「幻の声」〜一幕演劇〜 佐 藤 悟 郎
子供達の郷愁を帯びた歌
「良太、良太、帰ってきなさい。」
「俺やめた。」
「綾子、帰ってきなさい。」
「俺やめた。」
「俺もやめた。」
「チェッ、つまらんの。父ちゃんも、兄ちゃんも帰らんけや、詰まらん。」
「里子」
「お兄ちゃん。」
「ただいま。」
「お帰りなさい。」
「お父さんは。」
「遅くなるって。」
「じゃ、ちょっと遊んでいくか。」
「隠れんぼうしようよ。」
「じやぁ、兄ちゃんが隠れるぞ。」
「里子は、おっちょこちょいだよ。見付けられないんだから。」
「太田里子という子は、おっちょこちょいですね。」
「そうですか。」
「だってそうじゃありませんか。君の夢は何だと聞いたら、お馬に乗ったのよ、空を駆けるの。お母さんが呼ぶから、一生懸命になったの。どこにいるか分からないんだもの。雲の中や水の中を捜したの。声が聞こえるけど姿がないの。私もお母さんと叫んだらね、「里子かい」と声がしたの。そんなことを言うものだから、馬鹿だな、みんなが笑っているじゃないか。その夢と違うんだよ。そしたら、あら違うの、目が開いてて見る夢なんかあるのかの。折角だから言っておくがの、お母ちゃんと言ってしがみついたら、頭を一つ、コツンと叩かれて兄ちゃんに怒られた。兄ちゃんの腕にしがみついていたんじゃ。」
「そう言って、シャァシャァと席に座ったもんだから、もう一度「夢は何か」と聞いたら、「今笑った人の鼻をくすぐってみたいや。先生の鼻に藁を入れてやることや。」と言うのですよ。利口な癖に、少しおっちょこちょい、いや、少したちが悪いのかな。」
「そうかしら。里子ちゃんのことは、小さいときから良く知っているけど。」
「そうそう、矢田先生は、ここの村の生まれでしたね。」
「そうよ。ここで良く遊んだっけ。里子ちゃんとも、よく遊びましたよ。私が大学へ行くとき小学生でしたよ。今でも里子ちゃんと話をするのが一番楽しい。」
「矢田先生、里子には特別に親切のようだけど、何かあるのですか。」
「別に、どうしてですか。」
「それならいいんですが。里子の兄に竜一という高校生がいると聞いたのですが。」
「いますわ。今、町の高校三年生ですわ。」 「短期大学出られた矢田先生と、年も近いし。」 京子
「そう。三つと違わないわ。」
「好きなんですね。」
「ええ、好きですわ。どうして。」
「やっぱり。村の人が言ってましたが、本当なんですね。そうですか。」
「何が。」
「何が、と言って。分かっているでしょう。里子の兄さんと結婚なさるんでしょう。」
「結婚。うふふ。」
「どうして笑うのです。本当なんでしょう。」
「私だって、年を考えますわ。それに。」
「それに、何ですか。」
「結婚なんて、考えてもみませんでした。好きだと言っても、良く行き来した家だから、弟のような感じでしたもの。」
「本当に、そうなんですか。」
「どうして。竹田先生、ちょっとおかしいわ。」
「今だから言いますが、それが心にかかっていて言いにくかったんです。とても言いにくかったんです。矢田先生が好きなんです。いけないでしょうか。」
「いけないことなんか、ありませんわ。」
「じゃ、矢田先生、結婚してください。」
「急に言われても。でも良く考えますわ。」
「本当ですよ。良い返事をください。」
「お送りしますわ。」
「いいんです。きっと決心してください。」
「やっぱり、そこまでお送りしますわ。」
「竹田先生って、無視の好かん先生よ。大嫌い。」
「そうかい。」
「京子姉ちゃん、お嫁に行くのかしら。」
「行ってしまえばいいだろう。」
「兄ちゃん、竜一兄ちゃん。本当にいいの。京子姉ちゃんがお嫁に行っていいの。竹田先生なんかに取られていいの。」
「行きたいというなら、いいだろう。」
「京子姉ちゃんは、竜一兄ちゃんのお嫁さんや。」
「馬鹿を言うな。」
「京子姉ちゃんがいなくなると、寂しいね。」
「仕方ないだろう。」
「京子姉ちゃーん。」
「里子ちゃん、どうしたの。泣いたりして。」
「この子は、どうしたのだよ。里子ちゃんどうしたのだえ。」
「京子姉ちゃん。みんなきいてしもうたんや。あの虫の好かん先生と話していたのを、全部聞いてしもうたんや。」
「里子ちゃん、虫の好かん先生って、竹田先生のことかい。」
「そうや。京子姉ちゃんは、あの先生と、いちゃいちゃして、デレっとしていたんだ。」
「京子、本当かい。何を話したんや。」
「里子ちゃん、どんなことでデレデレ話していたの。」
「竹田先生がね、姉ちゃんのことを嫁にくれと言うのよ。そしたら、姉ちゃんは、「考えてみますわ」と笑うのよ。デレデレしてやってさ。」
「いい話じゃないか。どうだい、承知したら。」
「姉ちゃん、駄目だよ。京子姉ちゃんは、竜一兄ちゃんのお嫁さんになるんだ。」
「里子ちゃん、馬鹿なこと言うでないよ。」
「だって、うちの父ちゃんが言っていたよ。京子姉ちゃんは、私の本当の姉ちゃんになるんだって。」
「何を言ってるの。お前の父ちゃんが、勝手に言いふらしていることじゃないか。」
「そんなこと言ったって、京子姉ちゃんは、竜一 兄ちゃんのこと好きなんじゃ。だから、お嫁さんになってくれるんじゃ。」
「里子、好い加減のことを言うと承知しないよ。竜一さん、それは良い人だよ。でも、京子より年下じゃないか。」
「いいじゃないか。」
「なにがいいか。京子が、お前の兄さんの嫁になったら、苦しい思いをするんじゃないか。」
「おばさん、私はいっこうに構わない。」
「馬鹿、お前のことじゃない。第一、世間様の物笑いになるじゃろ。」
「私は、それでもいいよ。」
「お前は、聞き分けのない女だよ。そんなことしたら、世間体が悪くていかん。」
「くそ婆、何ぬかす。」
「いいかい、竜一さんの嫁さんになることなんて、駄目だよ。」
「京子姉ちゃん、駄目だってば。あんなゲジゲジ先生のとこ嫁に行っちゃ。」
「里子ちゃん、京子姉ちゃんが、もっと遅く生まれたらよかったんよ。お母さんの言うとおりにするわ。」
「姉ちゃんがそう言うなら、しょうがないな。」
「姉ちゃんは弱虫だけど、いなくなると寂しいな。」
「ゲジゲジってね、いっぱい足があるのよ。それでいてのろいのよ。ゴキブリってね、羽があるのよ。それでいて余り飛べないのよ。ゲジゲジもゴキブリも、とっても湿ったところが好きなのよ。欲張りの癖に、いっぱい歩けないの。何も見えないのよ。ゲジゲジとゴキブリ合わせて、ゲジブリ亭主ね。」
「こら、里子、何を言うんだ。」
「京子姉ちゃんは、ゲジブリ亭主に一生働くがいいわ。何かあると、こそこそ逃げる格好が、よく似てるわ。」
「もう承知せんからな。さあ、待ってろ。」
「くそ婆、やーい、ネズミになって追いかけておいで。」
「このアバタレ女め。」
「お母さん、もう止してよ。」
「いゃ、かんべんならん。」
「ダルマさん、ほら起きて。追いついたら、ゲジゲジでも食わせてやらあ。」
「竜一さん、いるの。竜一さん、出てきて。」
「出ていっても、どうにもなることではないさ。」
「じゃー、私が行くわ。待っててね。」
「どうして逃げるの。」
「分からん。京子さんが追いかけてくるからだろう。」
「竜一さん聞いて。今、貴方を追いかけ回して、子供の頃が懐かしくなったわ。子供の頃のままだったら、きっと良かったのよ。」
「でも、私が三つも年上よね。それに、私は若いわ。私の心が変わってはいけないの。」
「いけないことなんかないよ。京子さんが、幸福になれるならね。」
「私は若いのよ。だから、まだ結婚なんて考えてもいないの。そのうちに、きっと幸せにしてくれる人が現れる。その人の胸に飛び込むわ。」
「京子さん。きっと幸せになるんだよ。」 「竜一さん、有難う。来年から町の学校の先生になると思う。でも、竜一さんのこと忘れないわ。」 竜一
「私も、京子さんのことは、忘れないと思うな。」
「五年経ったら、もう一度、ここで会いましょう。」
「どうして。」
「竜一さんのような人、誰も現れなかったら困るもの。」
「きっと見つかるよ。」
「有難う。じゃ、私帰るわ。」
「帰るわ。」
「さようなら。」
「さようなら。」
「このアバタ女め、捕まえたぞ。」
「くそ婆、アバタなんかないわ。」
「口の減らん餓鬼じゃな。」
「京子姉ちゃんを、他に嫁にやったら承知せんぞ。姉ちゃんはな。」
「何を言う。誰が年下の竜一にやれるか。」
「京子姉ちゃんは、竜一兄ちゃんが好きなんじゃ。」
「まだ言うか。このアマめ。」
「ちっとも痛くないわ。」
「叩かんかい。よぼよぼ婆。」
「里子ちゃんご免よ。みんな私が悪いんだよ。」
「違うわい。京子姉ちゃんと竜一兄ちゃんが悪いんだ。」
「この婆が悪いんだよ。」
「ああ、そうかい。おばさんが悪いんだ。村の人が悪いんだ。」
「里子ちゃん、勘弁してくれる。お父ちゃんにも、勘弁してくれと言ってくれな。」
「おばさん、大丈夫か。手を貸すよ。」
「竜一坊ちゃま、来てはいけないだ。」
「意地悪婆、京子姉ちゃんを、竜一兄ちゃんに取られんように、柱に縛りつけておくがいい。」
「里子、もういいんだよ。」
「里子、お前はいくつだ。」
「十五よ。」
「俺は十八だよ。京子さんは二十一だよ。」
「たった三つじゃないの。」
「里子も、俺も、京子さんも、まだ若いんだ。ゆっくり考えようよ。結婚を考えるなんて、本当に早過ぎることなんだよ。」
「兄ちゃんは、京子姉ちゃんが好きなんでしょう。」
「早く約束しなければ、誰かに取られてしまう。」
「そうしたら、京子姉ちゃんのような人を捜すさ。」
「嫌よ。京子姉ちゃんじゃなきゃ。」
「もう、日も暮れてきたわ。京子姉さん、遅いわ。」
「きっと、良い人見付けたんだよ。」
「兄さん、京子さんが来たら、どうする。」
「幸せにしてやるよ。」
「きっと来るわよね。」
「雨が降ってきたわ。」
「待つの、兄さん。」
「きっと、良い人見付けて、幸せに暮らしているのよ。」
「そうだと良いんだがね。」
「京子姉さんの声だわ。」
「お姉ちゃーん。」
「兄さん、確かに京子さんの声よ。」
「お兄さん。どうしたの。」
「里子、帰ろう。」
「京子姉さんが来るわ。声がしたもの。」
「来やしない。」
「だって、声がしたじゃないか。」
「分からないのか。あれは、幻の声なんだ。」
「幻の声だって。」
「京子さんは、死んでしまったのかも知れないよ。」
「京子姉ちゃんが死ぬなんて、嘘、嘘よ。」
「京子の、馬鹿。」
「姉ちゃーん。どこにいるの。」
「お姉ちゃんの馬鹿。」
「京子姉ちゃん。京子姉ちゃん。」
「京子、若過ぎると言った私が悪かった。考えることは、人生を教えてくれない。心は人生のあやだ。君にだけは、心だけで、心だけでいれば良かったのだ。京子、君だって、そうすれば良かったんだ。幼い頃の心のようにだ。」
「京子、もう私には、君を偲ぶことしかできなくなったよ。もう一度、もう一度でいい、お前の姿が見たいな。」
「お兄さん、帰りましょう。」
「竜一さーん。」
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