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「お 盆」

 

                 佐 藤 悟 郎

 

 

 お盆が訪れ、一人の少年がお寺に向かって歩いていた。夏の盛り、夜になってもまだ暑苦しい日だった。お寺の山門の提灯に照らし出された少年の姿は、一見してそれと分かるほど酷く貧しい身形だった。髪は伸び放題で、白い破れた下着のまま、力が抜けたように、ふらふらとした足取りだった。お墓参りを済ませた人達は、怪訝そうな顔をして少年を見つめた。その身形の貧しさに、多くの人達は、少年を避けていった。

 

 お盆の人の身形といえば、老人も大人も子供も、男も女も立派にしていた。若い娘といえば、白地に桃色や薄い水色の模様のある浴衣姿が多く見えた。娘等が持つ提灯、境内を幾つもの灯りが揺れ、仄かに境内の落ち着いた姿が浮かんでいた。

 

 由緒あるお寺は、大きな杉に囲まれていた。杉並は、講堂のある場所で途絶えた。少年は、俯いてゆっくりとした足取りで歩いた。

 

 揺れる提灯の薄明かりで、境内の敷石も暗闇に浮かぶように、ほんのりと見えた。少年の姿が、汚い破れた下着姿と分かると、通りゆく人達は、疑いを持って見つめた。少年の姿から、誰も少年が墓参りに来ていると思わなかった。夜陰に乗じて、悪戯をする不潔な少年と思われた。少年は、十数段の階段を上り、講堂の前に出ると立ち止まった。講堂は、戸が全て開かれ、至る所に蝋燭が灯されて明るくなっていた。講堂の奥には、数人の僧侶が読経をしていた。人々は、講堂の前で、一々立ち止まって合掌した。

 

 講堂の前の境内は、広く灌木や楓の木々が、暗がりに落ち着いた影を見せていた。久し振りに会ったのか、若者達や老婆などが境内の片隅で立ち話をしていた。講堂の横から裏手にかけて墓地が広がっていた。墓という墓に明かりが灯され、線香の煙が青白く流れていた。

 

 少年は、なかなか歩こうとしなかった。境内の片隅に立ち話をしている人達を、注意深く見つめた。そして鐘楼や経蔵に目を流し、空を仰いだ。目を戻し、講堂で読経している僧侶の姿、賽銭を投げ入れる人々の様子を見つめた。墓地に行き交う人、子供を連れた若い夫婦、講堂に向かって合掌を続ける老婆、老婆の脇でキョロキョロしながら合掌する幼子、少年は様々な人々の姿を目に写した。

 

 少年は、富豪の家の人々であろうか、墓場に向かって行く一団を見つめ、ようやく歩き出した。その一団は、厳めしい姿の老人を先頭に、古風な身形をした夫婦が従っていた。夫婦の脇には、明るい顔をした少女が、両手に持ち切れそうもないほどいっぱいの花束を抱え、軽やかに歩いていた。少女は、講堂の前で、辛うじて指先を合わせ、頭を下げて短いお祈りをしていた。少女は、羽織を纏い、白地に青と緑の模様の入った浴衣姿だった。

 

 少年は、富豪の家の人々と分かれ、墓地の奥へと進んで行った。至る所で蝋燭の灯が揺れ、線香の煙が漂っていた。墓地では、少年の奇異な姿に目を向ける人はいなかった。多くの人は、墓の前で黙悼を捧げ、あるいは墓の中の人と語り合っていたからだった。

 

 少年が見た富豪の家の人々は、墓地の奥にある大きな墓に集まった。石段を数段上がったところに墓があった。墓所は広く、周囲は立派な石で囲われていた。老人は、墓前を色々繕い始めた。少女の花を父親が取り上げると、少女は墓場の周囲を見つめた。線香の煙の流れる中に、多くの赤い蝋燭の炎が見えた。

 

 富豪の家の人々が、墓の前に揃い始めた。そんな時、階段の下から声が聞こえた。

「あの、済みません。マッチを貸してください。」

富豪の家の人々は、一斉に声のする方に振り返った。そこには、貧しい身形をした少年の姿があった。一同は、唖然として見つめた。

「え、何かご用ですか。」

少女の母は、確かめるように貧しい身形の少年に尋ねた。少年は、俯いて答えなかった。

「マッチを貸してくださいと言っているのよ。」

少女は、軽やかに言い流すと、母の手からマッチを取り、階段を下りて少年にマッチを手渡した。少年は、微笑みを見せて少女にお辞儀をすると、向きを変えて俯き加減に歩いて行った。少女は、少年の歩いて行く方向を確かめるように、じっと見つめていた。

 

 少年の姿が見えなくなると、少女は、急に階段を駆け上り、父母を押し退けて墓の後ろに回った。囲いの石柵に手を掛け、そっと下を覗き込んだ。そこは暗かったけれど、新しい木の墓標が見えた。その墓標の前に人影があり、マッチを擦る音とともに、周囲がホッと明るくなった。そして貧しい身形の少年の姿が浮かんだ。少年は、慌ててポケットを探り、小指ほどの蝋燭を取り出し、火を付けた。明るさは一層増したが、少年は、何か足下を捜していた。手頃な小石を見つけると、蝋を少し垂らし、蝋燭を立てて木の墓標の左に置いた。少年は、またポケットを探り始め、小さな蝋燭を取り出した。

 

 少女は、少年の仕草を見て、急に向きを変えて祖父の方に向かって歩いた。

「お爺ちゃん、この蝋燭、余っているのでしょう。私にください。それに、このお花も貰っていきます。」

少女は、花を手にいっぱい持つと、父母の声にも答えず、石段を勢いよく下りた。少しして、富豪の家の墓の後ろから、少女の声が聞こえた。少女の母は、墓の後ろに回って、下を覗き込んだ。

 

 仄明るい光の中で、少女が大きめの石を両手で持ち、新しい木の墓標の前に置いた。貧しい姿の少年は、両手に花束を抱え、少女の仕草を見つめていた。少女は、袖を左手で捲り上げて白い手首を覗かせ、小さな蝋燭の火を大きな蝋燭に手綺麗に移した。大きな蝋燭に灯が点ると、周囲が明るくなり、少年の汚れた姿が一層はっきりと見えるようになった。ボサボサの髪の毛が顔に垂れ、汗が溜まっているためか首に鈍い光が見えた。肌着シャツは汚れ、ズボンは縫い目が多く、草履はボロボロだった。少女は、しゃがんだまま振り返り、少年の頭から足下までしげしげと見つめた。

「お花も上げましょう。」

少女は立って、少年が持っていた花束を墓標の前の竹筒の中に入れようとした。竹筒には、泥が詰まっていて、花束を入れることができなかった。少女は、振り返った。

「真っ直ぐな木の枝を持ってきてくださらない。太いのが良いわ。」

少年は、頷くと墓地外れの林に向かって走っていった。少女は、竹筒を土から抜き、少年が持ってきた枝を受け取ると、一旦、竹筒と木の枝を土の上に置いた。

 

 少女は腕組みをして、少し考えると羽織を脱ぎ、少年に手渡した。そして屈み込んで、少年が持ってきた木の枝を右手に、竹筒を左手にそれぞれ持って、竹筒の中の泥をつつき始めた。竹筒の泥を出し終わると、元の場所に据えた。上から見ていた少女の母は、少女のてきぱきとした仕草に微笑みを浮かべ声をかけた。

「水が要るでしょう。」

少女は、母の声に驚く様子もなかった。

「そうね、水が必要ね。」

少女は、その場から駆けるように離れ、大きな柄杓に溢れんばかりの水を持ってきた。水を竹筒に注ぎ、花束を竹筒に挿した。少女は、見上げて母に向かって言った。

「お母様、線香を投げてください。」

待ちかねていたかのように、母は少女に向かって一束の線香を投げた。

 

 線香に火を付けると、少年の家の墓は線香の香りと煙が漂い、全てが整えられた。少女は、少年の後ろに回り、新しい木の墓標を見つめた。少年は、墓標に近付き頭をたれて静かに合掌をした。それに合わせるかのように、少女も合掌を捧げた。長い合掌が終わると、少年は振り返って少女の顔を見つめた。

「ご親切にしていただき、有り難うございました。」

少年は、少女に向かって深々と頭を下げた。少年は、身寄りを失った寂しい中、少女の親切さが何よりも心深く刻まれたのだった。

「いいえ、私の家のお墓もお参りしてくださいね。」

少女は、明るい声で少年に答えた。少年は、頷きを見せると、先だって歩いていく少女に従った。少年の腕に、一見派手な少女の羽織が抱かれていた。