「度胸試し」
佐 藤 悟 郎
夏の夕暮れの西の空は、紅に燃えていた。母校の高等学校の校門を出て、東の方角にある山寺山に向かって道を歩くと、遠くにある上越線の踏切の警報器の明かりが赤く見えた。西の方角に振り返ると、町並の背後に山々が黒々と迫っていた。町並は遠くへ続き、道路は白く光っていた。
先輩として参加していた高等学校の剣道部の合宿も終わりに近づいていた夕方だった。私は水の入ったバケツを持って歩いた。同級の先輩である神保君は、のめし雑巾を肩にぶらぶらさせて歩いている。私達先輩は、剣道の胴着を着て黒っぽい身支度だった。毎年、剣道部の合宿では度胸試しをやることになっていた。今年も私達同級の卒業生の五人が主体となってやることになった。私は、バケツを左右の手に交互に持ち替えながら、神保君と雑巾を顔に当てたらどうなるかなどと話しながら歩いた。
踏切を越えた頃、二年生の瀬沼君が私達を追い越していった。山に登る頃、西の空の紅も低くなっていた。時折見える上越線の線路が光っている。
山寺山に少し入ると神社があった。そこが度胸試しを受ける一年生の出発点となっており、一人ひとり、そこから山に入った墓地に行かせることになっているのである。神保君は、その暗い神社に向かって 「おい、誰もいないか。誰かいないか。」 と幾度も呼んだけれど、何も返事はなかった。私は、神保君を促し、墓地に向かって歩いていった。途中、神保君は柳の木に向かって 「誰だ、そこに隠れているのは。」 とおどけて言った。
家並みが途絶えると、道は田の中を通り、左が桐林、右が畑と墓地となって、山の中腹まで続いているのである。 「おい、この道を行くんじゃないか。」 「違うよ、この道は、あの家に繋がっているよ。高志君が、間違ったと言って、あの家でお茶を飲んでいたと言うじゃないか。」 田圃の中の道を歩いていると、山の中腹から点滅している明かりが見えた。 「おぉい、どの道を行くんだ。」 その声は山に木霊し、スーと夜空に吸い込まれていった。 「もうちょっと先、もっと先だ。」 そんな声が中腹から聞こえてくる。街中で見ることのできない蛍がいるらしく、木の上や田圃の中に灯りがふらふらと飛び交っているのが見えた。遠くの信濃川も川面の光が見え、涼しい風が肌を掠めていった。私達は、墓場への上り口で、誰かが来るのを待っていた。ようやくして、吉沢君と片山君が来て、道標として蝋燭を立て、彼らはそこに残った。私と神保君は墓地へと登っていった。途中には、藁が腐ったものが置いてあり、歩きにくい。間もなく神保君の側に水が落ちてきた。 「何をするんだ。ようし。」 神保君は私の持っていたバケツを取ると、木の上の方に目掛けて水を投げ上げた。誰にもかからぬようだった。神保君が水を汲みに行っている間、私は畑の中に目を凝らして何があるのか探した。ようやく瓜のような物を見つけた。それを割ってみると、まだ小さな西瓜だった。失望して、神保君が来るのを待っていた。
墓地の相当なところまで入った。墓地の中に細々とした道が小屋へと続いていた。私は木の陰に、神保君は丈の高い叢に隠れた。胴着は隙間が多く、薮蚊に刺されて悲鳴を上げていた。一人、また一人と来るけれど何も感じていない。神保君がぼうっと立つ姿に、腕を組んで見ている奴もいた。私は木を揺すったけれど、誰も怖がらない。神保君は、もう参ったという風にして下へと降りていった。その後に森山が来て、雑巾を当てようとしたり、それが失敗するとバケツの水をかけたりしていた。下級生は 「ひでえな。」 怖さと言うより、水の冷たさに驚いているのである。木を揺すっただけでは驚きもしない。それで私は山の頂に向かって、藪を突いて登った。苔むした墓が、意外と上の方まで続いているのである。私は大木に隠れ、そこで泣く真似をやっていた。暫くそんな風にしていると、ふと自分の方が気味悪くなり、慌てて藪を、どこここもお構いなしに下の方へと降りていった。ちょうど西瓜畑に出た。間もなく下の方から私を呼ぶ声が聞こえた。度胸試しも終わったのかと思った。
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