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「色々な物語」

 

佐 藤 悟 郎

 

 

 彼は、晩秋の晴れた日に、机に向かっていた。時折、瞳を窓越しに向け、葉の落ちたアカシアの木を見つめた。まだ枝先に、黄ばんだ小さな葉の群れが残っていた。そして溜息をついた。

「どうしてだろう。何故、私は物語を書けないのだろう。」

そういう思いが、彼を悩ませた。世の中には、多くの物語があり、彼もその多くを知っていた。人々の脳裏に残る多くの物語を書きたいと思っていた。恰も、それが人生の目的であり、彼の使命だとも信じて疑わなかった。

「私の今まで書いた物語なんか、小さなものだ。」

そう思うと、情け無くさえ思った。書くことへの焦燥感、それは彼の人生に対する危機感でもあった。

 

 彼は、投げやり的な思いになると、直ぐ風俗的、享楽的な思考に走りたがることが多かった。文学は、現代の中から素材も、また表現も探さなければならないということが、彼の持論だった。過去の歴史的小説など、価値のないものとして、筆を運ぶことを許さなかった。それで良いのかと、自分を疑った。

 

 心に残る物語とは何だろうかと、彼は時々思ってみたが、結論を見出すことはできなかった。ふと、それが最も大切な点の一つであり、明確に意識しなければならない問題であることに気付いた。単なる描写でない。物語の中に、キラキラ輝く人間の本性や、思慕が溢れていなければならないのだ。人間の崇高な感情の流れが、表現されることが大切なのだと彼は思った。

 

 恋愛小説を読めば、その美しい物語と心に心を打たれ、同じようなものを書いてみたいと、直ぐ彼は思った。その登場人物のように、彼は振る舞いたかった。しかし、彼の現実を見ると、程遠い世界のことだと思った。それが物語の本質の一つでもあることを知っていながら、美しい世界は、彼の心に残っている。そして、創作者に対し、敬意を払う思いが募ってくる。

 

 英雄物語、宗教物語、空想物語、悲しい物語、と色々な物語が、彼の身辺にある。それらの物語は、彼に勇気や、清々しさを与えてくれる。全てが心に響くものだった。彼は、物語は形でなく、そう、心にあるものだと感じた。