け入れていく私は、これらの要素が多く作品に影響を与えていくことが必至である。それは、一見何でもないようなところまで忍び寄るだろう。異常現象と文学全体の構成については、もっと考える必要がある。