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「ある小説家」
佐 藤 悟 郎
小説家鈴木良夫は、今朝方、小説を一編書き上げて、深い眠りに陥っていた。書き上げたばかりの小説、やがて本となり、世の中に姿を現すことだろう。そして、色々多くの人の心の中に食い込んでいくに違いない。今は、疲れ切ったように、深い眠りに陥っている。彼は、いつもそうである。小説を書いている時には、異常なほどの感情と精神を打ち付けている。執筆中の作品に、彼自身が集中していた。決して満足はやってこない。でも、書き終えると、心安らかに、眠りに陥るのだった。
彼が目を覚ますと、既に日が西の方に動き始めていた。日差しの強い暖かな日だった。彼は、自分が恵まれていると思った。余分な金はなかったが、小説を書いた収入で、それでも食事もでき、衣服を買うこともできたし、快適な住居を借りることもできた。そして毎日、自分の自由な時間が全てであることに、喜びを感じていた。以前の彼には、他に食べるための仕事を持っていた。彼は、仕事が辛くなかったが、心も体も制約されることが不自由だった。自由な時間が多く欲しかった。今、こうして自由な時間が手に入ると、一層時間が欲しいとさえ思った。
郊外の農道に出た。時々、遠くの村の森影や近くの雑草、そして青い稲の穂並みを見つめた。眼光は、いつも静かで、落ち着いて深かった。仰ぐと、時折、頬に風が通り過ぎていくのを感じていた。そうして歩いていることに、心は安まり、大抵は作品のことや、自分自身の生活のことを考えていた。
彼は、小説家でありたいと心から思った。若い頃、彼は他の小説の批判もしたし、小説家自身に対する批判も行ったことがあった。そして、小説家たる者は、全ての知識を持ち、全ての文学の範囲に通じていなければならないということで、確信に満ちた考えをもっていたことがあった。多方面の仕事が、いかに小説創作そのものを駄目にしてゆくか分かる時がきた。そんなことをやっている時間的余裕もなければ、おおよそ不必要だという結論だった。特に、批評や随筆的な物は、彼自身の作品を、次々と自分で破壊していくのを見た。その結果、書ける作品というのは、平凡そのものでしかなくなった。
彼は、小説は、その中の情熱や感情にあると思った。喩え、批判されても、不自然であっても良いのだと思った。それから彼は、小説の創作以外のことについて、考えることは止めた。
彼は、小説以外のことについては、書くことを嫌った。彼は、書けば、やはり事実として、自分に固定観念を強いると思ったからだった。だから、散歩する時、色々と自分の創作活動のことについて考えたのだった。現在、自分は、どのような創作活動形態を持っているのだろうか。果たして、それで良いのだろうか。彼の創作活動に関する思考の始点は、いつもこの点からだった。
彼は小説家だった。小説家は、小説を書き上げることが、その全体的価値と意義があることを疑わなかった。喩え、それが他人に非難され、自分でさえ嘲笑する作品でも良いと思った。小説を書けない小説家は、その名を放棄したに等しい者と思った。それは小説家でなく、何でもない者と思った。
彼は、過去に多くの作品の構想を持っていながら反故にした、色々の主題を知っていた。その量は、馬鹿にならない程の膨大な量であり、多くの時間を費やしたと思った。何故、そのようなことが起きたのだろうか。小説家としては、全く無価値の活動に相違なかった。
彼は、歩きながら考えた。足下の草が揺れている。ふと前を見ると、若い女性が、彼に向かって手を振っている。彼は、誰であるか分からなかった。誰であろうと構わなかった。
小説家には、色々な模様があると思った。しかし、静かに考えてみると、自分自身が果たして有能な小説家であるかどうか、不安がいつも潜んでいることに気付いていた。彼は、自分だけが抱いているのではないと思った。少なくとも、現在執筆している作品の良否を考えているはずと思っていた。過ぎ去った日々に、幾度も、幾度も自信を失ったことがあった。誰も助けてはくれない。
自分自身だけが、彼を助けていた。それは、貧弱ながらも、書き上げた小説を読むことによって、慰められていたのだった。完成された作品、質の善し悪しはともかく、いかに大切であるか、彼はよく知っていた。だからある時期から、彼は多くの欲望を整理し、放棄していくことを考えた。そして、無駄な活動をしないことにした。
とにかく小説を書き上げることが活動の主体だった。彼は、何も無策で活動していた訳ではない。成功していく者は、必ずきちんとしている。彼も、その例外ではなかった。彼が、ある時期行ったことは、無駄な文章を書かないということだった。特に、断片的なものや思いつき的なものを、急遽書いたりしないことだった。それは、活動に余分な負担をかけるからだったし、決して小説として書き上げられるものでなかったからだ。ただ、テーマとしてメモする程度だった。
彼は、小説を書くこと、現在書こうとしていることについての思索をした。決して文章で書き上げることでなく、対象とする作品の全体及び個々の構成の思索だった。彼は、それまでの経験から、完成されない作品を、その執筆活動に再登場させることが中々やりにくいこと、それには多くの労力がいることを知っていた。思索は、鉛筆が無くともできる。彼は、できるだけ時を持ち、考える癖を付けるようにし、長い年月をかけて身に付けた。このことは、彼に非常に良い結果をもたらした。鉛筆を持っている時より、短い時間で、遙かに自由に、多くのことを考え、組み替えることもできるのだった。そして草案を練り、そして作品と言ってもよい程の草案を書き上げるのだった。彼は、必ずしも、一つの作品のことばかりを考えていた訳でもない。むしろ、多くの作品のことを考えていた。からと言って、考えたことを直ぐ、そのように手を入れたり、書いたりすることを避けた。そのようにすれば、活動が広がりすぎて、収拾が付かなくなるからだ。
二段階的構造を持った活動をしていた。叩き台の段階で考え、書き上げて草案とする。草案を書き上げ、その作品を完成作品とするという手順だった。これは複雑であり、手数のかかることであるから多くの時間が必要だったが、自信のない彼には、そうするほかなかった。書き下ろし的に書く勇気は、彼にはなかった。
彼は、渾沌とした瞑想の中から、書いていくに従って波に乗り、書き上げ、結構良い小説を書いている人を知っていた。彼には、そう言う芸当はできなかった。はっきりした姿が、彼の執筆活動には必要だった。
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