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「甦る神…病院」

 

                 佐 藤 悟 郎

 

 

 救急車が、けたたましくサイレンを鳴らし、三人の交通事故の怪我人を運び、大きな病院に入りました。一人の美しい女性は、意識不明の重体の模様でした。その女性の恋人である青年は、頻りに女性に声をかけていました。もう一人の男は、怪我をしている様子もなく、目を閉じて腰掛けていました。病院に着くと、女性と青年は、それぞれ別の診察室に運ばれ、手当を受けていました。

 

 交通事故は、青年の運転する乗用車が追い越しに失敗し、男の運転する対向してきた乗用車と正面衝突するというものでした。青年は、手当が終わると足を引きずりながら、恋人のいる診察室へ行きました。

「一緒に乗っておられた方ですね。残念です。脳がやられています。」

医師は、青年に向かって恋人が死亡していることを説明しました。青年は、恋人の枕元に両肘を突き、声を上げて泣いていました。

「助けてください。先生、助けてください。」

医師は、俯き加減で、首を横に振るだけでした。

 

 間もなく、青年の両親が病院に駆けつけました。両親は、病院の職員に青年と女性の容態を聞き、事故の相手の人の怪我について尋ねました。事故の相手は、対向車を運転していた男一人ということでした。その男は、怪我の治療も必要がないほど軽く、ソファーの上で寝転んでいました。

「私の息子が、大変ご迷惑をおかけして、申し訳ありません。」

青年の両親は、ソファーに寝転んでいる男に謝罪し、深々と頭を下げました。男は、今まで見たこともないような、彫りの深い目をした人でした。男は、両親に優しい目を向けると、疲れたように再び目を閉じました。

 

 目を閉じている男に向かって、青年の両親は言いました。

「息子が好きな人は、死んでしまいました。その上、貴方にまで怪我をさせて済まなく思っております。いつも交通事故を起こさないように注意していたのですが、本当に済まないと思っております。」

両親は、男に対して丁寧なお辞儀をすると、肩を落とし俯いて女性のいる診察室に向かって歩いていきました。男は目を開け、寂しそうな両親の後ろ姿を見送りました。

 

 警察官が診察室に入り、女性の体を調べようとした、その時です。いつの間にか診察室に入ってきたのか、ソファーに寝ていた男が現れ、静かで重々しい声で言いました。

「生きている者を裸にすることは、いけないことです。」

男の言葉を聞いて、医師と警察官は、女性の心臓は停止しており、瞳孔は混濁状態で脳内出血をし、既に死亡していることを説明しました。男は、ゆっくりと首を横に振ったのです。

「貴方達は知らないのです。微かに心臓は動いており、脳の悪い血が取り払われていっているのを知らないのです。」

医師は訝しげな顔をして、女性の胸に聴診器を当てました。微かではありましたが、心臓の動く音が聞こえたのです。不思議なことに、瞳孔を見ると澄んできておりました。

 

 男は、診察台に寝ている女性の頭の方に立ち、女性の胸を開いて右手を押し当てました。すると女性の胸は、波打つように生き生きと鼓動を始めました。次に、男は閉じた女性の瞼の上に右手を置きました。女性の美しい瞳が甦ったのです。まさに奇跡が起きたのでした。医師も警察官も、その場に居合わせた人達全てが、厳かに生ずる奇跡を無言で見ていました。

 

 男は、静かに診察室から、そして病院から姿を消していきました。診察室にいる誰もが、去っていった男が神であることを信じ、自分たちが幸福な人間であると思いました。