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「帰省列車から」

 

         佐 藤 悟 郎

 

 

 混雑した、暑苦しい客車の中で、彼は立っていた。夕暮れになろうとしている頃、盆の帰省列車は、広い蒲原平野の中を一路北へ向かって走っていた。彼は、混雑する車内で、立っている人や席に座っている人の色々な姿を見つめていた。

 母親に纏わり付いている子供、それを見て泣いている子供、知らぬ顔をして煙草を吹かしている夫の姿が見える。突っ立って、本を読んでいる人がいる。彼の目には、全てが冷ややかに見えた。

 煩い程の話し声と暑苦しい車内の空気は、彼を息苦しいものとしていた。そんな中で彼は、清楚な姿を見た。それは、女学生の一団だった。夏休みの盆なのに、鞄を提げている。彼は、その一団の中の、一人の女学生を見ていた。戯れの集まりの中で、言葉も少なく、ただ微笑みを見せる女学生だった。彼も高校生だった。彼が幼い頃に亡くなった父の故郷へ、墓参りに行くところだった。父の故郷は、遠く離れており、殆ど知らないところだった。

 

 彼の降りる駅は、小さな駅だった。その駅に近くなり、列車が止まりそうになった。彼は、人を掻き分けデッキに向かった。

「済みません、空けてください。」

彼は、そんな声を聞いて、振り返って見た。あの言葉少ない女学生が、人混みの中を必死に出てこようとする姿を見た。彼は、その女学生の手を握ると、強引に引っ張りながらデッキへと向かった。二人が列車から飛び降りると、時も移さず列車は北に向かって走り去った。小さな駅のホームに立つと、西に沈む夕陽が赤々と見えた。

「有り難うございました。」

女学生は、鞄を前にして綺麗なお辞儀をした。

「いいんですよ。混んでいて、大変でしたね。」

彼は、微笑みを返して言うと、ゆっくりと改札口へと向かった。彼が改札口を出る頃には、もう女学生の姿は見えなかった。夕暮れの中、駅から出ると、空を仰ぐ彼の目は、清らかに光った。涼しい風が通り過ぎ、広場の木々に風のそよぎを感じ、広い地上には青い稲が揺れていた。駅前にあるたった一つの店が、暇な姿を見せていた。

 

 彼は、駅の横にある自転車小屋の前を通った。自転車の数も少なかった。さっきの女学生が、鞄を荷台に乗せ、紐で結び終えたところだった。女学生は、彼を見て黙礼をした。彼も快く礼を返した。彼は、懐から地図を出し、見つめた。そして踏切を渡ろうとする頃、女学生の自転車が彼の脇に止まり、女学生は自転車から降りた。青い稲原の中に、あちらこちらに森影が点在し、集落の灯りがつき始めていた。

「どちらに行かれるのですか。」

女学生は、彼に尋ねた。彼は、踏切の手前で地図を見せた。

「高沢という集落に行こうと思っています。本当に小さい頃、一度だけ来たのですが、覚えていません。初めてのようなもんなんです。」

女学生は、頷きながら聞くと

「何しにいらっしゃるの。その集落は、私も通りますから、一緒に行きましょう。」

と言った。その軽やかな言葉の響きを聞いて、彼は女学生を見つめた。女学生は、少し躊躇いを見せて目を反らし俯いた。

「父の墓参りに来たんです。」

女学生は、何も言わずに歩き出した。彼も少し後ろを歩き始めた。カラカラと女学生の曳いている自転車の音が、彼の耳に入った。

 

 夕陽は山の端に隠れ、二人の歩く道は暗くなっていた。上空には、まだ光が残っていたが、一番星が淡く輝き始めていた。人影のない、田圃の中の道を、二人は黙って歩いていた。ふと、女学生は立ち止まると、片手を上げて指差した。

「この道を真っ直ぐに行った、最初の集落が高沢の集落です。」

彼は、女学生が指差している方向を見つめた。集落の明かりが、赤く心細く目に写った。

「駅から近いと言われてきたんですが、結構距離があるんですね。」

二人は、また連れだって歩いた。歩きながら、女学生は彼に尋ねた。

「高沢の、どちらの家に行かれるのですか。」

彼は、女学生を見つめた。

「集落の最初の家と聞いています。叔父の名前は、樋口恭平さんと言います。」

彼の言葉を聞いて、女学生は彼を見つめ、心なしか軽く頭を下げた。女学生は、高沢の集落に着くまでの間、幾度となく彼を見つめ微笑んでいた。高沢の集落に着くと、最初の家の前で二人は立ち止まった。

「恭平さんのお宅は、ここです。」

女学生は、彼に向かって微笑んで言った。そして、彼に軽く会釈をすると、自転車に乗り走り去っていった。

 

 彼は、二日経った夕方、父の実家の者に連れられ、山の墓場へと出かけた。彼は、持ち慣れない花束と薬缶を持ち、父の実家の者達の後について歩いた。墓地は、女学生が去った方へ暫く歩き、次の集落が見えるころ、右に折れた山道を少し行った山の中腹にあった。見晴らしの良いところで、海岸の町の灯りがよく見えるところだった。

 彼は従兄の浴衣を着込み、下駄履きだった。墓場には、それでも多くの人が墓参りに来ていた。彼は、父の実家の墓地に行く途中、左手の奥まったところに立派な墓があるのに気付いた。墓参りを済ませたのだろう、その墓から五人連れの立派な出で立ちの人達が歩いてくる。

「宗家様の墓参りだね。」

彼の父の実家の者達が言う小さな声が、彼の耳に聞こえた。行き交う人は、宗家の人に深いお辞儀をしていた。彼は、宗家の中の浴衣姿の若い娘を見つめ、それがあの女学生であることを認めると驚いた。彼の叔父や叔母達も、宗家の者達が来ると丁寧な挨拶をしていた。彼は、手持ち無沙汰の様子でその様子を見ていた。

 

 叔父が、宗家の人に挨拶をしていると、あの女学生が急に辺りを見渡した。彼の姿を見付けると、微笑んで丁寧なお辞儀をした。彼もお辞儀を返し、娘を見つめた。

「お婆ちゃん、私、少し後から行きます。直ぐ追いつくから、先に行ってください。」

娘は、祖母にそう言うと、宗家の者達から離れて彼の前に立ち止まった。彼は、娘に会釈をすると、娘の脇を通って叔父達の後を付いていった。

 父の実家の墓に、花が供えられた。彼は、父の墓を捜したが見当たらず、父の実家の者に尋ねた。父の実家の者は、父の実家の墓の前の大きな松の木の根本を指差した。それは低い盛り土の上に、小さな木が植えてあるところだった。それでも花を供える筒があった。

 

 彼は、父の墓と言えば、墓石くらいあると思っていた。父の墓の貧しさを見て、暗い気持ちになった。もう誰の墓も目に入らず、暗い明かりの中で熱い涙が涌いてきたのだった。父の思い出が一度に思い返され、墓を見ていると悲しみが込み上げてくるのだった。

 彼は、花を手向け、水を上げ、線香を盛り土の上に立てて、熱い涙を流しながら手を合わせた。彼は、叔父に促され、ようやく帰ろうとした。振り向くと宗家の娘が、丁度彼に向かって手を合わせ、祈りを捧げている姿が目に入った。彼の父の実家の者達は、それに気付くと横へと身を移した。

 宗家の娘は、静かに目を開いた。

「亮吉さんでしょう。」

娘は、彼の名前を言った。彼は、驚きの目で、娘の瞳を見つめた。娘は、不思議なほど落ち着いていた。

「亮吉さん、悲しまないでください。私も悲しくなります。」

娘は、彼に向かってそう言うと、彼と父の実家の者達に深々と礼をして足早く去った。彼は、娘の言葉をしっかりと抱きしめた。

 

父の実家の者達は、宗家の娘が二年ほど前から、彼の父の墓に時々訪れ、草を除いて綺麗にして花を供える姿を見たことがあると言っていた。その理由について、思い当たることはないとも言っていた。また、彼の父が生きていた頃、墓参りに実家に来ると、いつも決まって宗家の家に遊びに行っており、彼の父が亡くなってからは、彼の母が毎年のように墓参りに来ると、同じように宗家の家に長い時間を過ごしていたとのことだった。

翌年の盆が訪れ、彼の母の足の怪我が治り、二人で墓参りのために列車に乗っていた。彼は高校を卒業し、大学へと進学していた。母は、列車の中で

「宗家の娘は、八千代さんと言うんだ。お前の許嫁なんだ。もうそろそろお前に言ってもよい時期だろう。八千代さんは、良い子に育った。」

と唐突に彼に言った。今時、そんなことがあり得るのだろうかと、彼は思った。

「今年は、お前と二人で、宗家の家にお邪魔しようか。」

彼の母は、言葉を継ぐように言った。彼は、母に何も答えなかった。明るく微笑む宗家の娘の姿を思い浮かべながら、車窓から飛ぶように移る景色を静かに見つめていた。