リンク:TOPpage 新潟梧桐文庫集 新潟の風景 手記・雑記集




「雨の花火上げ」

 

新潟梧桐文庫 佐藤悟郎

 

 

 このごろ寂しいと感ずることがよくある。それが何のためなのかは知らない。今日は日中雨が降り、夜になっても時折降るような状態だった。私がコウモリを差してアパートの方に行くと、何か子供達がはしゃいでいる音がアパートの前は広場があって、その片隅には小屋があった。折しも雨は小降りになっていて、信濃川の水が激しく崖を打つ響きさえ聞こえてくるのである。

 

 小屋の前で花火が光った。その花火の明りから、小屋の入口の狭い庇の下に大勢の子供達がいるのが分かった。子供達は寄り添い、お互いがへばりつくようにして花火を上げているのである。今日、子供達は学校から帰りコウモリを差して買い求めてきた花火である。雨の中での子供達の遊びであるが喜びの声が満ちていた。私はそんな光景を見ながら、アパートの一番奥の入口へと歩いていった。

 

 その時である。空に一筋の稲妻が走った思うと、雷鳴とともに大粒の雨が激しく降り始めたのである。小屋の方を見れば、小さな庇は役に立たなかった。子供達は悲鳴を上げている。コウモリを持ってきた者は足早に帰っていくが、取り残された子供達は多くいた。私は何気なくその小屋に近付いた。

 「おい、入れてくれ。あのアパートの入口ま ででいい。」

私は子供達が入るがままに入れて歩いていった。子供達は花火を濡らすまいと胸に抱え、コウモリの中心へと体を向けていた。アパートの一つの入口に子供達は集まったが、意外に静かになった。小さな声で上げた花火の自慢や、雨が止むのを待っている声が聞こえた。子供達はアパートの住人が騒音に敏感であることを知っていたのだ。いつも煩ければ誰かが怒るために降りてくる。子供達は少し長い時間待ったが雨も止まず諦めて帰る者もあった。

 

 子供達の心には、昨日も雨、一昨日も雨、お祭りの三日間がいづれも雨で、今日の夜でお祭りが終りだという思いがあった。

 「おまえ帰るのか。明日上げたって面白くな いぞ。」

誰が言っているのか分からないが、その言葉で帰るのを止めた子供も少なからずいた。私も心配だった。子供達が大声でも上げて騒々しくしたらどうなるかを知っているからである。誰かに怒られ、子供達は花火を下着の中に入れて、散り散りとなって家に向かって走るだろう。私の心配が現実味を帯び出してきた。子供達は色々と愚痴を並べ始め、中には大声を出す者さえいた。三階建てのこの鉄筋コンクリート、階段に子供達の声が響き始めた。それが大きくなり過ぎたと思うころ、誰が言うともなしに

「しいぃー」

と言う合図、一瞬静かになるのである。そしてまたざわめきは大きくなってくるのである。

 

 耐えかねたかのように一人の子供が玄関の庇の下に出ると、外に向かって花火を上げたのである。他の子供達はその様子を静かに見守っていた。花火は火薬の匂いを残し消えていった。空気中にうっすらと煙が残っていた。子供達は静かに何かを待っていた。アパートの住人の反応は何も無かった。また誰かが花火を上げる。アパートの住人の反応はなく、沈黙をしていた。そんなことが数回と繰り返され、ついには子供達が我先に争うように花火を上げ始めたのである。子供達の声はひどく大きくなった。アパートの住民に聞こえないはずはなかった。子供達はもう静かにすることなど忘れている。私は内心心配だった。アパートの住人が思いドアーを鳴らし子供達を叱り飛ばすのではないかと。その入口の二階には警察官も住んでいた。

 

 その重いドアーが開く音と「ドン」といって閉じる音がしたのはそれからすぐだった。二階からの音だと子供達も察したらしく、一瞬の内に静かになってしまった。足早に人が降りてくる足音が聞こえる。子供達は階段を見つめた。

「おい、アチチ…。ちやんとそとに向かって上げろよ。」

その声で一瞬どよめいたけれど、また静かになった。軽い足取りで階段の踊場に一人の女の子が現れた。二階の警察官の子供で小学生である。その女の子は驚いたと思う。子供達、それも男の子達が大勢目を見張らせている。子供達の間に安堵の溜め息が漏れた。そして花火を上げだしたのである。子供達は気が付かなかったのかも知れない。その女の子が両手を後ろに回していたことを。私は女の子が踊場の手摺に身を隠そうとしたとき、後ろにした両手に花火を持っているのに気付いた。赤い紙に包まれた物や枝のついた物である。その時ほどその女の子が可愛らしいと思ったことはなかった。皆の前に姿を現し、とっさに身を隠した仕草が美しく思われたのだ。

 

 子供達ははしゃぎながら花火を上げている。女の子は父母に似ずいつも美しかった。少し大人びて、きちんとした清楚さを感じさせる子だった。白い服と白い短いスカートを身にまとっている。つい先日のことである。私がアパートを出て街に行こうと思ってなだらかな下り坂の方に目をやると、その女の子がステップを踏んでやってくる姿が目に入った。白い洋服、軽そうなスカート、その下で薄い茶色の脚が踊っていた。顔は色白で、髪は母の言い付けであるのだろう、後ろに束ね長くしていた。携えているのは音譜帳であろう、長い髪がステップで揺れていた。明るい日の下に風に向かう、いかにもあどけない清純な姿だった。その女の子は私の姿を見ると何もかも止まってしまった。風のそよぎさえ止んでしまったようだった。前髪を撫で上げ、恥ずかしそうにスカートの裾を直した。そして、物静に歩き始めたのである。大人がするような仕草だった。何食わぬ顔で通り過ぎていったのを覚えている。

 

 階段の踊場で見たその女の子は可愛らしいという他なかった。ふと気付いてみると、もう雨は小降りとなっていた。暫くして女の子の弟も踊場に姿を現し、一緒に子供達の仲間に入って花火を上げ始めたのである。いまだ雨は降り止まなかったが、他の二つのアパートの入口にも、アパートの子供連れの住人が姿を現し、それぞれに花火を上げ始めた。親あり、子ありの花火大会だった。花火は美しい彩りを放ちながら、次から次へと光り輝いていった。子供達はもう心配することはなかった。暫くすると雨も止んだ。子供達も入口の庇の下から離れ、大きな広がりとなりながら祭りの最後の夜、買い集めた花火を楽しんでいるのだった。