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「吹雪」
佐 藤 悟 郎
白い雪が積もり、夜の月影に浮かんでいる。そんな雪原の中、一本の道がくねくねと曲がりながら続いている。彼は、母の友人に頼まれ、小学校の校長先生を迎えに行くことになった。雪原を抜けて山の裾野や崖の上の道、そんな危険な道を通り過ぎた。空が曇り、冷たい風が吹きつけてくる。彼は怖さを堪えながら、漸く集落にたどりついた。校長先生は、この集落の区長の家にいるとのことだった。
彼がその集落に入った時、酷く荒れた吹雪となっていた。彼は、両手を口に当て、手に息を吹きかけ、僅かな暖を取りながら歩いた。細かい雪が、彼の顔に容赦なく吹き付ける。不用心にも、彼は学生服のまま出かけてきたのだった。集落に入って間もなく、灯りのついている家に立ち寄り、区長の家を尋ねた。彼は、教えられた通り、大きな欅のある家を目当てにして区長の家にたどりついた。
彼は、区長の家の玄関戸を力一杯に叩いた。その音を聞き付けた区長の娘の声が聞こえた。 「お母さん、誰か人が来たようよ。」 その声の後、間もなく女中と思われる人が玄関の戸を開けた。戸が開くと彼は玄関に飛び込んで、勢いよく戸を閉めた。彼はズブ濡れになっており、服が体にこびり付いている有様だった。 「今晩は、校長先生はいますか。迎えにきたのです。」 彼が玄関に立ったままそう告げると、間もなく校長先生が姿を見せた。 「さっき電話をしてね、今夜は区長さんの家に泊めてもらうことにしたよ。君が来たら、すぐ帰してくれるようにと言っていたよ。」 校長先生はそう言うと、直ぐに奥へと姿を消してしまった。
彼は呆気にとられ、腹立たしくもなった。外は吹雪で寒い、少しの暖を取りたかったのだった。すると間もなく、彼の前に女主人らしい人がやってきた。 「あら、そんなところで…。濡れているのね。そうそう、そっちの方を通って土間へ行きなさい。火を焚いていますから。」 彼は、ひとまず土間へ行くことにした。外では吹雪が酷く荒れているだろうと思った。区長の家は大きなしっかりとした、豪快な造りの家だった。土間は広く、真ん中に炉端があった。下男風の男が側にいて火を焚いていた。 「さあ当たりなさい。学生さんだね。」 彼は震えながら、下男風の男に一礼をして、勢よく燃える火の近くに屈み込んだ。
下男風の男は、彼にお茶を出すと色々話しかけた。服も生乾きであるが体も暖まり、彼はできるだけ早く帰らなければならないと思い立ち上がった。 「服も乾きました。帰ります。」 「帰りますか。今は、冬休みなんでしょう。もう一寸いなさいよ。よかったら私の部屋で泊まっていきなさい。」 彼は、母が心配して待っているから、帰らなければならないと答えた。 「町まで帰るのですか。二時間はかかりますよ。」 外の激しい吹雪の音を聞きながら、下男風の男は心配そうに彼に言った。その時である、集落の若い男が区長の家に飛び込んできた。町への道に雪崩があって、通ることができなくなった。通れるようになるまで、どの位かかるか分からないということだった。 「そうら、今夜は泊まっていくより仕方ないでしょう。」 下男風の男は、少し微笑みを浮かべて彼に言った。
彼は母のことが心配だった。 「どうにかして、町まで帰れないものでしょうか。」 彼のその問い掛けに対して、下男風の男はただ首を横に振るだけだった。その下男風の男に孫がいたが、雪崩で死んだということである。生きていれば彼と同じ年頃ということで、無性に彼に話しかけるのだった。彼も帰るのを諦めた。
彼が帰らないと決まると、下男風の男は彼にすぐ風呂を勧めた。彼が風呂から上がると着物が用意されていた。帯を締めながら囲炉裏の側に腰を下ろし、下男風の男と話を始めた。暫くすると娘が土間に下りて、薬罐に湯を入れ、また土間から玄関の方に消えていった。娘は終始俯き加減だった。終始、はにかんだぎこちない動作で、彼を見つめることはなかった。 …裕子さんだ、間違いなく裕子さんだ… 娘の横顔を見て彼は確信した。
クラスは違うが、同じ学年の優秀な女子生徒として、名前の知られている娘である。一年生の時、彼と一緒のクラスでもあり、娘も彼のことを知っているはずだった。彼の心の動揺は、下男風の男に気付かれなかったようだった。彼は、平気を装って何気なく木切れを囲炉裏に投げ入れた。 「でも突然きて、本当に泊まっていってもいいのかな。」 彼の心配そうな問いかけに、下男風の男は彼が風呂に入っている間に家の人に言ってあり、心配ないと言っていた。娘の家に泊まることに、彼は多少興奮したのである。 「源吉さん、お茶が出ましたよ。お客さんもお連れして下さいよ。」 奥の方から女主人らしい人の声がした。 「学生さん、先に行ってください。私は火の後始末をしてから行きますから。」 下男風の男にそう言われ、彼は一人で奥の部屋へ行くことに気後れを感じた。
正月で、少し前まで賑かに宴が開かれていた。それも終り、客も帰ったのだろう、静かになっていた。彼は、これから家族や下男の労をねぎらうのだろうと思った。廊下を歩き、一番明るい部屋の障子の前で立ち止まった。 「今晩は、お邪魔いたします。」 彼が声をかけると、女主人らしい人の明るい返事が返ってきた。彼は、静かに障子戸を開いて部屋の中に入り、戸を閉め、正しく座り直して丁寧に挨拶をした。部屋のテーブルには女主人と年老いた女、それに娘が座っていた。
本を手にした娘は、不思議そうに彼を見つめていた。そして急に明るくなった。含み笑いをすると立ち上がり、彼に向かって歩いた。 「お母さん、信一さんよ。田村先生の弟さんよ。」 女主人は頷き、微笑んでいた。娘は彼の前に行くと座り直し、丁寧に挨拶をした。 「裕子嬉しいわ、今晩はお泊まりになるのですね。」 娘は、彼の手を取ると、彼を自分の隣の席に案内をし、並んで座った。娘は、明るく微笑んだ顔を彼に向け、小声で彼に何かを話した。彼は、顔を少し赤らめ俯いてしまった。そして急に娘も顔を赤らめ俯いてしまったのである。彼の手は娘の手に握られていた。彼はその柔らかく温かい手が、自分の手を強く握っていくのを感じ、次第に心が高ぶっていくのを感じた。別の部屋から、校長先生の酔っ払った甲高い声が聞こえた。
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