「教師の話し」
佐 藤 悟 郎
「おお、久し振りだな。どうだ、大学でうまいことやっているか。」 「ええ、どうにかやっていますよ。」 この男は、私が教えた生徒の中で、一番頭の良い生徒の一人だった。彼は時々手紙を送ってくれるが、こうして会うのは高校を卒業してから初めてのことだった。人の話によれば、彼は某大学の燃料化学を専攻し、特に学業に優れているということだった。 「先生、色々難しいことがあるんです。イオンのイネルギーなどを考えると、イネルギーなるものがその辺に転がっていて、突然燃えたり、場合によれば爆発したりしてしまうんじゃないかという思いもするんですよ。空気は勿論、地球そのものが爆弾のような気がすることもあるんです。」 「私に講義は止してくれよ。全然分かりかねる。」 私は、歴史専攻だった。高校時代などは、授業をよくサボったものだから、化学のことは全く興味がなかった。 「研究生の中には、酷い生活をしている者がいるんですよ。考えに没頭していて、眠りたい時に寝てしまうんです。この間、僕なんか、つい考えごとをして電車で横浜に降りるところを静岡まで行ってしまい、帰りのお金に困ってしまったんです。駅長さんに、すっかり事情を話してどうにかしてもらいましたが、皆んなに大笑いをされてしまいました。」 「君達はいいよ。毎日、学校に通う僕なんか、実に詰まらんよ。君達を教えているときなんか、いかにも徳のありそうな顔をしていたんだが、いざ帰り道となれば、飲むこと、賭け事しか考えていないんだから。」 この頃の私は、教師の生活に飽きを感じていた。自由に物を考え、自由に物を書ける。一日中、自分の思うようにいかないと、心が落ち着かなくなってくる。
酒を飲み交わしているうちに、この男も私も口が軽くなってきた。 「先生、何故、女房を持たないんですか。」 「仕方ないよ。俺なんかに嫁にくる女なんかいないよ。このとおり飲んだくれでさ、ろくろく勉強もしなくなったよ。」 「でも、先生を好いている人がいますよ。僕達の二年先輩かな、何と言ったかな。」 愚かにも私は、その女性の名前をスラスラと言ってしまった。 「それは正子だよ。そうだろう。」 酔っ払っているこの男は、ドンと机を叩いた。 「そうそう、その正子女史ですが、大学卒業して先生の奥さんになると言って張り切っています。洋裁や料理など、本格的に習いだしましたよ。」 そう言われて、私はそう不思議にも思わなかった。卒業した生徒には、意外とそういう人が多かったからである。正子女史からは暑中見舞いと年賀状のほか、特別な手紙も受け取っていなかった。
二人で限り無いほど、酒を飲んでしまった。いつの間に寝入ってしまい、目を覚ましたのは黄昏時だった。私が起きてみると、もうこの男は酔いも冷めたのか、勉強を始めていた。 「どうだね、君の姿、幸せそうだよ。」 私は、この男になにげなく声をかけた。この男は、鉛筆を置いて暫く考えて、私に言った。 「先生、歴史は、私達人間の生き方を、何か教えてくれませんか。私は、歴史というものは、大きな確実な流れを、私たちに示しているものだと思うのです。」 「それはそうだよ。歴史は確実に流れていくし、私達人間の人生も確実に流れていく。しかし、人間の生き様は、誰にも分からない。」 「先生、私だって世間一般の人のように、金が欲しいと思います。妻を貰えば、妻を幸せに、何の不自由もさせず、暮らしていきたいと思います。大学の先生方は、大学院か研究室に残るように言うんです。時々、何か物足りないような気がするのです。私だって、しょっちゅう勉強だけをすることなんか嫌です。でも、怠けると酷いことになるのが分かっています。若いうちに学べということなんです。実際辛いです。それに、寂しいです。」 「それで、どうなんだ。」 「つまりですね、私だって確実な流れ、誠実な流れ、人間として生きたいのです。そんな幸福と、現在の私の生活は、両立しないのです。」
私は、概して歴史という大きな流れの正確さに驚き、歴史を習った。歴史というものが、しっかりとした人生を教えてくれるものだと信じていたのだ。しかし、今となって、歴史とは集団の諦め、集団の支配の流れにしか思えなかった。歴史的に物事を考えようとするこの男に、済まないと思っていた。よい弁解方法がないかと考えた。やっと思いついた弁解は、教師として実に奇妙な考えだった。 「君の心にも二つの塊がある。歴史は二つとは限らないけれど、階級というものがあって、それらの集団同士が他を支配し、そして展開している。だから、支配されている集団層は、圧迫に従わなければならない。つまり、歴史の犠牲と言われる集団があるんだ。」 「君の心だってそうだ。二つの塊があって、今は一方の塊に支配されているだろう。もう一つの塊は、そのまま沈めて置かなければならないだろう。しかし、時が歴史を左右するように、人間だって、時に左右されても不自然ではない。歴史は、未来を予想する要素をもっている。私は、本当に人間の階級が崩れ、平等で、自由かつ心豊かな時がやってくると思うよ。それは人間の中に、細やかな意識が必要だと思う。階級同化現象というものだ。君の場合も、自分自身の力で二つのことを同化させるのが、理想と思うよ。どうかね。」 私はそのときは満足だったし、少しは自信もあった。
その男は、不満そうな顔をして帰っていった。それもそのはず、彼の頭では容易に不定の状態を理解できなかったのである。それから一か月近く経ったころである。急に、この世の中というものに嫌気が差した。日本の状態、アメリカ、中国、ソビエトの状態、いずれも弊害が多くあり過ぎると思った。民主主義、共産主義に噛りついている。その欠点を単に、社会保障、私有財産制によって国民を騙しているように思えたのである。急な発展が必要だと思った。民主主義や社会主義から離れた理想的な国家、そして国民の権利と生命の確保がされる社会の実現がならないかと思った。ふと、そんな時、その男に弁解したことが、何か間違っていたように思った。すぐさま、その男に手紙を書いた。何か書いてやらないと、その男が駄目になってしまうと感じたからである。
急に筆を執りました。何か、現実というものを君に言い忘れたように感じたからです。現実が無ければ、未来の意志というものも無いと思います。先日、私の言ったことは忘れてください。あれは、私の失言で、君の心を踏みにじるものでした。言った後、私は満足をしておりましたが、ふと自信がなくなりました。 君の悩み事は、大学のその方面の教授に相談した方がよいと思います。貴方が満足する答えがあると思います。先日、君と酒を酌み交わして寝た後に私が目を覚ますと、君が勉強している姿を見ました。羨ましく感じたのです。私も勉強をせねばならないと思っています。急激に進歩する、歴史社会に追い付いていけないからです。
私も大学に入ったころは、この道の第一人者になることを夢見ていました。しかし、ご承知のように、私の入学した大学は、権威も伝統もありませんでした。それで、大望を抱くことを断念したのです。今思うと、大学生活のように、一日中勉強ができる時代が、もう一度欲しいと思っております。でも、朝から晩まで、進学や就職の仕事が忙しくて、勉強することも適いません。
どういうものか、私の大学生時代のとき、某大学にいた友人のことが思い出されます。彼は大変責任感の強い男でした。彼は努力一筋で、某大学に入ったのです。高校時代の努力は凄まじいものでした。本が買えないものですから、学校の図書館や市の図書館を回って本を借り、その上、本屋でもしょっちゅう立ち読みをしていました。疑問については、先生が答えかねるほど聞き質していました。私たちは、彼をガリ勉と言うよりも、尊敬していました。
高校を卒業するとき、彼は校内の優秀な学生として五本の指に入りましたので、某大学に進学したのです。君と同じように、化学の燃料学科でした。どういう訳か、彼と私は高校時代から気が合って、大学に進んでからも大変親しくしていたのです。彼の努力は、大学に進んだ後も変わりませんでした。彼は、いつも学者になるんだと言っていました。それも日本一の学者になり、何かを発見、発明してやると、口癖のように言っておりました。 しかし、彼は専攻科に進んで間もなく、肺を患ってしまったのです。疲れも出たのかと思います。長い間床に臥すようになってしまいました。彼の努力は、そこで見捨てられたのです。彼は、一番大切なときに、休学をしなければならなかったのです。床の中で、彼はよく私に言いました。 「私は、まだ知識が足りない。もっともっと、学問をするのだ。学び得る限界まで学ぶんだ。それから、その次に化学と言うものを考えるのだ。発明もしたい、発見もしたい。正しく達成するためには、正しいものを全て学ぶことだ。化学は常に前進している。その最先端に到達するまで、学ばなければならない。その過程での見落としは、未来の発見や発明に大きな障害となるのだ。」 そう言って、私に実験書等の参考書を指定して、持ってくるように頼んだのです。彼は、学ぶことを中心とし学習していました。
彼は、その学んだ知識を、応用する力を持っていました。疑問な点は明かそうとはせず、メモをして留めておりました。発見や発明は、現代科学の取り残しである。頂上を上り詰めて空を見つめるまで、道草を食うまいと思っていたのでしょう。彼の病気は悪くなっていきました。本を読まない方がよいと言うことにもなりました。それから大学の教授から便りがあったのです。 「君は病弱だし、頑張ってみても将来性がない。勉強を暫く止めて、体の回復を図るのに専念したらどうか。」 しかし、彼はそんなことにも平気な顔をしていました。 「先生が、僕を見捨てたのか。でもいいや、長い間に全部学び取ってやる。努力すればできるよ。」 彼がそんなことを言うものですから、私は大学の教授に聞きに行ったのです。その教授は、彼には才能があるとは認められないし、これからやっても人には追い付いていけない。学ぶだけの学問では将来性がないし、彼の生命もそう遠いことでないから、その分楽しく暮らした方がよいだろうということだった。その教授は、彼に余り才能があるとは認めなかったのである。
医者の話では、無理をしなくて、経過が良ければ未だ十分生きられるという話だった。しかし、愚かにも彼は勉強をし続けた。余り医者の注意が厳しいので、少し良くなったと言って、病院を抜け出し、私の下宿に来て勉強をしたのです。二人暮しになっても、別に私は困りませんでした。 彼の勉強といったら、程度というものを知りませんでした。朝と夜の区別がないのは、勉学をする人の常ですが、時には小便を漏らすのも知らないのです。実に困ってしまいました。彼にとって、生理の必要というものを感じなかったのです。 「無理は止せ。」 私は彼に言いました。 「無理ではない。私の命は知れている。だから、急いで、早く、そして高度な勉強が必要なんだ。」 彼は、そう答えました。私は、思い切って言ってやりました。 「これ以上、いや、もう今まで以下にしないと、君は死んでしまう。いくら勉強をしても、君は到達できないんだ。」 私が、そう言ったのに対して、彼は少しも怒りはしませんでした。 「分かっているよ、到達できないことぐらい。だが、俺は死なないよ。」 彼は生理について無関心だった。生命ということについても無関心だった。彼は、たとえ到達できないことが分かっていても、迷いを生じなかった。彼は、既に希望や理想というものから離れていたのだった。いや、理想は心の中にあったに違いない。彼は、化学者としての理想があったに違いない。私には、彼が死んでこの方、それは分かりませんでした。
彼は、もう体との戦いはしませんでした。ただ、勉強一筋にやっていました。私は、目の前で執念のような、恐ろしい姿を見ました。彼の帳面が赤く滲んでいるのです。喀血したのです。左手で手拭、それも相当に赤いものでした。右手に鉛筆を持って、汚れた上から書きにくそうに、薄く書いていました。 「馬鹿、止めろ! お前は馬鹿だ、止めろ。」 私は、その時ばかりは涙を流して言ったのです。 「嫌だ、止めない。絶対止めないぞ。急ぐんだ。」 私は、彼が完全に焦っていることが分かりました。そしてその時、彼は自分の生命の果てというものを知っていました。それだけに私は悲しかったのです。彼は、それから口に、手拭を何回も代えながら徹夜をしたのです。もう、やつれたと言うより、死んでいるようでした。私が声をかけても分かりません。もう、無意識状態なのでしょうけれど、彼の脳のどこかの部分だけが働いていました。彼は、なおも勉強を続けていました。私は、彼の後姿を見て悲しく思ったのです。夜中に、彼の鉛筆を引き摺る音だけが耳に入りました。もう、彼は死んでいるのです。もう死んでいる、しかし、生きている。
私は、この手紙を書きながら、友人の姿を思い浮かべてしまい、思うように書けなくなりました。彼の生命は、夜明けまで持ちました。夜が明けたと思う頃、小さい咳をしてウッという喉が詰まったような音を出しますと、一瞬静かになりました。そんなことが何回もありましたので、私は少し心配気に振り向いただけでした。すると、その静寂のなかに、彼は走り書きをするようにも思える鉛筆の音が聞こえたのです。次に、机に伏す音がしました。私はもしやと思い、慌てて彼のところに行きました。赤いどんよりとした血が、彼の右手に付いていました。咄嗟の喀血で、両手で口を押さえたのでしょう。粘っこい血が帳面にも流れ出し、まだ、彼の血の塊は、口や鼻から絶え間なく流れ出しておりました。私は、下宿の人と医者を呼びましたが、彼はもう死んでいました。私が、彼の使っていた最後の帳面の血を拭いたところ、走り書きが見えたのです。 「ありがとう。幸せでした。」 これだけ書いてありました。私は、どこが幸せなのか、どうして幸せなのか、現実を見た私には理解ができません。今でもです。
私は、それから彼を馬鹿な男と言いました。高校の授業で、よく君達に話した馬鹿な男の話は、彼のことだったのです。馬鹿な男と言えば、これほど馬鹿な奴はおりませんでした。出来もしない勉強をやり、正義感を持って命を捨てること、これは全て、彼の偏見のための錯誤だと思っています。 私情を離れて私が言うなれば、彼は決して馬鹿な男ではなかった。彼は、学者としての進む道も正しかったし、学業も優秀だった。そして、何よりも自分のことをよく見て、生きていたのではないかと思います。彼は、命がなくなる者が、なおも勉強するというロマン的な理想を持っていたのです。彼の人生が、不正確なもの、滅茶苦茶なものとは言えないのです。彼の人生も、彼が死に至ったことも、皆正確だったと思います。
私がこのように考えるようになったのは、彼が死んでから数年後のことです。歴史が、ごく正確に見えるのは、現在から見て、そう思うからなのです。人間誰しも正確な道を歩んでいるのではないか、誰が人の生きる道を不正確だ、誤っているなどと言うことが出来ましょうか。 私が、前に言ったことは結果から見た正しさではないのです。あれは、私の心の中で作った、私の理想の正しさなのです。君が死んで始めて、君の人生は正しかったと言えるのです。君が死んで始めて、他人が君の人生が正しかったと認めるのです。歴史が、時が過ぎて、現在の人が過去を見て、正しい正確な流れと言うのと同じなのです。 人生の正確さ、正しさは、人生それ自身なのです。私達は、人生というものを否定できない限り、その人の人生というものを、不正確だったという風には言えないのです。よくよく考えてみれば、後の方のことは、私情を離れたつもりなのですが、私意が入ってしまったようです。だから結論が正しくないと思っています。ただ、私は友人が無惨な死に方をしたものですから、そう感ずるのです。 終わりになります。 「君だけは、体を大切に願います。」 暮れぐれも、勉強を大切に。
それから幾日もしない内に、その男から手紙が来ました。その男は大変喜んでいました。自分の人生というものに、自信を持ったようでした。その男が、どう進むか知りません。その男は、私の友人の話を大変ためになったと書いていました。よく考えてみると、友人の理想というものや、友人が本当に求めていたもの、生命を犠牲にしてまでも求めたものとは、その男を通して理解が出来るように思いました。その後更に、私は色々と考えてみました。友人の本当の想いは、その男が夢を実現することだとも思いました。
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