リンク:TOPpage 新潟梧桐文庫集 新潟の風景 手記・雑記集

 

 

 

「何も知らない私」

 

     佐 藤 悟 郎

 

 

 私には、師事する人がいない。凡庸な能力からすれば、師事してくれる人もいないことだろう。私にとって苦しいことであるが、やはり現実の問題として、師事する人を求めることを諦めなければならない。昔から、独学という言葉がある。簡単に口にするその言葉は、独学するものにとって辛い言葉でもある。小説の書き方というものは、果たしてあるものなのだろうか。あってもなくても考えておかなければならない。

 

 小説を書くことについて、それまで考えてきたことを取捨選択しなければならないと思った。自分自身の感情を小説全体に撒き散らすことは、余りにも私小説に過ぎ、幅の広い作品とはならないと思った。幅の広い作品を創作する立場からすれば、考えることに配慮しなければならない。

 

 小説を書くには、動機の存在が必要である。何を書くのか、明確に意識しなければならない。作品の全体が、何を意味するのかである。執筆段階で、明確な意識をもっていなければならない。小説を書くに当たり、何を書くのかが最初の問題であることに疑いはない。これは、主題の選択ということになると思う。

 

 主題をしっかりと持っていないと、小説は書いていけない。また、主題を理解するところに、小説の大半が成り立つ。主題が小説として、無意味なものであれば小説は成立しないだろう。小説の形態をとっていたとしても、実質のないものとなる。小説において、主題の選択は重要なことである。この重大なことであるが故に、主題は慎重に考え、決定されるべきである。

 

 主題は、人間の真実なるものでなければ、重要な要素になり得ない。作者自身の習慣や習性が出てくる。小説の中に、自分の姿を顕著に現すのは良くない。自分の顔は、小説全体の中の僅かな部分でしかない。そのことをよく承知しなければならない。

 

 人間の真実だけでは満足できない。事実だけの真実ではなく、その真実が何か意味することがあり、人の心に深く感銘を与えることが重要な点である。事実の記載だけでは、小説ではない。主題は、変遷的要素を持ち、変遷をも含めた総合的な主題であることが必要である。

 

 主題を検討する過程で、筋の大要が出来上がってくる。主題の検討には、思想的な事柄に触れることが多くなってくる。その思想は、作品に匹敵する程重要味を帯びてくるだろう。そこに具体的な人や場面が与えられていく。筋構成が成されていくのである。

 

 このことは、文学性の確保する上で大切なことであり、行わなければならない轍である。文学的表現や手法などより大切なことである。何故なら、小説の生い立ちが明確になるからである。私が最初に行わなければならないことは、正にそこにあると思う。創作をしてゆくに従い、色々な問題に突き当たると思う。それらの問題は、書きながら考え乗り越えていくべきことである。