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思考の展開について」

 

                佐 藤 悟 郎

 

 

 私の思考は、打破されなければならない。思考を打破するには、特定の思考に対する真理を追究する方法をとらなければならない。

 

 私の思考は、これまで受けた教育や道徳によって形成されていると言ってよい。その殆どは、人間社会に安定して根付いている思考である。これらの思考を踏襲したとするならば、新しい思考への発展はなく、疑問すら生じないだろう。

 

 教育などは、国家体制の要求によって左右されるものである。国家は、多くの人が満足する思考を与える。思考の満足は、人々の思考する力を無くし、無気力にしてしまう。

 

 思考の新たな展開は、危険視されることが多い。それは、国家体制が認める思考と異なる結果を生み出す可能性があることにある。新しい思考の展開の過程においてすら、多くの人々に多くの疑問を投げかける怖れがあるからである。新しい思考は体制を破壊し、別の体制すら構築してしまう力を持っている。

 

 現在の国家体制は、必要にして十分なものであろうか。検討する前に、「否」という結論がまず出てくるのである。少なくとも私は、現在の国家体制と迎合していくことはできないと思っている。反体制の人々に、現国家体制は糧を与えようとはしないし、保護すら与えようとしないだろう。そうだとすれば、抵抗していくより他の手段はないだろう。

 

 思考の展開を重要視するのは、結果を期待するだけでなく、結果への展開部分が、結果以上に重要だということである。展開部分の中に、色々な思考が輝いているからである。

 

 展開に必要な要素とは、明確に言えないが、おそらく「否定」とか「懐疑」というものではないかと思っている。現在の思考に変わるべき思考とは、何かということである。単に批判として終わるものでなく、もっと激しいものである。