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    集団の幸福と個人の幸福

 

                                               佐 藤 悟 郎

 

 

 別に思想書を書く訳ではない。小説の基礎とすべき、自己の考えを覗くだけである。自分が知らずの中に、固定観念を持っていることは確かである。それを或る程度整理をし、それを基礎として考えなければならない。

 

 世の中の人々を動かしているものは何か。世の中の人々は、何で生きているのか。これは途轍もない、大きな問題である。

 

 人々は、ある意味で、総意の納得した思想によって生きている。人々の生きていく将来の目的とは、何であろうか。存在するものか、目的は存在しないものであろうか。

「より良い社会、生活に向かって生きていくこと、それが目的である。」

果たして、そうであろうか。完全な人々の幸福の映像は、一体、何なのであろうか。それも想像することは、現在可能であるか。あるいは、将来それが可能となるのであろうか。人々の完全なる幸福がないならば、人々は、求めるための永遠の旅人である。存在し、現在は分からないのであれば、人々は栄光に向かう存在であり、必ず、完全な幸福に到達するであろう。人々の幸福とは、何なのかを常に考え、具体的にしていかなければならない。集団の幸福のことである。人々の幸福をみる場合、幸福の発見と不幸の発見が必要である。

 

 世の中を動かす人はいるのか、という問題がある。確かに歴史的には存在した。現在はどうか。人々を動かすということは、集団を一定の方向付けをし、そのある目的に引っ張っていくことに近い現象である。各分野において、確かに影響を与え、動かす人が存在することは確かである。その中で現在、最も大きな影響力を持っているのは、政治、具体的には行政の力であるように思われる。これが故に、行政の目的と責任は、特に重要に考えなければならない。

 

 個人のことを取り上げてみた場合、個人を総体的に支配するものは、自己であるに違いないが、人間の総体を考えた場合とは、非常な違いが見られる。

 

 個人を考える場合、集団を常に考えなければならない。その対比により、個人の性質がある程度分かる。これとは反対に、集団から独立させた個人も、見る必要がある。そこには、人本来の本質が隠されているように思う。集団の中の個人、個体としての個人、常に考えなければならない問題である。

 

 一人称で呼ばれる一個の人、何故生きなければならないのか、疑問がない訳でもない。人の幸福とは何であり、人は何を求めて生き(幸福が目的であるのか?)、幸福性と幸福感の充足、あるいは幸福の分配はどうなっているのか、問題である。ここでも、幸福の発見と不幸の発見は、大切なことである。

 

 私は、できるだけ具体的に考えを推し進め、創作の資料としなければならない。現象面の事実、そこから目を背けてはいけない。

 

「人間は、幸福を追い求めるが、決して最初の幸福を得ただけでは満足しない。既にその時、次の幸福を追い求めている。幸福を求める人間は、満足をしなければ、決して幸福にはなれない。人間の貪欲さが、人間を幸福にすることを妨げる。」

 

「人間が常に抱いている不幸とは、死に対する恐怖である。生命の安全性を、人間は常に考えている。これは本能的である。生命維持に最も大切なもの、食べることである。最低限、人は食べなければならない。食にありつけない状態の人は、不幸の中にある。

 食物の他にも、生命を脅かす環境という状態がある。災害や他人からの危害で、生命の危険を感じている場合、不幸な状態にあることは間違いない。

 小説を創作的に見て、不幸な人を救うということは、劇的である。また、不幸の追求ということも意義のあることである。

 集団と個人を見て、人を不幸に陥れる原因者があるとすれば、これは人の幸福に対する問題である。その原因は、排除されなければならない。」

 

「人間が、幸・不幸を判断する基準が何処にあるかを見ると、人の内面、心に存在していることが多い。そこには個人的な格差が見られる。例えば、ある状態に対して、不幸と思う者があれば、幸福と思う者もあるという、多様性がある。それは前述した、幸福の追求と結果に対する満足度の考えから、誘導されることが多い。注意すべきは、心の判断が、その人個人の全てを決定してしまうことである。時には、自己の生命を断つことがある。

 

「幸福に対する小説命題」

 

□ 現状の認識

 ・ 不幸の認識

 ・ 彼の思う幸福の内容…具体性が必要

□ 幸福の存在感

 ・ 幸福の追求(欲望)

 ・ その解決方法と意思方向

□ 結果の発生

 ・ 満足度の有無

※ 上記は、相互に関連させて考えていかなければならない。

 

例 「彼は、自分がAということに、不幸であると思った。彼は、幸福とは、Bの状態になることだと思った。彼は幸福になりたいと思った。彼は、幸福になるためには、Cをしなければならないと思った。彼は努力し、求めた幸福に対し、Dの結果を得た。彼は、BとDを思い、満足した。」