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「日頃の活動について」

 

       佐 藤 悟 郎

 

 

 文学活動の実際について考え、それを実践する必要がある。余り活動を広げてしまうと収拾がつかなくなる恐れが強い。当面、初期的な段階を克服していかなければならない。私の人生である。過ちや失敗の連続、反省の日々でもあった。それでも活動を消滅させることはできない。活動を自由に広げていく勇気を持つことが大切である。

 

 ワープロによる文章処理に慣れることが大切なことである。次に、どのような活動形態にするのかを考えることである。過去との訣別が必要と感じている。更に、自分自身が文学に関し、全くの無知、素人であることを認識すべきである。その認識に立って尚かつ、無知あるいは幼稚な状態から、新しい物が生まれることを信ずる。

 

 人間と文学との間に、何か関連があるようだ。文学がどうして世の中に必要であるのかを思うことも大切である。一般的には、心の問題とされるようである。このノートはダラダラと書かれている。目的が、纏まりのある考えを作り出すことではなく、広範囲な活動を考えるためだからである。脈絡もなく、主題もないこのノートは、自由な広場である。完成度に関し、気にするところは何もない。

 

 矛盾したことが綴られるだろう。矛盾とは、大切なことであり、思考の展開に欠かせないものでもある。矛盾の無いところに、思考の展開はない。過去の私の作品を見ると、欠如する部分が目に付く。表現不足は勿論、全般的な構成が不十分で、劣っている作品が多い。現在のところ、一挙に解決する方法は見当たらない。

 

 創作には、草稿が大切である。草稿集を作りたいと思っているが、それだけの時間的な余裕が無い。このノートは、いずれ消滅する。心が一定し、安定した時に消滅すべきものである。次の段階は、草稿集の段階である。それまでの間、このノートは雑居ビルのごとく、ゴチャゴチャしたものとなるだろう。仕方のないことである。

 

 本当は、文学論、草稿、本稿という連鎖的な活動をしたいと思っている。現在の私の状況で可能であるかを考えなければならない。やればできるような気がする。失敗して元々である。早い時期に着手した方が、後悔が少ないと思う。

 

 日記を中心にした活動は、良い文学活動とは言えない。自分の事だけを追い求め、そして毎日に区切りをつけるからである。毎日が、朝に始まって夜になると終わるのである。そのような不合理な世界で生きようとする人間は、決して進歩的とは言えないだろう。一生は、生まれて始まり、死を以て終わるのである。人生は、連続である。その連続性を自ら毎日に細切れにする必要がどうしてあるのだろうか。人生、事を為すには、どうしても時間が必要である。日記なんか文学活動に比べたら、本当の傍らに小さく存在する補助的手段にしか過ぎないのである。

 

 今日も、職場から帰る時、防砂林の中の道を通って来た。それで良いと思った。これからは、人生の在るべき姿を大きく変えていく必要があると思っている。その一つは枯れた私の心を改善していくことである。抒情的な姿が、私の身体あるいは行動から消えてしまったのに気付いている。重要なことであるから、どのように対処するのが良いか考えなければならない。こうして机に向かっている姿が、果たして人間の抒情を掻き立てる姿であるのか、現実の姿を考え生活全体に抒情性を育てなければならないと思っている。

 

 世界を相手にすることは、人間の心を相手にすることに他ならない。何故、それに今まで気が付かなかったのであろうか。世界を旅することではない。世界のことを語ることでもない。人間の心を語ることが、全ての人間に語りかけることになるのである。私は、こうして机に向かっている。鉛筆を持ち、ノートに向かって書き始め、それも日記を書き始めて日記で終わり、床に入ってしまうのである。今日から、机の上にはワープロが置いてある。そして日記を優先的に書くことを止めたのである。文学を研究しなければならない。後悔の多い人生を歩むのではない。鬱憤晴らしの人生を歩むのでもない。ましてや見栄の人生を歩むのでもない。一個の人間として、文学を習い始める者として、人生を歩くのである。

 

 文章を大切に綴らなければならないと思った。美しい文章を書くことに努力しなければならない。写生的な文章も書けなければならない。文章が難しいということは知っている。それを乗り越えなければ、文学作品として決して成功しないことも知っている。辛いことである。それだけの能力があるのかと疑問を感じているからである。全く無いということはないのだと信じて活動しなければならない。時には、自分自身を優しく励ましながら活動するのである。

 

 さて、文学活動を真剣に考えるならば、時の確保は重要である。毎日活動し得る時間の組み立てをしなければならない。支障のあることは、これを排除しなければならない。音楽が流れている。音楽も心に適ったものでなければならない。平日の行動、今日の行動も考えなければならない。睡眠も考えなければならない。仕事のことも考えなければならない。仕事が終わり家に帰って何をすれば良いのか、今までの考え方は希望的な計画でしかなかった。具体的なことを示すべきである。

 

 遅くとも午後七時には家に帰り、食事と入浴をすること、それが終われば文学活動に専念することである。晩酌をしてはならない。文学活動の中心は、草稿活動であること、その時々に文学活動を行うことである。日記は翌日の行動計画を立てることで足りるものではなかろうか。毎日の行動が、不合理とならないようにすべきである。日記は事実的な列記で良いのではないだろうか。そして文学活動の範疇から外して考えることである。一日の中で、三十分も必要のない作業だと思っている。日記だけで一日が終わるような生活態度を終了させなければならない。

 

 とにかく激しい生活をしなければならない。人生の焦りをこれ程感じたことはない。安閑として眠っている場合ではない。文学活動に関心を持ち、激しく行動をすることである。余り上等に生きようとすれば、時間がなくなる。最も早く走れる方法を追い求めなければならない。