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「後退する意思」

 

      佐 藤 悟 郎

 

 

  私に女性を意識するなという言うことは不可能だ。しかし、私は一人の女性だけを愛し、娶るということもできない。広い宇宙から見た地球、それは寂しいほど小さなものであろう。そして小さな地球の中に、人間が一人一人、社会の中に生きている。長い人間の歴史の中にひっそりと生きている。その社会や生活の中で、静かに生きていこうと思っている。随分と寂しいことだと思う。

 

英雄は、人間の頂点に立つことで人間の歩みの中に輝かしい名前を残す。しかし、人間の本当の姿は、社会の頂点にあるのではない。一般的な人間性社会にあるのだと思う。人間の欲望、そんなことは微々たるものだ。世の中の男女の結びつきは、大なり小なり個々の英雄的存在を期待して結ばれるものだ。私にもこのようなことがあるならば、極力隠さなければならない。人間の誰をも愛するが、誰からも愛されたくない。人の目に付かないようにゆっくりゆっくりと歩こう。大なり小なり人間の頂点に立ち、社会を変えていく。それは、人間社会に当然の結果しか及ぼさない。一見して英雄的存在の者は、人間の動きからみれば微々たるものだ。

 

  私が女性を嫌う根拠は一つもない。しかし、女性を愛するという根拠も一つもない。淡い恋に破れた私は、二度とそんな不安定なことを体験したいとも思わない。私を好きだという女性が、私を好きになることはない。この世の中で、一生を一人で過ごすのだ。長い人間の歩みに、一人で過ごす人もあっても良かろう。たとえ、その愛というものが確かであっても、結婚という理念が自分でも正しいと認識できても、もう私の心は変わらない。一人で生きる道、ちょっと考えても苦しいことである。しかし、自分の大きな希望に歩を進めることが大切だと思う。私が年を経て無用の者となるころ、その時はもう、私の生命は絶えているだろうと思う。

 

  私は一生の世界を見るだけでよい。そして、それを書くだけで満足している。エゴイズムかもしれない。しかし、自分のエゴイズムで、その中で生きていけるなら幸せと思う。万物の中のただの一点の中で、私の生命が始まる。人々の非難が起きるかもしれないが、それでもよい。本当に好きな人ができても、私は見つめるだけで終わるだろう。私は、長生きをしたくない。それが故に早く死にたいと思っている。それも、自己の満足の中で。

 

 人間の歩み、個人の歩み、それらは何に基づくのだろうか。私は、もう大学受験などの悩みは恐ろしくない。一介の教師になろう、そして旅をしよう。教育者としての実力を保持し、自己の中の力を養い、そして内面の行動の自分だけの英雄になろう。そして、内面の生涯を閉じようと思う。人間の頂点に何も望みがないように、人に何も致命的な影響を及ぼさない。しかし実際、これらのことは望みを捨てた人間としての敗北者と人々は言うだろう。

 

人間的な望みを捨てた、私には歩きにくい人間生活になるだろう。しかし、このエゴイズムの中に、初めて自分という人間としての、人生の指図ができるという考えであることを否定することができない。他人からこの考えを崩されるかもしれないが、もう動ずることはないだろう。

 

 ただ、この私の道には暗澹とした深い底知れぬ欲望がある。自己に生きて、自己に死ぬ。それで私は満足をする。束縛のないように見える、逃亡的な人生である。それでいいのだ。一番苦しいが輝かしい道だと私は信じている。自分で自分の生きる日々に、人間の歴史のように歩いていくことだ。大いなる足音を自分に響かせながら歩くことだ。