リンク:TOPpage 新潟梧桐文庫集 新潟の風景 手記・雑記集 「足りないもの」
新潟梧桐文庫 佐藤悟郎
気が付いていた。私には足りないものが多くある。でも気付かぬ振りをして、現在を迎えた。愚かな自分であることを認めない訳にはいかない。これから一体どのような人生を歩まなければならないのだろうか。人生を放棄して、安楽な生活を選ぶことはできる。また、そのようにして歩いてきた私ではなかっただろうか。目的は遥かに遠くにある。諦めることができるだろうか。決してそのようなことは、容認できることではない。
足りないものが多くある。それを一日で克服することは到底できないことである。人生に翳りが生じてきた。悲しい現実である。その悲しい現実から逃避するように、無駄なことのために時を浪費してきた。人生は早かれ、遅かれ真剣に生きなければならない時がある。これからの生き様、その方法を知らない筈はない。知っていながら知らないと言い続ける私は間違っている。最初の内は、非常な困難がある。その多くは、私の悪い習慣の矯正にあるからである。強靭な意思を自ら育てなければならない。私の意識と行動を変える必要がある。
常に問題としていることは、公私の区別である。しかし、この問題が大きな問題であるとは思っていない。それを殊更に問題としている私自身に、考え方の欠陥がある。何故、共存させることを考えないのだろうか。単に生活費を得るために職場で過ごすという考え方を改めなければならない。私と思いが異なる人が多い。組織の偏見が満ち溢れている。それはそれで良いのではないだろうか。そんなところで我を張り、喧嘩をしても意味のないことである。
さて、具体的な問題点を漁らなければならない。私の毎日の行動を文学活動中心としなければならない。そのためには、最近までの悪い習慣を除去することから始まる。それと同時に文学関連の活動をしなければならない。除去すべきものは、言葉にしなくとも明確である。行うべきことには読書、創作活動、尺八の練習がある。緻密な計画を必要であるかどうかは分からない。今までの反省から、計画を先行させても無駄であるということである。時々に、何を行うべきかを冷静に考え、活動を進めていかなければならない。
除去すべきものを難しく考える必要はない。手を引けばそれでよいことである。時間とともに、除去されていくだろう。読書についてはどうだろうか。毎日少しずつでもよいから、習慣付ける必要がある。何を読むかの問題もあるが、当面、身近にあるものを選択することである。将来的には歴史関係のものと文学作品そのものを読まなければならないと思っている。創作活動についてはどうだろうか。小説と詩歌を創作しなければならないだろう。作品内容が貧弱であっても、活動を始めなければ決着しない問題である。創作活動は、人生目的の中枢をなすものであることを、明確に自覚しなければならない。
足りないものといえば、実に創作能力の問題なのである。能力を否定する訳ではない。そうは言っても、いかにも貧弱である。何とかしなければならない。そのために悩み続けることだろう。能力を高めるための方法と努力を惜しんではならない。
平成十四年三月十七日
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