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「冒 涜」

 

                 佐 藤 悟 郎

 

 

 彼は神だったが、人々はそれを信じなかった。その短い物語は、こうだった。

 

 小学生が殺された。冬の寒い日だった。凍りつくような学校の体育館の隅にある、運道具置き場の部屋で、彼が物音に気づき入った。一人の優秀な生徒が、ナイフを持って立っていた。暴れん坊の生徒が、白いジャケットの胸が赤く血に染まり、息が絶えていた。彼は、殺した生徒からナイフを取り上げると、どうしたのか理由を尋ねた。

「いじめられた。こんな男は、死んだ方がいいんだ。」

その小学生は言った。彼は、その小学生を見つめた。その小学生は怯え、その場から逃げ出して行った。

 彼は、息の絶えた生徒を持ち上げようとした。そんな時、学校の先生たちが走ってやってきた。校長先生は、彼を見ると激怒して言った。

「どうして、こんな馬鹿なことをしてくれたんだ。」

校長先生は、彼の手からナイフを取り上げた。間もなく駆けつけた警察官に、彼は手錠をいきなりかけられて連行されてしまった。

 警察に連行された彼は、警察官の取調べに対して一切黙秘していた。

「生徒が、君が殺すのを見たと証言している。間違いないことだ。何故、黙っているのだ。」

警察官は、彼にそう言って迫った。彼の口から、そう証言した少年が犯人だとは言えなかった。

 

 生徒を殺した教師の話は、マスコミに大きく報じられた。教師のモラルの低下が叫ばれ、社会的に彼への非難が集中していった。裁判が開かれた。彼は何も語らなかった。弁護士は、殺された少年の素性を取り上げ、情状酌量を願い出た。裁判の結果は、純粋無垢の小学生を殺害したこと、終始黙秘を続け反省の色が見られないこと、社会に与えた影響が大きなことなどから「死刑」の判決が言い渡された。彼は、控訴もすることなく、刑は確定した。

 彼は、刑務所の独房に入れられ、刑の執行を待っていた。そして刑の執行の日が訪れた。看守が彼を刑場に連行する時、いつもの態度と変わらない彼の姿を見つめた。優しい目をしている彼が、どう見ても犯罪者に思われなかったのだった。刑場に連行され、彼は牧師の言葉を聞いた。神を讃える言葉を聞いて、最後の牧師の言葉があった。

「最後に、言い残すことはないか。」

その牧師の言葉に対し、初めて彼が口を開いた。

「神に使える君が、何故、私が神であることに気付かないのだ。罪のない神が、果たして罪人の刑に従うべきものなのだろうか。」

清々しい眼差しで、彼は牧師を見つめた。牧師の返答はなかった。

「君は、私を疑っている。今、神の存在を疑っている。」

そう言うと、彼は向きを変えて絞首台へと登った。牧師は、それまで多くの処刑者の捨て台詞を聞いていた。

 

 彼の首に縄が巻かれ、彼は目隠しをされた。刑の執行ともいうべき、足元の板が開いた。不思議なことに、彼の体は落ちなかった。宙に浮いたままだった。それは奇跡であるはずだった。それを見た刑の執行人は、少し驚いただけで他の者を呼び集めた。

「どうやって刑を執行するんだ。法律によれば、殺すには絞首刑に決まっている。」

そんなことを相談した後、刑の執行人たちは彼の足を引っ張ることを思いついた。彼の足を紐で縛り、二人がかりで彼の足を下から引っ張った。彼の体は落ちなかった。

「どうする。このままにして置けない。」

今度は、縄を引き上げることを思いついた。五人で引っ張ってみた。どこかで紐が固定されているかのように、紐は少しも動かなかった。

「どうする。今までこんなことはなかった。どうしても殺さなくては。」

刑の執行人たちは相談したものの、殺す方法が法に従わなければ殺人の罪を負いかねなかった。

「そうだ。交替で見張って、力尽きて落ちて死ぬのを待とう。そう急ぐこともあるまい。」

刑の執行人達は、彼の首に縄をかけ宙に浮いたままの姿で放っておき、交替で見張りをすることにした。一週間経っても、彼は宙に浮いたままの姿だった。その不思議な状況については法務省に通知され、彼はひとまず独房に移された。当然その話は総理大臣にも報告され、どこから漏れたのか、報道機関にも知れることとなった。

 

 彼は日課のように絞首台へと登り、足元の板が開き、彼は落ちずに宙に浮いたままで、刑の執行は機械の故障ということで独房に戻ってくるのだった。そんな日が長く続いた。

 人々は、誰でも人間の姿をするものは、人間であることを疑わなかった。日が経つとともに、行政庁の高官や政府の要人たちが訪れ、不思議な事実を確かめた。罪人と信ずる彼等は、彼が刑の執行に服しないのを驚きと怒りをもって眺めていた。

「何故、落ちないのだ。何故、刑に服しないのだ。」

彼等は、一様に怒りに満ちた言葉を漏らした。

 彼の異常さは、世間でも評判となった。とうとう彼は国会に召喚されてしまった。その会場には、彼の両親もいた。尋問の中で、彼は基礎的なことを問われた。委員会の委員長は、彼の両親を指差して言った。

「この二人は、誰であるか分かりますか。」

彼は、両親である旨を答えた。委員長は、静かに言った。

「すると、君は人間なのですね。人間がどうして宙に浮くことができるのかね。人間がどうして法律に従うことができないのかね。」

彼は、はっきりと答えた。

「私は神である。私には罪がない。」

議場にいた人々は、騒然とした。そこにいた人々に残された問題は、神の存在を信ずるかどうかだった。

 

 彼は独房に戻された。公開の場で、人々は「神」という名を聞いた。人々は、人間に害をなす神はないものと考え、彼を何か魔力を持つ者と考えた。人々の多くは、悪魔の存在も神の存在も信ずることができず、混乱した状態に置かれたのだった。政府としても、彼に対する正式なけじめをつけなければならないと思った。検討した結果、彼を再び国会に召喚し、かの有名な、神を冒涜した声明を彼に突き付けたのだった。

 

…神の名を使う君に対し、我が国民は神の名を与えない。何故ならば、君は人間の子であり、人間であることが戸籍上も明らかな事実であるからである。今までの人生経緯からして、神として崇める者として、到底認めることはできない。結局、君は人間である。

 君が、たとえ神であっても、罪深き神など、国民一同必要としない。この度の事件を検証するとき、君は神ではなく悪魔であると認める。人間に害をなした劣悪な悪魔である。君がどんな策を弄して刑に服しないのか分かっていない。それは恐らく君だけが知っている、特別な知識あるいは技術によるものであろうが、それらの方法的なものは、いずれ科学的に解決されるであろう。

 君は、罪を犯した。それなのに「神」という名を引用して、罪人となろうとしない。神であれば姿を自由に変え、また自由に場所を移動することもできるはずである。奇跡を生むものでもある。そうであれば、勝手にしたらいいだろう。できるものであればやりたまえ。現に、刑務所から外に出れないではないか。

 我が国民は、永久に君から「罪深き死刑囚」という称号を外さない。君が刑に従うまで、忍耐強く待つであろう。君のために、短い間であったが、国民に戸惑いを与えたことは、政府の責任でもあるところから深く反省するところである。以上、この件についてはこれで決着したものと考える。…

 

 彼は、国会から連れ出された。国会は次の議題に入った。そして国会に異常が生じたのである。全ての明かりが消えたかと思うと、中空に薄明るい光がぼんやりと浮かんだ。そして重々しい唸り声が響き渡った。建物が揺れ、ガラスは音を立てていた。

「汝ら、神を冒涜した。汝ら、神を欺いた。汝ら、神に対し罪を犯した。」

その声が轟き、それの声が終わると、国会は元通り明るくなった。国会は、異常な現象で騒然となった。声明が彼に対するものだけでなく、神を冒涜したことは明らかだったからである。

 

 翌日、彼は絞首台の露と消えてしまった。

「神は去っていくだろう。そして大きな禍が訪れるだろう。」

彼は、そう言い残して消えてしまったのである。時を同じくして、小学生殺人事件の真相が伝えられ、彼が犯人ではないという事実が明らかになった。彼が真犯人を庇っていたことも明らかになった。

 国民は、政府に激しい非難を投げかけた。国民は、彼と共に神が遠くに去ってしまったことを疑わなかった。

「我が国民は、神に見棄てられたのだ。」

「我々は、神を冒涜したのだ。」

人々は、誰もが彼が神だったことを信じた。彼が去り、禍だけが残ったのを恐れた。そして最大の不幸が間近に迫っているのを感じていた。

 まさにその恐怖は、国民にとって致命的な不幸が、雲の流れと共に、風の流れと共に、陽の光と共に国民の間近に迫り、今まさに襲おうとしていた。