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「新しき活動を始めよう」

 

佐 藤 悟 郎

 

 

 私は大きな目的を失ってしまった。それが不幸だと思えば、恨みが長く心に残ることになる。姑息な詮索をすることは止めようと思う。全てが本部長の卑劣な意志だと思えばよいことである。そんな社会にいつまでも未練を感ずる必要はないと思っている。

 

 しかし、これから何を目的として生きてゆけばよいのだろうか。私の抱いている願望は、余りにも遠大である。今更どうにかなるのか、考えることも恐ろしい思いがする。大切な人生を仕事で失い、その仕事でも報われることがなかった。私の責任もあれば、組織の醜い責任もある。大切な人生を返してもらいたい思いがする。

 

 余計なことを考えなくてもよい。これから直面する人生の具体的なことを考えればよいことである。人は人、己の人生を歩くに、誰にも憚ることはないはずである。しかしながら、己の性格をよく考えながら歩かないと失敗をするだろう。

 

 まず、文学活動について考えなければならない。過去の活動の精算と、これからの活動の具体策である。

 総じて心がけなければならないことは、目に見える活動とする努力である。パソコンで管理することを悩んだ末に決めた。そのことについて云々することは止めた。

 作品を印刷することは重要なことである。更に、作品を発表することも重要なことである。作品の中身の充実を図ることも重要なことである。これらについて基本的なことを決めなければならない。

 

 現在、過去に私が書いた物を改稿している。これは完結するまで続けていこうと思っている。そのための綴りを作成する必要がある。現在あるバインダーを開け、古いものを別に保管しながら整理をしていくことである。時間のかかることではあるが、過去を知って現在の活動を推進することは意味のないことではない。

 

 文学作品の発表は、私のホームページを開設して発表すること、各雑誌等の懸賞投稿に応募することによって推進していくものとする。これらの活動については、組織に遠慮する必要はもはやない。そのようなことで対立するならば、徹底的に戦えばよいと思っている。

 

 次に生活のことである。長い人生で、健康的にも衰えが生じている。私だけではない。妻も同じことである。快適な生活環境を確立し、幸福な家庭を築かなければならない。それは、私の義務でもある。経済的な配慮と精神的ないたわりが、その主眼をなすものではないかと思う。時間を大切に、意味のあることに使っていけばよいと思っている。

 

 これらの新しき活動を支えるものは、私自身の活力以外にない。精神力を鍛えることが大切である。その基準は人間性である。人間自身が、何事にも屈しない精強なものである必要がある。

 

 時間の流れを余り気にしないようにしよう。時間ばかり測っていくと、活動が上滑りとなってしまうからである。作品の命は、その中身にあることを忘れてはならない。

 

                  平成十四年十二月二十八日