リンク:TOPpage 新潟梧桐文庫集 新潟の風景 手記・雑記集




 

      「気違いになった少女」
 
                                                  佐 藤 悟 郎
 
 
 夜の十時ころ、その日は冬の冷たい雨が降っていた。一人の少女が保護された。足の親指から、鮮血が迸っていた。捜査室に入っても、制服の警察官に縋り付き、離れようともしない。長い髪は乱れ、顔面は蒼白で、胸元ははだけていた。
 
 調べ室に連れて行く。警察官が名前を聞いているが、答えようとしなかった。私も調べ室に入った。女は、警察官の右腕に捕まり、振り払おうとしても離さない。女は、激しく震えだした。
「ほら、足を上げなさい。血が噴き出しているじゃないか。」
そういう言葉も通ぜず、女の足は地に根を張ったように頑としていた。
 
 ようやく女は、微かに言った。
「笹口の小林澄子です。助けてください。」
一見して気違いのように見える。また、激しい震えや裸足であることから、事件の被害者のようにも思える。
 
 私は、女の名前を聞き、年格好から見覚えのある女だった。私は、管轄する派出所に照会したが、私の思っていた女に間違いなかった。三十分もすると、女の母と兄が迎えに来た。
「五日程前から、ノイローゼーになりましてね。」
と母親が言った。そして更に続けた。
「何か、姉の子供が騒ぐので気が散ったのでしょう。嫁入り前なのに困ったものです。良い友達でもおれば良かったのに。」
私は、母親の言葉を、目を細めて聞いていた。私が交際していた時の姿を思い出した。その時の彼女は、現代風の髪をした、明るいしっかりとした女だった。
 
 私は、女を見つめた。この娘に、一体何があったのだろうかと思った。母親が言っていることは、本当のことではない。あれほどしっかりした女性が、こんなになる筈はないのだ。女が狂ったのではない。私を含めた、この時代の人々が、全て病的で狂ってしまったのではないかと疑った。