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お別れ 山古志中学校池谷分校 二年生

 

 

「悲しいときは大空に」

 先生、本当に短い間でしたけれど、私達に良いことを教えてくださいました。この二学期は、とてもためになったと思います。先生の言ったことを、何度も、何度も考え直しました。
 私は、今までとは違った人間になることと思います。本当に短かった間、もう少しでも、多くいてもらいたかった。
 悲しいときは 大空に
 楽しい時は 自分に


「授業は終わりです」

 今、先生から、今日で私の授業は終わりです、と言われたとき、なんだか寂しいような気持ちになった。
 先生に対して失礼なことをしたこともありました。親友に注意され、深く反省しました。そして先生から、他の先生から教えてもらえない何かを教えてもらいました。それと同時に、社会というものが恐ろしくなって感ずることもありました。
 先生は、良く自分が代わりの先生だってことを口に出しておられましたが、私達は皆同じなのです。そして、先生から自分を大切にしなさい…って言われましたが、それらも私には深く考えさせられました。私は、自分が我が儘だってことは、よく分かっていたのですが…
 これからは、先生の言ったことを思い出し、自分の行動に責任を持ち、自分に適した道を進もうと心に言い聞かせ
ました。
 自分という人間を、もっともっとよく知り反省をします。
 先生の言ったのを思い出しながら進んでいきます。先生ありがとうございました。


「十二月も残り少なくなって」

 十二月も残り少なくなって、冬休みが目の前にきました。先生が、この学校に来てくださってから、私は色々なことを知りました。
 
本田先生が戻って来てくださっても、先生の言葉が思い浮かぶことと思います。今まで、どうもありがとうございました。


「今日までの三か月」

 先生、今日までの三か月、色々とありがとうございました。始めから最後まで、一つも欠かさず、細かいところまで、勉強に、色々と教えいただき、何とお礼を言ってよいのか分かりません。
 先生が、あんなに細かいところまで教えてくれても、もう忘れてしまったところもありますが、それよりも先生が人間について、世間(世の
?)について、私達に教えてくださったこと、一生忘れません。
 でも、先生が人間について、世間について、教えてくれた中でも、分からなく、自分がそう実行できるのか、家に帰り、先生の言った一言一言を繰り返し、私は考えました。
 今までに、先生から、こんなことについて教えてもらった先生は、余りありませんでした。
 一番年の近いのは、やっぱり先生で、なんだか話しよく、私達の気持ちを分かってくれるような気がして、うれしいの。
 私達は、何とも言えない子供です。大人になってからのこと、何も分かりませんでした。でも、先生の言ったことを思い出し、正しい道に進みます。
 先生も正しい道に、勉強に励んでください。


「今の私の気持ち」


 先生、私の今の気持ちを一言で表すと、これからも、ずっと先生と別れず、一緒に勉強していきたい気持ちです。先生は、私達に色々なことを教えてくださった。でも、この十七人の中で、それを真剣に考えた人は少なかったでしょう。それでも先生は私達に教えてくださった。私は、この三か月のことは、決して忘れません。よく表せませんが、ただ感謝の気持ちでいっぱいです。年も近く、私達の気持ちをよく理解してくれ、色々なことを教えてくださった。
 先生、ありがとうございました。
 もし、これから小千谷の方に行って、この池谷の私達を思い出したならば、お手紙をお願いします。その時は、必ずお返事します。
 小千谷に行ったときは、またお会いしたいと思っています。さようなら先生
ありがとうございました。


「一緒にいた期間は短かった」

 私達は、先生から色々なことを学んだ。先生だから、教えるのは当然かも知れないが、私達は勉強のことよりも、むしろ人間としての考え方の方が学んだような気がする。普通の先生だったら、ただ勉強勉強という。けど、人間としての生き方、考え方など教えられなかったことと思う。その点では、とても良かったと思う。
 自分は、自分らしく生きるということは良いことだと思う。私は生きてきたからには、人のためになることをしたい。そうでなければ、生きていて良かったという、生き甲斐のあるようなことがしたい。人のことも一緒になって考えてあげられるような人間になりたい。
 今まで、先生と一緒にいた期間は少なかったけれども、学んだことは大きかったと自分では思っている。


詩 十二月

 十二月…金の綿が空から舞い降りてくる月
 そして一年が終わり
 大晦日の晩も やはり十二月
 その翌日には 来年という輝かしい年があり
 除夜の鐘の音を聞きながら眠る
 日を数えて十二月 そして一年間という
 長くもあり短くもある
 最後の月の最後の日
 だから別れも十二月なのかしら
 さようなら


「期末テスト」

 二年生の二学期も終わろうと、今日も学期末のテストがあった。テストというと、自分でも時々分からなくなってくる。期末テストが始まる二、三日前は、そわそわして勉強もするのが嫌になったりする。勉強ばかりやっていると、家の人に手伝いを言いつけられる。先生は、
「勉強は仕事の内だ。」
と言われていても、やっぱり普通の仕事をやらなくてはならないと思う。
 この世は、勉強だ、勉強だ、と言う。期末テストに入る前に、一週間前から勉強しなくてはならない。私は、自分の思ったとおり、自分の考えたとおり勉強をやった。
 いざ、テストに入ると、全然分からなくなった。始めから、ザッーと読んだが、どの問題もめんどうで手が付けられない。
 どの科目も長時間かかってやらなければならない。自分で勉強してきたところが出たときはうれしい。スラスラと書ける。
 今回の期末テストは、出来が良くなかったと思う。自分でも頑張ったと思うが仕方がない。期末テストというと、遊んだり、呑気にしていられない。通知表にも半分は点が入る。テストを始める前は、胸がドキドキして、自分が苦しくなるような気がする。期末テストは、本当に嫌だ。


「家庭の時間」

 私は、この一つの力で家庭というものを勉強をしてきました。ある先生に詳しく、それに二度も繰り返し教えられてきました。
 でも私は、一つの残念というものがあります。先生もきっと分かっていることと思いますが、ここには書きません。それに、毎時間、毎時間、家庭ということを考えて、こんなもんかという考えを持ちました。


「注意されたこと」


 先生から今日まで、色々とご指導をくださって、本当にありがとうございました。
 色々と注意され、社会に出てからのことを色々と聞いて、ためになりました。
 注意されたことが、今にも思い出されます。二か月間、色々と勉強になりました。
 社会のこと、これからのこと。本当にありがとうございました。
 これからも一生懸命頑張りたいと思います。色々聞かされたこと、忘れません。


「太陽の心」

 私は太陽の心に…
 太陽のまなざしに…
 私は ある明るい太陽になりたい
 誰がなるのだろうか? 心だろうか?
 ああ 全て太陽の光のように
 ある太陽はどんな気持ちで? どんなつもりで
 あんな微笑ましい太陽に
 私は太陽の心に
 太陽のまなざしに


「人生の道」

 なん倍 なん倍 と思いは短い道
 私の背節に刺した針
 ピリと何か、何か私を睨んでいる
 私は心に感じた
 人生の道 命の道
 あの鋭く刺した針
 私は 忘れられない針
 私も生きなければ…


「筆無精なんで」

 作文と言われないほどの筆無精なんで、何を書いていいか分かりません。
 あと少しでお正月。お正月が来れば一つ年を取るということになりますが、私はまだ年を取りたくないと、いつも思っています。
 というのは、先生から色々と世間の広さという、巨大さを知らされてからです。でも、今すぐと言いませんが、時間があって、ゆっくりと考えたいと思うんです。でも、あと一年と少ししかありません。本当に中学二年生になって、色んなことが分かりました。先生みたいに、色々と注意されたのは初めてです。今までは、全然とは言いませんが、色々な先生に注意を受けました。本当に有り難く思っています。
 先生とは、また会えるかも知れませんが、今まで色々お世話になり、本当に感謝しております。
 始めに言ったように、中学二年にもなって、書くことがとっても苦手で、意味の通じないところもあります。
 来年も一生懸命頑張っていきたいと思います。今まで、本当にありがとうございました。感謝しています。


「この村で一生を」

 私達は、この村で生まれ、この村で育った。今までには、数え切れない程の苦しみを経験した。だが、その反対に数え切れない程の喜びも経験した。
 いつも父や母と一緒に暮らしていけることも、一つの喜びだった。苦しみといえば、雪のボサボサ降る中で、冷たくなった手を息で温めながら、学校に通ったこと、夏になれば、この村だって、そんな不便なところじゃない。不便な点は、バスがこの村まで来ないこと、そのくらいなものであろう。
「都会に比べて欠けている点がたくさんある。」
等と人は言う。
 だが、私の考えでは、そんなに沢山あるとは思われない。私の姉は、
「都会よりも生まれたところの方が思い出深い。だから、みんなが都会に行く必要はない。」
などと言っていました。私には、姉が言った言葉がよく感じ取られた。
 今、姉は家にはいないが、私の一番尊敬しているのは、ただ一人の姉である。
 私も、姉の言葉を思い出しながら、この村で一生を過ごしたい。苦しいことにも、悲しいことにも負けず、私は一生を楽しく過ごしたい。


「朝と昼と夜」

 今日の朝
 昨日の朝
 毎日朝がやって来る
 今日の昼
 昨日の昼
 朝が過ぎて昼になる
 今日の夜
 昨日の夜
 真っ暗な夜がやって来る
 朝は朝の感じがする
 昼は昼の感じがする
 夜は夜の感じがする
 朝も昼も夜も
 一日の中に入っている
 今日も一日が既に始まっている


「ふと外を見た」

 先生が、最後の授業のとき言った言葉、
 「世間は広い、人間を人間と認めるように。」
 この言葉は、私の心にこびりついた。
 私は、ふと外を見た。
 山に雪が積もり
 本当に美しい
 私も あの雪のように
 清く美しい心になりたい
 そして空のように
 広大な心を持ちたい
 そうなった時こそ
 私は世間に出てみたい

 
若山牧水

 白鳥は 悲しからずや
 空の青 海の青にも
 そまず ただよう


「楽しく過ごせる日」

 私は、一日何をして過ごしたものか、さっぱり分からない。学校には、確かに勉強するつもりでくるのだが、私は学校へ勉強…。私は本当に一日何をして過ごしているのだろうか。あるときは友と喧嘩をして、時には楽しく遊んで、またあるときはしょんぼりとして家に帰る日が続いてきた。
 でも、私は、こんなことを繰り返し、繰り返している毎日は面白いのでしょうか?。私は分からない。
 でも、いつかはきっと一日が楽しく暮らせる日が待っているんだろう。
 だけど、私はそんな日は、私には訪れないと思っている。
 早く一日が楽しく過ごせる日が、一日でも早くやってこないかな。
 一日…一年でも早く…早く…やってこないかな


「長かったような」

 先生から、二か月ちょっと、家庭の勉強、教えてもらった。
 長く思いは、色んなことがあり、長い、長かったような、短かった二か月間。
 私達に感動させられた話もしてくださった。笑ったこと、先生からの話、真面目に聞いたこと、社会のこと。
 私達にとっては、本当に長いことを教えてもらった。 今まで二か月とちょっと、本当にありがとうございました。
 長かったようの、短かった。
 これから先生の言ったことをやっていきたいと思います。