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「現在の活動方法への思い」

 

新潟梧桐文庫 佐藤悟郎

 

 

 真剣な生活とは何だろうか。私は何回もこの疑問を抱き、今まで解答を得ることができなかった。自分が、自分自身に与えた姿とは一体何だったのだろうか。文学生活、職業人としての生活、いずれにしても自分の描いた姿とは大きく異なっている。何か、過去の亡霊と戦っているような気がしてならない。過去がこうあったら良かったという想念である。私は、現実を現実として見つめるところから出発をしなければならない。現実の姿を直視しなければ、どのように姿を変えてよいか分からないだろう。現実を見つめ、現実の姿を否定的に検証していくことから始まるだろう。

 

 現実と将来、その結びつきを見詰めていかなければならない。将来、命を投げ打って行うべきものは何か。そのために現在何をなすべきなのか。必要なことは、好むと好まざるに関係なく、行わなければならない。言葉では易しいが、私の性格からして強制しなければならないと思っている。時を無駄にせず、考えの方向付けを正し、精神力を集中することが大切である。

 

 文学活動で、今、何が必要なのか。過去の活動方法に戻る意志が強い。過去を全て否定する訳ではない。文学と思想、創作力の向上など実力形成の方法を考えてきた。その結果、思想がなければ書けない、修辞的な文章作成方法が分からなければ書けないということになってしまった。確かに正しいことである。

 

 現実をみた場合、それらの能力が私に存在するか、これから私の資質の中に取り入れることができるか、これらの可能性を否定せざるを得ない。不可能なことは、自分自身に強制してはならない。一生かかっても、完全に習得することはできないだろう。限りある人生に期待することが誤りである。文学の創作に、何故、思想や修辞学が必要なのか、否定的に疑問を持つべきだった。数十年前の文学活動の自律的法則が、現在の私を支配している。このような状態は好ましいものではない。

 

 現実の私の必要な活動は何か。文学の創作のため、側面的な勉強でないことははっきりとしている。活動の中心は、創作活動そのものである。創作活動を重ねることにより、側面的に必要な教養や手法などが育成されていくものではないだろうか。創作活動を進めることによって、思想や文章が如何にあるべきかを知ることができるのではないだろうか。創作する過程で、物語の思想はどうか、人物の思想や性格はどうか、筋構成はどうか、文章表現はどうかなどを考えていけばよいのではないか。

 

 創作活動と知識習得を分離しながら活動をしても意味がない。過去の私の考えには、思想や文学論などを完全に習得した上でなければ創作活動ができないという考えがあった。このような考えは誤りである。

 

 活動の中心は創作である。創作活動こそ総合的な活動であり、創作活動の過程で足りないものを補填してゆけばよいことである。文学活動を志す者は、その活動は色々あるのが当然である。私がこれまで述べてきたことは、これからの私の活動に不可欠な考えであることは確かである。

 

平成十四年三月三十日 土曜日