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「彼の寂しさ」
佐 藤 悟 郎
そこに、寂しい男が住んでいた。都会の生活に疲れ、何もすることができなかった。彼は、虚ろな目で空を仰いだ。雲は千切れ、東の方へと流れている。時々、雲の切れ間から、陽の光が差している。夜は夜で、部屋に閉じ籠もり、小さな空間を見つめていた。もう言葉はなかった。誰とも話したくなかった。世の中から消え去ってしまいたいと思った。
彼は、一生懸命に働いてきた。それが突然、糸が切れたように、働くのを止めてしまった。彼の優しい心を、家庭の中、職場の中に振り撒いてきた。全てが、寡黙の中に消えてしまった。茫然と立ち竦む姿が、寂しく映った。彼は、人の世を信じて生きてきた。自分の死を見つめた時、人の世も、自分でさえも無意味であると思った。
彼は、憤り、悲しみ、沈黙してしまった。ある日、妻が彼の出勤が遅いので、部屋へ呼びに行った。彼は、カーテンを閉め切り、小さな暗い部屋で、普段着のまま椅子に腰掛け、動こうとしなかった。 「貴方、お出かけの時間よ。」 妻の問いかけに、彼は何も返事をしなかった。ゆっくりと首を横に振っているだけだった。 「今日は、会社へ行かないの。」 そう問いかける妻に、彼は頷いた。化石のように、彼は動かなかった。妻は、沈黙の中に、恐怖を覚えた。近寄りがたい空気が漲っていた。
その日から彼は、食事をする時、幽霊のように食卓に着き、力なく食事を済ませると、自分の部屋へと戻っていった。彼は、もう会社へ行かなかった。夜は眠らず、昼は川縁や山へと歩いていた。顔見知りの人が声をかけても、何の反応も示さなかった。人は、彼が精神病になったと言った。
そして月日が流れた。彼は、永遠の寂しい人となった。誰にも語らず、誰からも語られず、流浪する沈黙の人となった。人生は、ただひたすらに寂しいものだ、と彼は思った。水の中の一つの泡のように、現れ消えていくものだと思った。儚い人生の中で、何をすればよいのか分からなかった。
人生の楽しさとは、何だろうか。人は、人生の中で喜びを見付けることができるのだろうか。人生の中で、決して喜びはないのに。喜びは、人生の過程の中にあるのではないか。毎日、生活を楽しく、喜びに満ちたものにしなければならいのではないか。より大きな楽しみと、より大きな喜びを求めていかなければならないのではないか。
人は、目的を持つと動くと言われる。ただ、目的が欲望ならば、必ず結果を求めるだろう。目的を掲げる必要はないのではないか。欲望という目的から離れ、喜びを求めなければならない。結果を掲げた人生は、あり得ないのではないか。死という沈黙の世界を考えれば、全てが意味をなさないのではないか。
書くことの喜びを知れば、書くことそのものに没頭すればよいのであって、書くことへの結果を求めてはならない。結果から離れて、自由に、何の拘泥もなく、喜びを抱きながら書くことが大切ではないのだろうか。
寂しさは、人の一つの美徳であるかも知れない。寂しい世界は、死に至っても、未来永劫に続くものであるかも知れない。ただ、寂しさの中には、決して生の喜びはないだろう。
本当の自由の人にならなければならない。自身に、本当の自由を与えなければならない。広い世界、もっと広い世界に船出をしなければならない。作為もなく、ただ澄み切った心で、生の喜びを味わい、彼も生きていかなければならないだろう。
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