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   「既に門に入れば」

 

                       佐 藤 悟 郎

 

 

 既に文学の門に入ったのである。門の中は、暗闇の世界である。誰も、私に道を教えてくれる者はいない。門を入ったばかりの暗がりで、泣いてばかりでは、何の解決にもならない。勇気と知恵で道を捜し、道がなければ切り開くしかない。

 

 とにかく筆を持つことだ。原稿用紙に向かい、書き綴ることだ。こうして書くことが、道を切り開いていく第一歩なのだ。これからの活動は、このように原稿で進めていくことだ。他にも色々な手段があるだろう。しかし、私は、このようにして歩を進めていくことを選んだのである。道をどの様に進めていくかを考えることは、大切なことである。特に、この年齢ともなれば、人生そのものを纏めながら進めていかなければならない。

 

 小説や詩歌は、一部の人のためにあるのではない。どの様な作品がよいのか、悪いのかは、読む人が決めるものである。人には好き嫌いがあり、作品は、そんな色々な人のために、色々とあると思う。私は、私の思いに従って書き続ければ、それで良いと思っている。多くの問題が現れるだろう。どんな道だって、根幹がある筈と思っている。

 

 新しい作品といえば、格好がよい。全て、過去を捨て、新しい作品だけの道があるのだろうか。否である。その作者の人生観が変わらぬ限り、不可能なことである。今までの私自身を、全く無視するところに、現在の私の不自然さがあり、困難があると思う。

 

 これからの新しい出発は、人生の総決算だと思っている。今までの人生の総まとめだとすれば、過去の活動も全て包含するのも当然のことである。新しい思想が渦巻いているなどと、大それた思いは持たない方が良い。私的な文章にも、特に注意を払い、読み易いものにしていくことも大切である。

 

 今まで、日記帳の取り扱いが問題となっていた。今、再び問題として浮き上がっている。日記は、事実、特に周辺に起きたこと、自分の事実、社会的事実に対して洞察を加え、記述することが望ましいと思っている。哲学や思想を錬るところではないことを、明確にしておかなければならない。

 

 また、時々にメモをするということも問題である。新聞記者のように、とにかく備忘録にメモを取り、それを有効に活用する。私は、仕事で備忘録を付けている。今後、それ以上のものを求めないようにしたい。散乱したものは集約していき、今後の活動では、散乱しないように進めていくことが大切である。

 

 今までの作品を、どの様に取り扱っていくかの問題がある。放置してしまえば、私の死後、廃物として捨てられるだろう。決して、そんなことをして欲しくないのである。何故、捨てられるのか、理由は簡単である。拙劣な作品であるという理由である。ここで改稿という考えがある。改稿という、逆戻りの感じもしないでもないが、過去を残すためには、是非とも必要な活動である。

 

 改稿といっても、作品を十分吟味し、新しい作品として扱う心構えがなければ、意味がないのである。更に、作品群を形成するようにしなければ、雑然とした作品だけになってしまう。今、その作品群を決めてかかる訳にはいかない。作品の数が増すに従い、意識的に作品群を形成していくのが良い方法だと考える。

 

 何から手を付けるとか、一日どの位の量とかを測ることはしたくないと思っている。計算通り、機械的に作品を生み出すような考えは、止めようと思う。

 

 今、考えただけでも、暗闇に泣くこともなくなるだろう。机の上に作品を積み重ね、そして復活していくことを夢見ることが大切ではないかと思っている。