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「ある文学者の回想」

 

       佐 藤 悟 郎

 

 

 彼は青年のころ、小説や詩を創作したことがあった。それ以来、自分を文学者だと思っているらしい。彼の作品が世の中に出回ったという跡はない。投稿や発表などをした訳ではないから当然のことである。彼の作品は部屋の片隅の書棚に整然と並べられているだけである。

 

 彼は時々自分の作品を開いてみる。他の作家の作品に劣ってはいないと、自分に言い聞かせる。彼が文学者と自負する根拠であり、自慰的な彼の寂しい姿でもあった。当然ながら、彼は生きるための糧を得なければならなかった。その傍ら文学活動ができると思っていた。彼の心は純粋だった。糧を得るための仕事をいい加減にすることもできなかった。そのために、彼の文学活動は大きく制約をされた。

 

 仕事は創作活動を寸断させる結果となった。いくら努力をしても、長い作品を完成させることはできなかった。とにかく活動を続けなければならないと思った。日記を丁寧に綴ることで、文学的な力を維持できると考えていた。日記を綴る日々が続いた。気が付いた時には、既に年老いていた。彼は悲しんだ。

 

 日記の山を築いても、それは文学の欠片もないと思った。そうだからと言って、小説や詩歌を創作する力もないと感じた。彼はうろたえた。理想とする道を放棄することはできなかった。文学者という自負を捨て去ることができなかった。過去を辿るしかなかった。自分が創作活動をした青年の頃を思い出し、そのときと同じ活動をするべきだと思った。そこには大きな問題が横たわっていた。情熱や行動力、そして知識が欠けていることを知ったからである。その大きな問題を克服することが、果たして可能であるか悩んだ。

 

 青年のころ、若い情熱的な心で人々と接し、海や山そして野辺を歩き回り、豊かな心を育んだことを思った。ノートを持ち歩き、文字でスケッチを頻繁に行い、多くの誰も知らない感情と情景を吸収していった。年老いた現在、それらのことが期待できるだろうか。彼は自分自身に疑いを持った。そして肯定的な答えが見つからないことに落胆した。

 

 どうすれば良いのだろうと、彼は考え続けた。考え続けている間にも時は流れ、それが気がかりだった。彼は残り少ない人生に焦りを感じていたのだった。

「若い時のような発想では、とても間に合わない。」

彼の確信はその点だった。では、どのようにすれば良いのか考えなければならなかった。良い考えはなかった。やはり、青年のころの道を歩くしかないと思った。十分なことはできないにしても、適当な方法がなければ仕方がないと思った。効率よく歩くしかなかった。彼は寂しく、惨めさを感じた。糧を得るための仕事をすべきでなかったと思った。希望のために、人生を賭けて歩むべきだった。そのために死を招いたとしても後悔はなかったと彼は思った。

 

 しかし、全てが過ぎ去ったことである。糧を得るための仕事は、彼の心を満足させることは到底できない。彼の心を癒すのは、僅かの文学活動にあった。一つの方法に拘泥することなく、何でも書き続けるしかないと彼は思った。

 

 そう思うと、彼は何に重点を置き活動しなければならないかを考えた。勿論、小説であり詩歌の創作であるが、その中身を方向付けて重点的に行う必要があると考えたのである。恋愛物、時代物、空想物など色々とあるが、全てにわたり行うことができる訳ではなかった。また、創作方法も面倒な手法を用いる余裕はないと思った。彼は、明日とも知れず訪れる、人生の幕が下りることを恐れていた。

 

全ての知識を現在の活動に注入すべきだと思った。そこには余裕とか、基礎的な知識などは関係がなかった。無謀に似た状態でも構わないと思った。

 

 話題がなければ、話題を探し、作っていけば良い。そのためには、話題の小箱を作って積み重ねておけばよい。その小箱の話は筋書き程度でよい。次第に発展させていくようにすればよい。彼はそう思った。そう思うと、小さくはあるが光明が見えた。

 

 

平成十四年十二月三十日