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「改悛」

 

      佐 藤 悟 郎

 

 

 彼は病院の広い病室のベッドに横たわる妻の母の姿を見た。死期が迫っている。彼は初めてその病院を訪れた。彼の妻は毎日のように看護のために通っている。妻の母は呼吸をしているが意識が朦朧としている様子だった。そして掛け布団を少しめくると、右手や右足は紫色に変色しているのが見えた。

 「昨日は、足はこんなでなかった。」

妻は言った。そして泣いている。彼は死期の迫った人の姿を見るのが嫌だった。もっと早く見舞いに来なければならなかったのに、命が幾ばくもない時に訪れてしまった。

 

 彼が病院にいたのは、わずかな時間だった。急いで家に帰ることもせず、帰る途中に銀行に寄り預金を引き出し、コンビニェンスストアーで夕食と明日の朝食を買い求めた。漠然とした思いで家に入った。妻は病院で泊り込みの付き添いになるとのことだった。

 

 彼の決意は中途半端なことでは達成できないだろう。彼自身の不満は、全く彼自身の不始末から生じたものである。彼は過ぎ去った日々を思った。良い思い出というものは幾らもないと思った。今夜はとにかく早く風呂に入り、床に入りぐっすりと休むことだ。出鱈目の生活を断ち切らなければならないと思った。部屋の時計を見てみた。午後七時五分前だった。

 

 妻の母は平成十四年一月十七日午前六時十二分慢性腎不全で死亡した。享年八十一歳だった。病気を患って七年後の死の訪れだった。その日に仮通夜を行い、本通夜は十八日午後七時から地元の葬儀場、告別式は十九日午後一時、出棺は午後二時から、それぞれ執り行われた。妻の兄弟姉妹が葬儀に参列した。多くの人生遍歴を重ねていた。妻の上の弟は、現在無職であるが、フリーライターとして文筆活動をしている。下の弟は、最近離婚をして新しい生活を始めたようだ。別れた妻の行く末が案じられる。妻の妹は、酒を大量に飲むようになった。信じられないことだった。

 

 彼は妻の兄弟姉妹のことをそれぞれ思った。母の死は、それぞれの人と離別する契機であると思った。妻には、できるだけ兄弟姉妹の絆を維持するようにして欲しいと思った。彼は、自分自身のことは大丈夫であると確信をした。根拠はないが、時々を大切に節度ある生活を送ることによって克服できると思った。小さなことの積み重ねである。その過程では過ちが絶対無いとは言えない。挫折しないことが重要であると思った。

 

 体の調子が思わしくないと彼は感じた。体ばかりではない。心が沈んでいることも感じている。人生に対する無気力感である。最も危険な状態に陥っているといっても間違いでなかった。脱出するには時間がかかる。そうだからと言ってのらりくらりと過ごしていく訳にはいかないと思った。やってはならないことは定まっている。これからは、行うべきことを定めなければならないと思った。

 

 以前の状態とは何だったかを思い出そうとした。考えてみれば生活の理想を持ったことはあるが、実現したことはなかった。理想とは仕事にあるのではない。私生活にあることをはっきりと自覚しなければならない。そこには公私の区別を厳格に行うことが基本である。その辺の管理を行うことである。体力的な衰えもあるはずである。食事とか睡眠というものを重視していかなければならない。そうすれば私生活の時間というものは十分でないことがわかる。そんな困難な中で大望と対峙しなければならないことを思うと彼は身震いをした。