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   「天満宮のふもとに」

 

                            佐 藤 悟 郎

 

 

 小さな天満宮の社から、鳥居が二つ見える。石段の中程に、朱色に塗られたものと、石段のふもとに石のものがあった。そして、松並が両脇に枝を覆っていた。社の境内も、松林に囲まれていて、歩き回るのに手頃な道と、起伏があった。その土色の幹を通して、砂浜は白い。その奥には、鮮やかな色を発する海があった。

 

 別に、働いてもいない青年が、天満宮の町に、下宿住まいをしていた。彼は、天満宮の社から抜けて、海に出る散歩が好きだった。軟らかい土や草に、足を踏み、時折、幹に手を掛け、海を透かし見る。仰ぎ、松の葉枝を見、空を覗き見ること、それが、ごく親しみがあった。

 

夕暮れになって、海の彼方に陽が没するころになると、真正面から光を受け、松林は、赤黒い中に融け入ってしまう。そして、海が赤く、青く光るので、一層、林の中は薄暗く思われる。朝は朝で、海の霧が社に流れ、ほんのりと浮かぶ様は、影の如く、松林は、霧の中に浮いている。

 

 夕暮れ、陽の没するころに、人々が、特に若い人が歩いているのを、そぞろ見るのも、青年の心に親しい気持ちを起こさせた。近くの高等学校の生徒は、朝早く訪れる人もあれば、夕方に、ぶらつく人もいた。田舎町にいたころの青年は、このような長閑な、しかも、優雅な風景を見るのは、楽しかった。

 

 朝夕、毎日のように出歩いていると、自ずと、朝歩く学生、夕方歩く学生の顔を覚えてくる。皆、清純で、高貴な姿に写ってくる。さすが、一日中、霧の深い時や風の強い時、それに雨が降る時などは、人は歩いていない。そのような時でも、青年は身軽な姿で、出歩くのが好きだった。

 

 土曜の午後になると、学生の姿がめっきり多くなる。晴天の日などは、幹に凭れて書に親しむ者、グループをなして軽い宴を開いている者達、広い社の中に、軽やかに話し声が流れる。遠くの光の中の砂浜に、波と戯れる人達の躍動、波の縞の動き、清らかの人に、青年は喜びを捧げていた。

 

 四月の冷たい風も去り、五月の桜の美しさも去り、ささやかな六月の天満宮の祭りも終わった。知らぬ土地に来て、いつしか青年も、学生達の和やかさに、そっと、独り身であることに寂しさを感じた。多くの人の語らい、青年の高校時代になかった優雅さに、いかに、もう過ぎた時代の、取り返しのしようのないことに、寂しさを感じたのだった。

 

 下宿の主人の自転車で、時折、町の古本屋に入ることがある。安くて、読む価値のある本が並んでいる。刺激の少なかった田舎町で、良書を探せど見つからないことを思うと、古本屋に入るのは、一つの楽しみだった。買った本を携えて、天満宮の社で、小説や物語に親しむのも、寂しさを紛らわせるのに、絶好だった。

 

 こうして、学生の中に混じり、学生がするようなことをすることに、自分の過去を取り戻せると思った。本から去って見ると、学生達との、ほんの少ない年齢の差のあることや、親しい結びつきのある姿を見ると、やはり、どうしょうもない様に思われた。浜を歩いても、男女が入り交じり、バレーボールを打ち上げる姿に、あの一回ずつ、同じような動きの中でも、彼等が、互いに、その度毎に打ち解けあっていると思うと、今更、何も取り戻せぬことは、確かだった。

 

それでも、反れた球が青年の足下に転がってくると、丁寧にそれを返すのだ。それが、一つ学生達と親しくなれた思いのする一瞬だった。学生達の各人が

「ありがとう」「済みません」「サンキュー」

等と口にするのを聞いて、微笑むことすらあるのだ。しかし、大抵は、いつまでも、そう言うグループの側で見ていることが、卑しい者のように思えてできないのである。遠くに、ただ見ていることが多かった。

 

 学生達には、学生達の城があった。目に見えないけれど、学生でない青年には、その中に溶け込んでいくには、いかにも越えることができない壁が聳えていた。お互いに顔を見知っていても、人の社会の常で、それだけでは、本当の親しい交わりというものはないのだ。

 

 喩え、青年が、学生達の中に入って、楽しく過ごすことができるとしても、自分が学生でない限り、心苦しさに募り、果ては、今より一層の寂しさを感ずるだけだ。青年は、その一時の楽しさを、深い寂しさを受けようも、味わいたいと思っていた。

 

 時折、青年にも、顔だけ知っている学生に、近付きやすい時もあった。街にぶらついていると、顔を知っているだけで、目を交わすことが多いからだ。雑踏の中では、それが一番楽しいことだった。デパートで、本屋で、喫茶店で、そして遊び場で、そういうことが多かった。顔を綻ばせてくれる人もあった。そういう人には、青年も、それに応えて微笑みを浮かべた。こういう雑踏の中では、彼等は、最早学生としてではなく、城から出た、社会の人々であるのだと思った。しかし、そういうことがあっても、社の中の時は、もう学生達は、彼等の城に入っている。心に、親しさを宿っているけれど、城の中では、余りにも青年から見えにくい存在なのであった。

 

 学生達は、年若く、精神的に弱いが、それだけに学生間の結びつきは強い。青年が、学生の中に溶け込んでいけないと同じように、彼等の結びつきのある城の付近では、社会に飛び出していくことはできないように思われた。

 

 勉強しているでもなし、働いているでもなし、ただ、社会を傍観している青年は、隠棲するには、いかにも若すぎる。心ができていないのである。小さなものであっても、自分で自分に満足するようなことは、決して起こり得ることではなかった。男子学生が、青年の側を通り過ぎていく時、後ろ姿を見つめ、知識のなさにおののき、女子生徒が通れば、純潔清廉な者への憧れも湧いてくる。初夏の陽の下で、ただ茫然と、彼等を見つめていることも良くあった。

 

 土曜日の午後になり、高校生は社に飛び出し、仲間同志の戯れを楽しんでいた。毎日の、一見変わらないような姿の中に、青年の目には、彼等の心の動き、一つひとつ作られ、成長していくのには心打たれるものがあった。青年が、今、何もかも出発しようとしても、確かに遅れていることに気付いているからだ。

 

 その日、青年には、その心の喜びがある日だった。真っ暗い寂しさの中に、女生徒が軽い礼と、軽い微笑みを与えてくれたのだ。緩い歩みで、松の幹を巡り、海の彼方に、淡い青色に浮かぶ島を見つめていた。それを遮るように、女子学生が、前を横切った。青年は、じっと島の方を向いていたが、自分の方に目と顔の半分を、恥ずかしそうに向けている人の頭が、青年の目に入ったのだ。そして、目を交わした時、その女学生が、ひどく微笑んでいるのに、直ぐ、同じように返した。その女学生は、誰にも知られないように、軽い頷きを見せた。同じように返すと、その女学生は、仲間と共に、浜へと歩んでいった。高い壁から、一人微笑みを見せた。到底、外側から入れる壁ではないのだ。しかし、その女学生の、誰知らずの行動は、やはり、城の中の人のものだった。青年は、親しくなる時のことを待っていた。希望があった。しかし、自分には、何もないことも知っていた。憧れであって、その女生徒への愛ではなかった。知っていることと言えば、その女生徒の顔と容姿、声である。

 

 その女学生が微笑みかけてくれたのは、別に、この日だけではなかった。自転車で街から帰る折り、その女学生の帰途に、顔を出会わせてしまい、その時も交わした。デパートの休息所で、煙草を吹かしている時、(その休憩所は、込んでいた。)隣の人が席を立つや否や、その女学生が、いかにも疲れたという風体で座り込んだ。尤も、青年には、衣服の替わっていたために気付かなかったが、「あら」と言われて見返し、その笑顔でようやく知れたという調子だった。その雑踏の中で、いくつかの言葉は交わした。デパートのことについてだけだった。間もなくして、女学生の連れが訪れ、立ち去っていってしまった。その日、浜に向かって歩いていく、その女学生の後ろ姿に、喜びを感じたのは他でもない。彼等の城の中で、それをやってのけたからだ。親しみの感情が、俄に湧いてくるのを感じた。

 

 その女学生について、何も知っていないので、親しみ深くなるのは危険だと思いつつも、ついぞ、憧れは太っていくばかりだった。一度、礼を交わした間というものは、その行為だけは長続きした。

 

 幾度も、それが続くと、何か、全て、青年は、自分の憧れが、その女学生に入っている人と思えてならなかった。そして、崇高な女性として見つめるようになった。憧れは、貪欲に似て、深く落ちていった。

 

 愛というものには、程遠いことにも気付いていた。まだ、その女学生のことを、何も知らない。全て知って、理解し、判断し、溶け合うことがないからだ。青年は、溶け合うことに期待をかけていた。

 

 今度、街で気安く会うことができたら、どこかに誘って語り合いたいと思っていた。そして、良き理解をしようと思った。その期待は、直ぐ訪れた。本屋で会って、喫茶店に誘っていった。しかし、いざ語り合おうとしても、間柄の無知の同志は、話が弾むはずがなかった。その女学生は、意外と口が堅いことが知れた。心の底を見せまいとするのだ。青年は、心を装っていた。暗い中での言葉の交換が重なるにつれて、女学生は、装った青年を見抜いたためか、黙って顔を背けた。名前も言わず、名前も聞かず、行き詰まった中に

「出て行きますか。」

顔を背けたまま、女学生は頷いた。立ち上がった青年は、小声で、またあって話したいと告げた。女学生は、首を横に振りながら、

「駄目ですわ。忙しいから。」

そう言って、消えた。寂しく、青年も消えていった。

 

 毎日、登っていた天満宮の石段が、高く急に見え、足取りも重かった。そして、そぞろ歩きも、楽しく心に残るはずの人々の動きも、不愉快に思えてならなかった。素知らぬ振りして通り過ぎる、その女学生、しかし、彼等の城の仲の親しさは、いつものと同じであり、成長もあった。時折、見つめられると、人々の目に、卑しい自分の姿が浮かんでいるのに気付いた。予期された寂しさだった。その女学生が、自分にとって崇高な婦人であることには変わりがなかった。だから、一層、寂しく思えるのだ。それから、青年は天満宮の社の軒下の石に尻を下ろし、遠くの松林や白浜や海を見ることが多くなった。本当に、この社が、青年の目には、城になって見えた。この美しい城を、遠くから望む他ないのだ。人のいない時や、少ない時に、泥棒のように、こっそりと社に入っていく自分になってしまった。その時の、自然の姿は、青年を区別なく迎え入れてくれた。彼等の城は、消えているのだ。それだから、城になった時、追い出されなければならなかった。

 

 もう、明るい陽の下で、そぞろ歩きもできなかった。遠くから見つめるだけになってしまった。その女学生が、男の生徒と並び歩いている姿を見るのが多くなった。勿論、彼等の仲は知らないが、親しいことは事実である。失言や不敬にも、許し合える仲は、学生間の中には、普通である。親しい城の中では、もう装いも必要ないのだ。青年は、その中に入って、自ずとそうなっていくことに、羨ましさを感じた。装いなしの自分は、いかにも弱々しい思いがしてならなかった。

 

 その女学生が、手の届かないところにいると思うと、もう、手の出しようがないのに気付いた。そして、陽の下で、本を携え、見交わし、語り合い、男女の心の通いと、理解の進みざまが著しいのを見て、その女の眼前から、消えなければならないと思った。一日の、その仲の出来事が、青年が、今までかかってやってのけた冒険より、遙かに多く、多様であった。いつしか、青年も、学生達の眼前に現れないように努力した。

 

 早朝の散歩、雨の日の散歩、霧の深い日の散歩、風の異様にまで強い日の散歩、まるで、青年は、日の下に出れないように思った。陽は、自分の卑しさを見せると思ったのだ。

 

 空は晴れていたが、風の強い日だった。青年は、天満宮の社に出かけた。海の怒濤が聞こえ、海は真っ白になっていた。晴れた日に、そぞろ歩くこと、久し振りのことだった。乾いた土も飛んできた。青年の歩く日は、歩くのに適しない日ばかりだった。人が寄り付かない、厳しい中に身を投げ、空しく帰るだけだった。しかし、その日、その女学生の姿を見た。幹の陰で、そっと、いつまでも見ていた。その女学生の衣服は、風に任せていた。男の学生は、肩に手をかけて、遙か彼方を指差していた。その方向を覗くように添う姿、恥じるように髪を押さえ込む姿、互いに見交わす姿に、じっと見入っていた。激しい風の中で、海に臨んでいる二人の姿は、激しいまでにも近寄っていたことであり、もう晴れた風の強い日も、青年の目には、そこが堅固な城となった。一つ奪われたのだ。

 

 雨の日の散歩とても、気軽にできなかった。雨という飾りの下で、楽しむ学生達が多いからだ。まだ明けやらぬ、霧の深い朝だけが、青年を心安く迎え入れるのみだった。霧の彼方に、ほんのりと明るさが生じ、松の木々が影を浮かべるころには、もう下宿に向かわなければならなかった。朝の名残を楽しむ生徒も、意外と多いのだ。

 

 青年にも、ただ一度だけ、日の下の天満宮の社を歩いたことがあった。土曜も夕暮れ近くのころだった。田舎から妹の訪れと共に、案内したのだ。快活な妹は、腕に寄り添って、この夕暮れの景色が気に入ったらしい。学生が多いのも、気に入ったらしい。砂浜に近い、松の幹の下で腰を下ろしたが、早く抜け出したい気持ちに駆られていた。妹は、学生である。それだけの理由で、この城に迎え入れられたのだ。見知らぬグループの中で戯れている。時折、言葉も交わすのだろう。その日、妹は、他の学生と同じように、暮れ果てるまで遊んでいた。

 

 盆が近くなって、故郷に帰る前日、同郷の友と酒を酌み交わした。友は、大学生で、専攻の学問に熱中していた。その忙しい折、青年が誘ったのだ。働いてもいず、また、その気もない。故郷に帰ることも、また、できぬ心を告げた。

 

 友は、熱心に大学に入るように勧めた。友は、高校を思いながらも、大学の力強さのある学問も説明した。気楽な異郷の旅に、何か、一つ掴みたいと思っていた青年に、大学への希望は膨らんだ。大いに飲み交わし、別れた。真夜中、月明かりの下の天満宮に、そぞろ歩いた。やると決めた青年は、徹底していた。

 

 故郷に帰って、両親に、その旨を告げ、再び下宿に帰った。高校生の休暇中にも、勉強と散歩の日が続いた。

 

 青年は、自分の無知も知っていた。体の弱いことも知っていた。しかし、現在、青年の大学への決心が変わらない限り、激しい勉強に追われなければならなかった。半年の間に、一応の実力を纏めなければならない。二日に八時間の纏まった睡眠を強いた。一日毎に徹夜だった。弱い体に無理があった。しかし、今の彼には、能率や頭の冴えを考えるより、より多くの本の内容に接する必要があった。それだけに、人のいない天満宮の散歩は、楽しみと、休息を与えてくれた。何もかも忘れ、自然と親しむのだ。

 

 高校生の夏休みも開け、一層、社に近付きにくくなった。九月の朝、人も、霧で区別がつかないほどのころだった。日頃の苦しさに、じっと耐えていた。自分さえ忍べば、自分の道が開ける故も、全てを忘れ、見覚え、肌触りのある、松の幹の中に戯れていた。苦しそうな溜息に聞こえるのが、周りに響き、ただ一人の者が、無邪気に駆け巡っていた。大自然の中に、ただ一人、それが本当の人間の姿かも知れなかった。学生達の姿は、一体、何の姿なのだ。それも、真実の人間の姿かも知れなかった。個人として、多集団としての違いでしかない。

 

 その朝、青年が、下宿に帰ろうとした時、天満宮の社の下に、一人の学生が待ち受けていた。顔は、互いに見知っていた。朝の挨拶を交わし、青年も立ち止まった。

「これ、君に、是非、読んでいただきたい。」

青年の眼前で、頁を捲り、「我々の園か?」と言う題のところを開いた。

「君には、大変無礼なことをしたと思っている。この題材に揚げた主人公は、君なのだ。もし、私の考察が間違っているのなら、私に言ってください。」

そう言って、その学校の文芸誌を青年の手に残したままに、社へと消えていった。青年は、急いで下宿に帰った。一体、自分の何が、書かせたのだろう。短い文章だった。

 

  

 「我々の園か?」      川合平二郎

 

 私は、よく勉強の虫だと言われることがある。しかし、我々に勉強の楽しさを抜いてしまったら、何が残るだろうか。知恵や知識しかないならば、おそらく、深く自分のことを考えた時、小さな、寂しいものとしか思わなくなるだろう。労働のある現世では、それが代わりの役目をする。しかし、それしかない人に、知恵や知識のみでは、生きていけないのは明らかに思える。私が勉強する中でも、天満宮に出かけるのは、大いなる楽しみの一つだ。だから、色々な時の天満宮の姿を知っている。我々、学生に深い憩いを与えてくれる。

 

 皆も気付いているかも知れないが、春と初夏に、我々学生達ばかりの天満宮の園に、一人の青年が、毎日のように散歩している。そして、今は、その青年の姿は、我々の目には入らない。皆は、散歩は、もう止めたのだろうと思っているに違いない。しかし、私は、あれ程まで、毎日毎日散歩していた人が、止めるようになるまでの原因が何か、不思議に思えてならなかった。努めて私も、毎日出かけるようにした。そんな中で、どしゃぶりの雨の中に、遠く浜辺に向かって歩いている、その青年を見た時、驚いた。

 

 毎日、散歩に出ているころの、その青年には、一種の暖かさを感じた。羨ましいほどにまで、余裕が感じられたからだ。その余裕の中に、果てしない底力を感じたのだ。可能性の大きいこと、人間味の溢れていること、敬意に値するほどの人と、私は見做していた。我々の書に親しむ姿に、温かい目を投げかけてくれる。打てば、打ち返してくれるような、柔らかい人間のように思っていたのだ。

 

 土砂降りの雨の中で、一人の姿は、いかにも寂しい姿に見えた。余裕の使い道を知らず、迷っている人のように思われた。私の悪い癖で、その青年の行動を観察してみようと思った。彼の散歩と、天満宮の社の監視に、殆ど費やした。私なりの結果は出た。それは、青年の天満宮に訪れる時と言うのは、決まって、私が、危険に曝されるような日ばかりだった。絶え間のない、大粒の中で、下駄履きのままの青年は、泥にまみれていた。コウモリは差しているけれど、青年には、散歩するのが目的のためか、泥を撥ねあげ歩いていた。濡れることには、平気である。霧の深い日、間違って走ったりしようなら、足は草に奪われ、体は松の幹にぶつかってしまう様な日である。その中に、青年は、走りのけていた。余程、この我々の園を知り尽くしているらしい。幹に寄り添って、何かを見つめるようにしている時もある。力一杯、木と戯れることもある。余裕というものが、私の心に感じられた。深い霧の中で、青年を見失うことも多かった。あるいは、草に足を取られ、幹にぶつかることも、私には屡々だった。しかし、天満宮の我々の園は柔らかく受け止めてくれる。我々学生の中で、この園を貶す者がないほど、美しく、また、魅力ある園なのだ。いや、青年にしてもそうなのだ。増して、我々の感情より発達している青年の心には、一層強いのかも知れない。そう思うと、私は、その青年が、ひっそりとした、この園を愛しているのだと結論を出した。しかし、毎日、朝早く、青年が出かけるのを見て、それは当たらない結論だと分かった。

 

 朝早く起きるのに慣れている私だが、本当に結論として下せて、この機関誌に載せ得るには、確かな真実を捕まえなければならないと思い、朝の学習を欠かしてまでも、天満宮の園に出かけた。青年は、私がそこに着くころには、もう、そぞろ歩いている。陽が昇り、海が明るくなりかけるころには、決まって幹に凭れ、見つめているのだ。それが終わると、下宿に帰ってしまう。それは、陽が昇り切り、松陰ができると同じ頃である。これで読者の人は、青年の姿を見ることができなくなったことを知ったと思う。

 

 簡単な事実、一つに、それは我々が青年を見ることがなくなった。その経過は、私の覚えている限りでは、我々が見失う前に、よく社の軒下に佇んでいるのを見た事実である。もう一つに、園に出るのが、決まって、陽の明るく輝いている時ではない。当然、ここに結論が下されるのは、青年が、我々の視野内に出ることができなくなった。我々を避けているという事実である。私は、原因の知るまでは、安心していられない気持ちに駆られた。陽の下で、一緒にこの園を楽しみ、私にとって、いや、誰にとっても、言葉を交えないにしろ、親近感を持っていたに違いないのだ。しかし、それは一時の言葉の綾であって、真実、理解し、判断しあえるのは、ずっと後のことである。青年の素行を見れば、愚に値するなどとは、誰も決め得ないのだ。いや、賞賛に値する人と、私は思っている。私は、何度も、青年と言葉を交わしたいと思ったかも知れない。しかし、我々を避ける原因の追及、結論が出るまでは、止そうと思った。それは、言葉は、一つの装いにしか過ぎず、未知の彼に、心打ち解けて話せるようになるには、学生と社会人のあるために、長く時間がかかると思ったからだ。また、一時の言葉の交換で、気まずい思いをしたくないからだ。それよりも、青年の行動を見守った方が、遙かに早い出来事と思った。

 

 青年が、我々学生と疎遠になったことを念頭に置いて、追いかけた。私は、その青年の余裕の大きさを疑ったことがあった。風が吹き、晴れていた。その日は、台風の前触れか、学生は、こうも激しいと園には出かけなかった。私も、陽の下では、まさかと思っていたが、とにかく天満宮の社に出かけた。するとどうだろう、青年は、男女二人連れの学生を、じっと窺っているではないか。私は、知っている。その青年が、見れば必ず去る青年なのに、風に乱れた女学生に牽かれたのかと考えた。卑しい奴だと思った。何も、これ程にまで時間を費やして、こんなちっぽけな人間を追い求め、教養の低さ、結論が迷ってしまった。こんな下らない人間を雑誌に取り上げることはできないと思った。青年は、その二人連れをできる限り、目で追っていた。消えるまで。

 

 暫くの思い沈んだ姿に、私は、まだ言葉を交えず、追いかけ回した姿も見られずにいたことを、本当に良かったと思った。それは、私の疑念を晴らすように、青年の姿が示してくれたからだ。卑しい者が見た後に浮かべる快さは見られなかった。ちんつうなすがただった。

 

 私は、少しでも疑いを持ったことを恥じた。春のころ、初夏のころでも、女学生の乱れた姿は、見れたはずなのだ。実際、私も、そんなにまで戯れる女学生を軽蔑し、しかも、時折、目の保養にチラッと見ることすらあった。そういう時、青年は、いつも、余裕のある戯れる人間の躍動の清潔さを、美しい眼差しで見ている。そんな青年の姿に、私は、自分の恥を、いつも感じていたのだ。風の日の二人連れ、青年と関係のある人達に違いないと思った。それは、その日の沈痛な姿で窺われた。

 

 ここで重要な一つのことからは、関係のある人と言った根拠である。関係のない人ならば、いつまでも見ていなかっただろうと判断できるからである。もう一つは、関係のある人にも近寄れなかったという事実である。ここに、青年と我々の、溝の原因が隠されているのではなかろうか。これは単に、その女性に恋したと理解されるかも知れない。そうであっても、私の最後の結論には、影響がない。

 

 夏休み近くの土曜日に、我々の園に訪れた人なら知っているだろう。青年は、突然にも、我々学生の中に、女学生と寄り添って歩いてきたのを思い出して欲しい。惚れ惚れするような、気品のある、快活な女性だったことを思い出して欲しい。多分、その女学生を見た人は、振り返り振り返り、何度も見つめたことであろう。実は、あの女性は、青年の妹なのだ。快活のためか、我々の仲間とも遊んだ。日が暮れ果てるまで、君達の中にも、言葉を交わした人もいるかも知れない。このことで、私は、最後の結論を下さない訳にはいかなかった。その日の事実、青年の妹が、学生間の仲間に入りはしたが、最後、暮れ果てるまで、青年のところに戻らなかったという事実である。兄妹なのに、どうして、そのような事実が生まれたか、これからの結論は、私の空想にしか過ぎないだろうか。

 

 学生と社会人との間が、離れていることである。それはそれとして、学生が融合しようとしない事実である。青年から、女学生を取り上げ、社会人の青年は、置き去りのままだった。青年の春、初夏の親近感というものは、隔たりのない人間として、学生も社会人も含む人間として、信じていたかも知れないのだ。我々が、青年の妹を奪い去り、その妹さえも、兄に手を伸ばし、取り合うことのできない事実は、目に見えない壁の存在のあることを示す。青年が、我々を避けた直接の原因は、容易に測れる。溶け入ろうとした、誤解か、その方法の失敗のために、突然、日頃の交わり難さが頭を持ち上げ、自分と学生の間に、壁があるように思ったのだろう。いや、もう手を尽くしても、もうどうしようもない程の城柵があると思ったのだろう。そして、違う世界に入っていく愚かさに気付いたのだ。

 

 しかし、私の尊敬する青年は、天満宮の社の美しさを忘れず、愛したのだ。我々が、この地が、愛を超すほどに親しくしているように、一度味わった、この園は、人を魅せる力を持っているのだ。しかるに、我々学生は、伝統的に、天満宮の社を「我々学生の園」と呼び、集まるのだ。そして、目に見えない柵を築いてしまうのだ。この自然の美しい風景を、我々の園と呼び、柵を築いている事実、本当に、我々の園だけであるのだろうか。休日の日にさえ、この地を、学生の園にすべきなのだろうか。この社を愛する人のいるのを、忘れて良いものだろうか。我々は、この地に柵を作った罪に、真に、この社を愛してくれる人には、手を取ってでも招くべきだと思う。そして、親しく溶け合うべきだと思う。それでこそ、我々の園になり得るのだ。柵を作らぬように、日頃気を付けなければならない。訪れる人を理解してあげなければならない。社会人、学生を越えた、人間のものなのだ。そして、我々学生の義務というものは、この園を美しく保つことにあるのだ。

 

 青年を通して、あの善良な青年を通して、意外にも、社会の人と学生の溝が割れているのに気付いた。学生が、社会人としての性格を持つのに対し、彼等にはないのだ。しかし、全て我々は、善良な人間としての立場を取ることによって、解決する可能性はあるのだ。

 

 青年は、無言の中に、この天満宮の園が、私達のものだけではないことを教えてくれた。そして、少なからず、学生が学生という名の下で、柵を築いていることが多く、その中で狭いことしかできない、現在の我々のことを教えてくれた。そして、我々に、学生というよりも、善良な人間の名の下に暮らすということを、暗に、教えてくれたのだ。

 

 もし、私の推察に間違いなかったら、青年が我々を避けるように原因を作った人は、即刻、天満宮近くのお菓子屋さんに下宿している、その青年を訪れて、太陽の下に、我々の仲間に連れ出してきて欲しい。我々は、全員で、拍手で迎えてやろうではないか。

 (終わり)

 

 

 青年は、読み終えて閉じた。鋭い程まで観察され、そして、自分の心の動きの的確な捉え方、考察の技に、恐ろしさを感じた。間違いはないと思った。男の学生は、園に柵を張ったと言ったのに対し、青年は、白の壁と思った違いはあった。

 

 その書を読み終えて、一週間ほど後の土曜日、再び、青年は、日の下で、心隔てなく、そぞろ歩きができる最初となった。青年が、崇高なる婦人と思っていた、その女学生が、昼下がりに、下宿に訪れたのだった。恥ずかしさか、それとも、心苦しさのためか、俯き加減だった。

「やあ、久し振りですね。」

「あの、お暇でしょうか。お誘いしたいのですが。」

「ええ、行きますよ。」

二人は、連れ立って、天満宮の石段に向かった。

「お名前は。」

二人は、同時に問いかけた。そして、明るく笑い出した。名乗り交わした。二人は、隠し合うまい。長い間の理解が待っているのだ。前に、言葉を交わす時よりも、親しみは増していた。

 

 久し振りに、松影の明るい石段に足をかけた。朱色の、中の鳥居の陰に、あの本を手渡した男の学生が立っていた。青年の姿を見ると、駆け下りてきた。

「きっと、君達が来ると思っていた。さあ、行こう。」

三人連れになって、石段を上っていった。天満宮のふもとは、小さくなっていた。