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「小説の社会的存在」
佐 藤 悟 郎
小説は、書くことだけに価値があるのではない。十数年前、私は兄に 「小説というものは、先ず人に読んでもらわなければならない。売れない本など、書いても無意味だ。自分の納得のいく小説は、売れる小説を書いて、生活ができるようになってからの話だ。売れるなら、どんな小説でも書かなければならない。」 と言われたことがある。奇しくも、大学受験に恐れをなしていたときである。
それから私は、長い間無為に過ごしてきた。人間の生活基盤が如何に大きいか、そして文学世界に未だ身を投じていない我が身が哀れな感じがする。他人が嘲笑する姿が、脳裏から離れない毎日である。最近は、愚弄されてもいいじゃないか、執筆活動を続ければよいじゃないか、と思ったりする。自分の信念を曲げて過ごすよりはよいと思う。
現在の私の立場、経歴や知識の面から見た私の立場から見て、教養の溢れた作家と称する人に対抗できる作品を書く力はない。当面、人に、人であれば誰でもよい、できるだけ多くの人に読んでもらう作品を書いていかなければならない。執筆活動の基盤と時間が欲しいからである。人に、或る程度の批判や非難は覚悟している。
私がやっていくことは、できるだけ早く、世の中に活字を出すことである。その方法として文芸誌、新聞に投稿することである。しかし、目を覆うような下作を出してはならない。選者に読んで貰えるような作品を出すようにしなければならない。
次ぎに、作品の蔵書を蓄えておくことである。その日が来た時に品切れにならないように、選ばれた小説と同程度の本、売れる本を書いて手許に残しておくことである。自分が読んでも面白くない本は、誰が読んでも面白くないに決まっている。
しかし、失ってならないもの、それは執筆者としての良心である。入ってならない域に、決して足を踏み入れてはならない。良心がなければ、執筆から手を引くより仕方がないと思う。
とにかく、書いて書き捲ることだ。心に思うこと、現代社会から目を背けないことだ。懐古に走る癖が、日本人にはある。どの時代にも、人のドラマがあるように、現代も見つめれば見えることが多くあると思う。実作に入ることが、取り敢えずやることである。敗北者の「犬の遠吠え」にならないように心掛けることである。
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