リンク:TOPpage 新潟梧桐文庫集 新潟の風景 手記・雑記集

 

 

 

「小説創作上の注意点」

 

       佐 藤 悟 郎

 

 

 優れた文学とは何であろうか。永遠の私の問題となるだろうし、永遠に結論は出ないと思う。私は、文学に直面していながら、文学そのものを考えることを、意識的に避けてきた。この態度は、非難されるべきである。文学そのものを考えずに、創作活動を行うことは間違っていると思う。こうして意思を固めてみれば、当然のことに思える。世の中には、考えもせずに創作する人が多い。貧弱な作家の中に、特に多く見られることである。私は、執筆活動について、正面から向かっていかなければならない。考えても、その結論が出ないことは分かっている。しかし、考えなければならない。最大の困難に直面しながら、悩みの中に立ち、歩んでいかなければならない。

 

 文学者たる者の人生観というものがある。文学を志したその時から、全生活を挙げ、文学者たる行動をとっていかなければならない。文学は、心の問題であるということを忘れてはならない。文学的人生は、確かに必要である。一体それが、何たる形態であるか明らかでない。しかし、精神的に構成していかなければならない。原点は、静観し、考えることから始まるだろう。好き嫌いがどこにあるのか、深く洞察しなければならない。

 

 文学が対象とするのは、人間である。人間が登場しない作品であっても、その根底には、常に読む人の幻影がある。人の共感を得るものでなければならない。その人間の共感とは、全ての人間の感性に触れることではない。人間が本来持っている感性、奥深い感性を振動させるものを言うのではないだろうか。人間の持つ、卑劣な感性に訴えるものであってはならない。

 

 私は、常に原点に立ち返る必要がある。

「優れた作品とは、どういうものなのか。」

自問自答しなければならない。今迄、多くの作品を読んできた。その多くは、私の心を感動させた。その感動がどのようなものだったか、書くつもりはない。確かな感動を呼び起こすもの、そんな作品を書くことに心を配らなければならない。今後、作品を論ずる時は、具体的かつ露骨に書くと思うし、同じことを論ずることも出てくるだろう。中には、批判的あるいは対立的な意見となることもあるだろう。不統一な意見となるかも知れない。私は、それで良いと思っている。敢えて、恐れることだけはしたくないと思っている。

 

 作品の思考が、思想的傾向を持つことを容認しなければならない。これまでの固定的観念は、一切捨てなければならない。勇気を持って、創作に当たる必要がある。

「歩み始めたものを止めてはならず、段々と足音を高め、進めよ。」

創作は、何から始めていくべきだろうか。迷うことが多いが、常識的なものを書いていくのがよい。創作は、初めは稚拙なものとなるが、前進を目指していくことが大切である。私は、劇的な創作から始めようと思っている。その中でも捉えやすい、恋愛的なことを主題としていこうと思う。

 

 恋愛とは、何であろうか。人が経験する美しい人生の一場面であると思う。私自身、恋を感じたことがある。激しい感情が、心の中に渦巻いたことを覚えている。恋は、多くは男と女の問題であるが、色々な感情を織りなしている。副次的な行動にも、美しさがある。特に、献身的な感情は美しい。相手に対する献身であるが、広く見れば、人間に対する献身という意味もある。恋する人は優しくなるという、一般的傾向がある。人間的な自覚を持つということになる。人間に希望をもたらすという点においても、恋は素晴らしいものだと思う。人間を、正しい道に矯正する力も持っている。人に与える心への刺激が、最も強いものの一つである。

 

 作品は、自然的な流れで構成されなければならないという観念がある。この観念を絶対視することは、甚だ不都合である。千変万化する人生では、自然に逆らうような流れが存在するかも知れない。写真が全てを写すというものではなく、人間の心理まで写すことはできない。人間の見た目の姿と心理は、異なることを認識する必要がある。

 

 人間の真理は、時代と共に変わると言われている。人間の真理は、確かに存在すると思う。真理と言うからには、時代と共に変わることがないように思う。作品上の真理を定義し、それを基礎として作品を展開させるのがよいと思う。奇異に思われる真理を定義し、物語を展開させていくという手法もあるのではないか。私は、単純かつ直感的に物事を理解してきたつもりである。今後も、人の真理を正しく定義し、作品を創作したいと思っている。

 

 作品に、必ずしも結末を求めてはならない。小説の構成についても、具体的場面を多く考えていくことになると思う。以前のように、計算され、安易な方法で多くの作品を書く方法、それを求めたりすることを止めなければならない。創作は、発想を書くことがあるが、それはそれとして無理のない、息が長く続くようにすることだと思う。基本的なもの、文章あるいは思想的なものなど、全てを考えなければならない。自分の文章として、感情を正確に表さなければならない。

 

 作品は、文章によって表現されるものである。重要なことは、文章で何を表現するかである。対象とするものは、読者に対する語りかけである。娯楽的あるいは官能的なものと、色々ある。その中で追求しなければならないものは、人の真理であると思う。全ての人に訴える真理でなければならない。作品は、人の真理の追究であると思っている。真理が、現実に存在しているか、あるいは実現されているかは、別の問題である。人の真理の追究は、重要な問題である。

 

 作品は、一つの言葉

「人間の真理の追究」

を除いて、作品の存在価値がなくなるのではないかと思う。

 

 人を考える場合、多くの要素が認められると思う。個々断片的なことを考えることは難しい。困難だと言って、置き去りにすることはできない。人は、何を考えていくべきかという問題にもなってしまう。人類全体のことを考える、あるいは個人のことを考える、いずれについても考える必要がある。人類の歩み、個人の歩み、これらが錯綜し、色々な模様が形成されていく。ここに、

・ 人類の歩むべき真理はどこにあるのか。

・ 個人の歩むべき真理はどこにあるのか。

・ 人類全体の真理と個人の真理は、どのように関係するのか。

ということを、深く考えていかなくてはならないと思っている。人に対する考えを抜きにしては、創作することが難しいと考えている。

 

 人を自然状態に置いた場合、如何なる欲望を持つだろうか。その欲望が、人の真理なのか、真理でないとすれば、真理はどこにあるのか考えなければならない。

 

 人間の人生がどのように構成されているかを思ってみる。親から生まれ、親元で育つ時期がある。そして親の手元から巣立ち、独立していく。年頃になれば家庭を持ち、子供を育て、働き、年老いて死期に入っていく。この記載は、余りにも簡単である。ただ、このように見ても、人は寂しく、悲しいものに思われる。人は、生まれてから死ぬまで、色々と生きるための葛藤をしているに過ぎない。人の生涯を、どのような観点から捉えるか、重要である。模範的な答えはないだろうし、人の真実が何であったのかも分からないだろう。作品としては、或る程度の答えを見つけ出さなければならないと思っている。

 

 人生に対する価値観も考えなければならない。目的論的には、

「人は、何のために生きるのか。」

ということになる。科学的に言えば、

「生物とは、種を滅ぼさないため。」

と言うだろう。男女の存在も、恋や愛の感情も、生きる勇気も、この考えから導き出すことができる。現実的には、人類の生存そのものを阻害するものがある。科学の発展による阻害、個人に根ざす厭世観念等である。また、集団と個人の観念的対立があり、幸福が平等であろうかと言うことにもなる。

 

 人間は、過去に人間自身を外圧的あるいは内圧的に束縛したことがあった。自由の束縛あるいは精神の束縛である。何故、このようなことが必要なのか。個人は、思いのまま生きることができないのであろうか。現在も、決定的な考えがなく、人類の大きな発展は望めないとしている。

 

 創作する場合、感情に走って損をする場合がある。文章で、的確に表現することを考えなくてはならない。余り感情に走ると、文章を十分書けなくなる恐れがある。創作には、全精力を集中し、感情の昂ぶりから終息まで、一気に書き上げてしまう必要がある。毎日時間を決めて、コツコツと書くというやり方は、余り適当でないと思われる。

 

 創作には、意識の中断がないように、書いていかなければならない。纏まりのないものを、多く書いてみたところで意味がない。全神経を集中し、創作しなければ良い作品どころか、作品の完成も難しい羽目となるだろう。これまでの活動について、反省するところが多く、改善しなければならない。

 

 創作には、直感的文章表現能力が必要である。構成的な考えと、細部を為す文章表現がなければ、良い作品とはならない。如何に高明な思惟を持っていたとしても、文章表現が拙ければ、作品としては不向きとなる。表現能力を高めるためには、多くの作品を書き、あるいは書き改めていく努力が必要である。理想としては、構成から章、文章まで、総合的な所作を、一挙動で進めて行かなくてはならない。

 

 作品は、完成されなければ意味を失う。完成されない作品は、作者の実力でしかなく、諦めるのが相当である。完成された作品を、後で取り上げて手を入れるのはよい。未完成の作品を残しておくのは、余り好ましくない。未完成の原因としては、作品規模が大き過ぎて纏めることができない、作品に対する意思が薄弱である、全体的な構想がない等に拠るものである。いずれにしても、中途半端な未完成の作品は、残しておくかどうかを慎重に判断しなければならない。後々、活動する上で、大きな荷物にならないように注意すべきである。

 

 創作活動をするものは、以上に記した点を参考としていただければ、幸いである。