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「道端の花」 …山よりの便り…

 

                 佐 藤 悟 郎

 

 

 杖にと思って、林の中の道端で折った握り具合のよい枝を、秋空の赤とんぼをめがけて振り回している私だった。薄日の差す土曜日の昼下がりである。楢の木集落を通り過ぎて、初めて大道峠まで行き、その帰り道だった。急な下り坂は、秋の陽に照らされ、道端の枯れ草は白く乾いていた。道から少し入ったところには、秋の草花や白や紫の野菊がいっぱいに咲いていた。

 

 遠くから見れば、山腹に見えるこの白い道は、ゆったりとした葛折りの道に見えるが、こうして歩いてみると急勾配の坂が続いている。自ずと足も早くなり、気を使って歩かないと危ないところだった。

 

 二〜三日前には、初霜が付近の山々に降りた。それからは急かされたように、山の木々は紅葉を始めた。秋空に飛ぶ赤とんぼをめがけ、手に持った棒を、もう一回振り回した。素早く赤とんぼは、舞い上がった。失敗したかと苦笑をしながら、一本松のある道の曲がりで棒を振り上げながら歩いた。

 

 道の曲がり終わると、夫婦と子供の三人連れの姿が目に入った。慌てて振り上げている棒を下ろし、通り過ぎようとした。すると、四十にも見える主人らしい男が笑顔を向けた。

「こんにちは。」

その男は、妻の方に振り返って言った。

「新しく来た先生だがな。」

妻は、私の格好が可笑しかったのだろう、右手の掌を口に当てて俯いて笑っていた。

…えーい、笑いたければ笑え。先生が何だ。クソ食らえだ。…

私は、擦れ違いざま、妻に連れられた小学の女の子を睨み付けた。

 

 叱るように睨んでいると、その女の子はあからさまに笑い、ぴょこんとお辞儀をした。私は、何も拘泥しない女の子の仕草を見て、妙な気持ちになって

「さようなら。」

と言い返した。

…アーア、学校の外では先生でなく、青年でいたいものだ。…

集落から離れた山道のことだった。もう、集落の人とも遭うこともないだろうと思った。そう思うと、ほっとした気持ちになった。

 

 失態を見られ、私の気持ちも少し高ぶっていた。赤くなった木々の小枝を棒で払いながら、次の道の曲がりを下った。道を曲がり切ると、少女が登って来るのが見えた。中学生のようだった。また、私は慌てて棒を下ろさなければならなかった。どうせ私の姿を見て、馬鹿にしたように笑って通り過ぎるのだろうと思った。

 

 色白の顔で、細い眉と優しそうな瞳、顔の輪郭のはっきりとした少女だった。野良仕事なのだろう、荷負台を背にし、少し前屈みになって歩いている。色褪せた道端の草の葉の中に、紺絣姿が浮かんで見えた。

 

 その少女は、少し離れたところで私に気が付いたらしく、立ち止まって道の脇に寄って屈み込んだ。私は、歩調を緩めながら近付いた。少女は、路傍に咲いている可憐な花を、丁寧に手折っていた。急に、雲の切れ間から陽光が差し込み、少女のいる山道は白く輝いた。少女は、摘んだ花を両手で包むようにして胸に当てた。

 

 私は、少女の手前で立ち止まった。声を掛けようと思ったが、口に言葉を浮かべることができなかった。

「遅れますから。」

少女は立ち上がると、小さな声で頭を下げながら言った。そして、足早に私の脇を通り山道を登っていった。先程の家族なのだと思った。

 

 私は、瑞々しい思いを感じ、山道を歩き出そうとした。そのとき、心に稲妻のような鋭い感情が走った。それは、道の真ん中に、あの少女が胸に抱いていた花束が置かれていたからだった。少女が私に贈ってくれたものに違いなかった。私は、どのように思ってよいのか戸惑いを感じた。次第に、心に何か熱い感情が湧いてくるのを覚えた。

 

 この僻地の教師として赴任して以来、愚行にも似たことを多くしてきたと思っている。生徒は、私の姿を見て笑うことが多かった。私は、生徒が笑う度に、山の子達の純情な笑顔が嬉しく、悪い気持ちはなかった。その反面、生徒達が本当に私を信じているのかという不安が、常に私に付きまとっていた。その不安は、スーと心から消えていった。