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「雪の中の彷徨」

 

                 佐 藤 悟 郎

 

 

 寒い冬の日だった。人影も見当たらない郊外の野原の雪道を、一人の女が歩いているのが見えた。まだ若い娘で、遠くの町に向かって歩いていた。通りかかった私は、車を止めて娘に声をかけた。

「歩いて町まで行くんじやないの。乗っていかないか。」

若い娘は、寂しそうな微笑みを見せた。

「済みません。お願いします。そうしていただければ、本当に助かります。」

私は、助手席に娘を乗せると、暖房を少し強くした。毛皮のコートを着ているが、スカート姿の娘は震えていた。

「何処から歩いてきたんです。随分歩いたんでしよう。」

娘は、黙っていた。疲れていたのだろう、間もなく眠ってしまった。雪道を三十分近く走って町に着いた。

 もう日も暮れ、細かい雪が舞っていた。私は、スーパーマーケットの駐車場に車を止め、車から降りて店に入った。パンとジュースを買い込み、車に戻った。娘は、まだ車のシートにもたれ、眠っていた。

「駅に着いたんですか。」

往来する買い物客を見つめながら、ハンドルにもたれている私に、突然、娘の小さな声が聞こえた。私は、娘の顔を見つめた。

「駅へいくの。じやぁ行きましょう。その前に、これを食べなさい。」

私はパンとジュースを、娘の目の前に出した。娘は、小さな口を開けて食べ始めた。

 

 それから二年が過ぎた、夏のある日だった。私は、書斎で読書に耽っていた。庭の花々が、熱い日差しの中で風に揺れていた。

「ごめんください。」

その花々の中に、髪の豊かな涼しい姿をした若い娘が見えた。

「玄関先で声を掛けたのですが、誰もおいでにならなかったので、黙ってここまで入ってきました。」

と、丁寧なお辞儀をしながら、娘は言った。突然の若い娘の訪れに、私は驚いてしまった。

「何か、御用なんですか。」

私の問い掛けに、娘は少し戸惑った様子を見せた。

「いつぞやの冬の寒い日に、駅まで送ってもらった者です。お礼がしたくて、お伺いしました。」

私は、二年前の冬の日のことを思い出した。

 私は、娘を応接室に通して、紅茶を入れ、ケーキを出し、向かい合って座った。娘は、新潟の人だった。二年前のあの寒い日は、恋人と別れた日だったと、ポツリポツリと娘は話を始めた。

 

 年が明けての正月に、私は幾年か振りに、新潟の友人の家を訪問した。友人の家は、富豪の家らしく、華やいだ飾り付けをしていた。広くて美しい庭が見える友人の部屋で、友人と二人で酒を酌み交わした。少しホロ酔い加減になったころ、友人の妹が部屋に入ってきた。

「まだ日も高いのに、二人とも酒に酔っていて…。」

友人の妹は、少し呆れた様子を見せながら、二人に琴を聞きにきてほしいと伝え、部屋を出て行った。友人の母は、琴の師匠で今日が稽古始めということだった。

 友人と私は、広間に行き、六人ほどの琴の弾き手の前に座った。その中に一際美しい見覚えのある娘がいるのに気付いた。あの冬の寒い日に会った、若い娘に間違いはなかった。私は、ただ心の中に暖かいものが流れるのを感じた。

 二曲で合奏が終わった。そして御馳走が運ばれ、酒も運ばれると、華やいだ会食が始まった。しばらく時が流れ、あの若い娘は、順を追うように酌をして回っていた。そして最後に、私の前に綺麗に座った。

「杣木さんですね。これから色々とお会いできそうですね。」

若い娘は、私の瞳を覗くように、小さな声で私に言った。そして、少し顔を赤らめ、恥らいだ微笑を見せた。