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「生き写し」

 

                佐 藤 悟 郎

 

 

 私は、寒村の生活実態調査のため、頸城地方の山奥の集落に赴いたことがあった。晩秋に訪れた集落は、戸数にして三十戸程で、集落の区長の家で三日間宿を取った。区長の家は、四十も半ば頃の夫婦と老婆の三人住まいで、若い子供達は全て都会に出てしまったと言うことだった。

 私が泊まって二日目の夜、区長夫婦は、集落の寄合で集落の公民館に出かけた。私と区長の家の老婆は、囲炉裏端に座って世間話をした。頃合いを見て、私は老婆に尋ねるように話した。

「集落の上の方に、二十歳も年違いの夫婦が住んでいますね。」

私の話に、暫く老婆は黙っていたが、漸く

「そうかい。やっぱり目に付きますかい。」

と、口が籠もったように呟いた。私は、知っていることを教えてくれるよう頼んだ。

 老婆は、自分が喋ったと他人に言わないという約束で、その年違いの夫婦の結婚に至るまでの話をしてくれた。私は、興味惹かれるものがあったので、老婆が語った通り書いてみた。

 

 あの夫婦が結婚をしたのは、三年前の冬、雪の降る日だった。集落の誰も知らん間に、十九歳の娘っ子が、朝になっていたら、あの男の嫁になっていたんじゃ。男の名前は一郎と言い、嫁になった女の名前は千代と言うんだ。千代が一郎の嫁になったのにも驚いたが、それ以上に嫁になった千代が、やはり同じ名前の千代という母親に瓜二つと言うほど似ているのに驚いたんだ。

 

 私は、死んだ千代の婆様、一郎の嫁の孫婆様に当たるが、その婆様と気が合ってな、母親の千代と子供の千代について、変わった話を聞かして貰い、分かるようになったんだ。その婆様も、去年死んでしまった。

 

 変な話というのは、一郎の今の妻の千代の母親、やはり千代という女の話から始まるんじゃ。母親の千代というというのは、この集落の中程の萱葺き屋根のある、竹藪に囲まれた、今は空き家になっている家の娘だったんよ。両親は、千代が十五歳の時の冬、雪崩で死んでしまい、千代の兄の健二が都会に出て生活をしているものだから、家には千代と婆様と爺様の三人になってしもうたんじゃ。

 

 千代は、本当によい娘じゃった。明るくてな、器量がよくって、頭が良くって、働き者じゃった。婆様も、爺様も、千代も仲良く暮らしていたんじゃ。一郎の家もな、両親が千代の両親と一緒に死んでしもうたんだ。あの雪崩では、集落の者が九人も死んだんでな。それは、大きな雪崩で、雪を掘っても掘っても人は出てこなかったんだ。掘り出すのに、二日もかかったんだ。皆んな、凍っていたんだ。集落の者、皆んなが泣いたんだ。勿論、この婆も泣いた。次男坊を亡くしてしまったからな。

 

 一郎は、利口者で町の役場に勤めていてな、役場のある町で宿を借りて暮らしていたんじゃ。千代と一郎は、とても好き合っていてな、集落の者も二人が夫婦になると思っていたんじゃ。二人は、離れていても、手紙でお互いに好きだと言い合い、結婚する約束をしていたんだよ。一郎の家に残っていた爺様と婆様の面倒は、千代が、それはとってもよく見てくれたんだよ。それに比べ、今、区長だと威張っている、内の倅なんか能なしでしたよ。

 

 ところが、千代は十九歳の春になると、物思いをするようになり、外に出なくなったんだよ。家にいて、時々書き物をして、後は力が抜けたように物思いするようになったんだ。婆様は、注意深く千代を見つめていて、やっと千代が身籠もっていることに気付いたんだ。婆様と爺様は、千代に優しく

「誰の子なんだい。」

と聞いたんだよ。千代は、何も言わないので、てっきり一郎の子だと思い、一郎に相談したんだよ。一郎は、その話を聞いて三日間考え、町を引き払って家に帰ってきたんだ。

 

 一郎は、家に帰ってくると、直ぐ千代の家に行ったんだ。千代は家の奥の部屋で、机を前にしてひっそりとしていた。

「千代さん、直ぐ結婚しょう。」

一郎は、そう千代に言ったんだけど、千代は首を横に振って、決して縦に振らなかったんだ。

「私のお腹には、赤ちゃんがいるの。それにもう、私の命、そう長くないの。」

千代は静かに、はっきりと一郎に言ったんだ。一郎は、千代の腹の子が自分の子でないのは知っていたが、早く結婚してしまえば、自分の子になるからと言って、お願いしたんだ。けど、千代は承知しなかったんだよ。

 

 集落の人が変に思わないように、千代の爺様や婆様、それに一郎は、千代が病気だということにしたんだ。集落の人も、別に変に思わなかったんだ。大方、働き過ぎだろうと思ったんだ。ところが、秋になった頃、千代が身籠もっている噂が出てきたんだ。そして、その相手の男は、一郎じゃないという噂じゃった。その頃になって、千代は本当に病気になって、床に就いてしまったんじゃ。千代は、自分の病気が治らん病気だから、医者は要らんと言っていた。初めの内は、時々起きて書き物をしている様子だったが、冬になって雪が降り積もるようになった頃、大きな腹を抱えて苦しむようになったんだ。

 

 それで、町から医者を呼んで診て貰ったところ、千代は血の足りない病気で、治らんと言ったそうなんだ。一郎は、役場から長い休みを貰って、千代に付き切りで看病したんだ。千代は、時々うなされるように、しかめっ面をして、うわごとを言うようになったんだ。調子をとるようにな。

 暗い家からこっそり二十歩

 道路を右に曲がって四十歩

 大きな杉に向かって六十歩

 左の坂を八十歩

 左に曲がって四十歩

 家の竹藪二十歩

 さあ着いた。さあ着いた。

そう何回も言ったんで、千代が何のことを言っているのか分からないが、千代の婆様が覚えてしまったそうなんだ。

 

 千代は、腹が大きくなって、子供を産みそうになってしもうたんじゃ。何回も、何回も陣痛が来たんだ。産婆が来たんだが、千代は一郎の手を抱いたまま離さなかったんだ。

「一郎さん、好きよ。私から手を離さないでね。」

そう言って、千代は自分の胸の上で、一郎の手を握って最後まで離さなかったんだ。最後に、千代は、はっきりと一郎に言ったんだ。

「一郎さん、私、死んでしまうわ。でも、悲しまないでね。十九年経った、今日になったら、一郎さんのところに嫁に行きますからね。」

千代は、そう言うと一郎の手を固く握り締めたかと思うと、苦しみ出したんだよ。一郎は、千代の胸に顔を埋め、おいおいと泣き出したんだ。

 

 夜中で暗い中、赤子が取り上げられたんだが、泣き声も上げんで、すっかり弱っていたんだ。すると、千代の口から蛍の光のような物が、よろよろと飛び出して、赤子の口の中に入ってしまったんだ。千代の婆様は、その様子をよく見ていたと言っていた。その光が、赤子の口に入ると、赤子は元気良く泣き声を上げたんだ。その赤子は、今、一郎と一緒になっている千代なんだ。赤子が泣き出すと、千代の手は、一郎の手から離れ、力無く下に落ちてしまい、千代は死んでしまったんだ。

 

 あれの母親の千代が、赤子を産み落として死んでしまったことが大ぴらになったもんで、集落中それは大変な騒ぎになったんだ。それはそうなんだ。父無し子が生まれてしまったんだからな。母親の千代は、父親が誰か、とうとう言わずに死んでしまったんだ。大方、この集落か近くの集落の男に決まっているんだが、誰だか分からなかったんだ。一郎は、その時産まれた子は、自分の子だと言い張ったんだ。そして、毎日のように千代の家の面倒を見に行ったそうなんだ。雪の日も、雨の日も、毎日行って子供や爺様、婆様の面倒わ見たんだ。産まれた子は女の子でな、名前を母親と同じ千代と付けたんだ。集落に置いておくと、人の口が煩いので、都会に住んでいる亡くなった千代の兄が連れて行ってしまったんだ。一郎は反対したんだけど

「お前が、一番悪いんだ。」

と、亡くなった千代の兄の健二が、恨むように言って、亡くなった千代の荷物と、一年経った子供を連れて行ってしまったんだ。

 

 一郎はな、寂しくなった千代の家に、それからもずっと通っていたんだ。それから、死んだ千代の墓にも花を供えたり、周りを掃除しながら暮らしていたんだ。千代の墓はな、集落の墓地の中でも、一番景色の良いところにあってな、毎日のように一郎は、墓に語りかけていたんだ。一郎の爺様と婆様は、連れ立つように死んでしまったんだ。一郎には、良い縁談も沢山あったんだが全部断って、ずっと一人で暮らしていたんだ。

 

 あれの母親の千代が死んで十五年経った秋、千代の爺様が死んでしまったんだ。その時、東京に住んでいた亡くなった千代の兄の健二が、葬式をするために来たんだ。自分の妻や子供、それに千代を連れてな。健二は、一郎を悪い男と決め付けていたんで、一郎を葬式に呼ばなかったんだ。私の家は、その時区長になっていたもんで、私も葬式に出たんだ。学生服を着て座っている娘の千代が、死んだ母親の千代にそっくりなのに驚いたんだ。生き写しというのは、あれのことを言うんだ。背の丈から、顔の造りから、体付きから、目付きまでそっくりなんだ。葬式に出た集落の人は、皆んな驚いて見たんだ。動く様や話をする口付き、声までがそっくりなんだ。母親の千代と話しているんじゃないかと思うくらい、いや母親の千代と話していると同じだったんだ。

 

 亡くなった千代の兄の健二は、婆様を連れて行くと言ったんだが、婆様は都会には行かないと言ったんだ。健二の家族は、十日間いて皆んな帰っていったんだ。集落を立つ前の日、皆んなで母親の千代の墓へお参りに行ったんだ。夕方で、空が晴れ渡って、山が色付いた綺麗な日だった。千代が婆様を抱きかかえるようにして、墓まで行ったんだ。亡くなった母親の千代の墓は、大きな樫の木の前の、広まった空き斜面のところにあってな、西日が射し込んで輝いていたんだと。皆んながその樫の木の前の広いところへ行くと、一郎が丁度いて、墓の周りの枯れ草払いをしていたんだ。墓には、線香と花、団子がきちんと供えられてな。

 

 人が来る物音で、そっちの方を見た一郎は、千代の姿を見付けると、驚いて箒を持ったまま動けなくなったんだ。すると、千代はな、ゆっくりと歩いて、一郎の近くまで行ったんだ。

「千代さん、生きていたの。」

一郎は、やっとそれだけ言ったんだ。千代も、一郎に言葉をかけたんだよ。ゆっくり頷いて、物の怪に憑かれたように言ったんだ。

「一郎さん。元気そう。千代も元気よ。」

そうして、一郎と千代は、暫く見つめ合って、二人とも目に熱い涙を浮かべていたんだ。婆様も、年取った一郎と若返った千代が、心一つになったように思え、熱い涙が目に浮かんできたと言っていた。一郎は我に返って、それが十五年前に生まれた赤子だと気付くと、だらしなく墓の脇に崩れ、両手を着いて皆んなが帰っていくまで動かなかったんだ。

 

 それからも一郎は、千代の婆様を自分の婆様のように大切にしてな、何一つ不自由させないで暮らしていたんだ。今から三年前の冬、母親の千代の命日が訪れたんだ。母親の千代が死んでから、丁度十九年目のことだった。あの娘の千代が、一人でひょっこり婆様の家に帰ってきたんだ。千代は、母親が亡くなった部屋に入ると、持ってきた服に着替えをしたんだ。その服は、亡くなった母親が、とても大切にしていた服だった。一郎が、とても気に入っていた服なんだ。髪を後ろに結い上げると、そっくり死んだ母親になってしまったんだ。

 

婆様は、心配になって、どうするんだと聞いたんだ。千代は、婆様の前で、両手を着いてな

「婆様、千代は、これから一郎さんのところに、お嫁に行きます。夕方には、婆様を迎えに来ます。」

と言って、家を出ていったんだ。

「お前は、あの千代なのかい。」

と、出かけに婆様が聞くと、千代は優しく微笑んで頷いたんだ。

「お前、一郎の家、分かるんか。」

と、婆様が聞いたところ、やはり頷いて見せて家から出ていったんだと。足袋一枚を履いてな。

「暗い家から、こっそり二十歩」

という言葉を残し、雪で明るい外に出て行ったんだ。そして、夕方になって一郎と千代が結婚したから、婆様も一郎の家に来てくれと言って、二人で婆様を迎えに来たんだ。婆様は、それはそれは喜んでな、直ぐ家の火を絶やして一緒に一郎の家に行ったんだ。

 

 一郎の家で、翌年可愛い女の子が産まれてな、今、二人目が腹の中に入っているんだ。死んだ千代の婆様は、毎日楽しく暮らしたんだ。一郎と千代が夫婦になって集落では、どうなっているんだと大騒ぎになったんだ。でもな、集落の人は、千代の毎日の行いや言葉付きなどで、母親の千代とまるで同じで、少しも変わっていないことに気付いたんだ。そしてな、やっぱり千代は、死んだ母親が生まれ変わったんだと思うようになったんだ。死んだ母親の千代に、男がいたということははっきりしなかったし、一郎の他に男は考えられなかったんだ。悪い病気を持っていた千代が、早く死ぬのが分かって、一郎が恋しいばかりに、子供を産むことを思い付いて、生まれ変わったんだ。

 

 私も婆様の話を聞くまで、余り信じていなかったんだけど、婆様から話を聞いて、千代が生まれ変わったんだと信ずるようになったのさ。生まれ変わりだということは、一郎の嫁になった千代が、付近の土地やどこの家がどうなっていること、昔集落で何があったかも詳しく知っているんだ。ただ、二人が年が離れていて目立つがね。

 

 私が、宿を取った区長の家の老婆から聞いた、話の紹介はこれで十分だと思う。勿論、私はこの話を全て信じている訳ではない。怪奇な話であるが、昔話でないところに興味があった。山間の集落では、口封じのために、このような話が定着していることがよくある。何か集落を騒がす問題が、最近もしくは以前に、一郎と千代の家の家で起こったに違いない。日数もなかったことから、敢えて調査しなかった。

 

 蛇足であるが、宿を取った区長の家から、小幅で二十歩出ると通りになり、その道を右に四十歩上ると三辻になり、大きな杉までは六十歩である。道は左に折れ、坂道になっていて八十歩上り、左に四十歩進むと千代の家がある。通りから二十歩で、その家の玄関に至る。玄関前は、竹藪になっている。