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    「創作論」

 

                       佐 藤 悟 郎

 

 

 愚才の者でも、三枚あれば大方の表現ができるはずである。名作であろうが、愚作であろうが、三枚の中に全てが集約されることを知らなければならない。体裁はどうでもよいが、これを承知して活動しなければならない。三枚以上になる場合、余程注意してかからなければならない。

 

 充実した草稿の量で、創作活動の進展を推し量ることができる。短絡的な文学活動が、如何に弱く、無意味であることを多くの人が知るだろう。無理なことをしようとしているのではない。貧しく、切羽詰まった中で創作活動をしているということを言い聞かせなければならない。

 

 活動するには、余り恵まれた環境ではない。そんな中で、活動を続けている。「何故」との問いに、答えることはできない。答えは、評価がなければ、用意する必要がない。遠くにある、全く見えない目標、それを追い求める浪漫にしか過ぎない。

 

 草稿は、直感的な感情で書くことが主体となる。許されないこと、意に反すること、非難を受けることなどが内容として含まれることもある。公表するものには、明確に制限が求められる。草稿の段階では、この心配は無用である。

 

 許されぬこと、それは中途半端な草稿を書くことである。誤っても良い、結論がある草稿を書くべきである。決して書いたものに、唾を掛けてはならない。全て自分の責任の下で書いたものであり、破棄すべきではない。作品がどのようなものであれ、全て価値ある草稿として保存すべきである。草稿には、「草稿」と記し、その下に年月日を記すこととする。

 

 草稿は、あらゆるところから集め、考えるだけでなく、文章とすることにより意義が生ずる。駄作なんて、世の中に多い。恥も知らず、長々と書いて、小説だと称する輩もいる。基礎も足りない輩である。そのような努力の足りない輩にならないように注意しなければならない。

 

 公表した作品だけを見るのは、軽率だと思われる。基礎が備わっていると、自身が信ずることができれば、それで良いと思っている。全てが、過去に思いを寄せた人に捧げられるものでもある。