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「卒業生からの手紙」

 

         佐 藤 悟 郎

 

 

 春になると、私の勤めている高校の庭に、薄いピンク色の桜の花が咲く。その桜の幹は太く、花は大きく広がり枝の隅々まで、たわわに咲き誇っているのである。そして、新緑の頃になると葉は繁り、豊かな木陰をつくるのである。

 まだ、桜の蕾も膨らまない頃、多くの女生徒達が卒業していった。卒業生が校門を去っていく姿を見送りながら、遠く過ぎ去った、ある卒業生の思い出が、脳裏を掠めた。人間には、色々な人生の絵模様がある。その思い出をたどる度に、心に揺らぎを感ずるのである。

 

 一通の手紙が、私の手元にある。その手紙を書いたのは、とても美しく、賢い生徒だった。高校を卒業して、二年目のことだった。

…先生、私は悩んでおります。せっかく希望して入学した大学なのですが、早いもので、もう二年生になってしまいました。大学では、意思さえあれば多くの勉強、好きな勉強が、限りなくできるものと思っておりました。しかし、現実の自分を見ると、どうも専攻する分野の勉強しか、手が回らない状態なのです。

 私は、こんなにも馬鹿な生徒だったのでしようか。励まし合う友達もおりません。同じ専攻の学生の中には、他の分野の勉強をしている人もいるのです。先生は、努力をすれば、何事も成すことができると言われました。私は今、人には、努力をしても成すことができないことがあるという、疑いの心が生まれています。…

 

 私は、手紙を読んで、美しい娘の悲しそうな瞳を思い浮かべたのです。人間は、努力をすれば、ある程度のことをすることができると信じている。私の大学時代のことを思うと、その確信も揺らぐのである。私も、若き日々には、彼女と同じように、学問に対して激しい熱意を抱いていた。その熱意も、いつの間にか冷めてしまったのである。教師が、生徒に対して格言をいうのは、簡単なことである。そして言い古されたことを言っても、教師には責任がないのである。

 

…人間、知識を求めることは、素晴らしいことです。しかしながら、知識を求めて一体どうするのか、ということも考えなければならないのではないでしょうか。学問の目的が何であるのか、私もよく解らないのです。間違いのないところでは、学問が自分自身を生かし、人間という広い世界に寄与するものであるということです。

 人間の長い歴史の中で育てられた、多くの知識の全てを得るということは、残念ですが誰にもできないでしょう。また、全ての知識を得る必要もないのです。貴方は、自分が好きだと思うことを求めるのがよいと思います。好きでもない知識を求めることは、愚かなことです。そのような知識は、活かすこともできないでしょう…

 

 私は、こんな内容の返事を送ったが、しばらく経って後悔の心が生まれた。人間は、元来自由に生きることが大切であって、彼女を拘束するような言葉は意味がないばかりか、彼女の成長を阻害するものであると思ったのである。判断は、私がするのではなく、彼女自身がすべき問題なのだと思った。たとえ、彼女が人生の挫折を味わっても、それはそれで人生の証しとしてよいのではないかと思った。

 

…先生のお手紙、大変参考になりました。しかし、私は先生の意見の全てを納得した訳ではありません。好きな学問とは、一体何を指すのでしょうか。全ての知識に触れて、はじめて知ることができるのではないでしょうか。全ての知識の得ることによって、総合的に学問の目的をつかむことができるのではないでしょうか。…

 

 私は、二度目の彼女の手紙を読んで安心した。やはり若い人達は、激しさと、無限の希望を抱くことが大切てあり、正しい姿だと思ったからである。卒業していく生徒達を見つめ、それぞれが青春の時代を、人間らしく過ごしてもらいたいと思うのである。