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「老人と踊りの練習」

 

新潟梧桐文庫 佐藤悟郎

 

 

 文通をしようと思って手紙を持って坂を下り、下町に降りた。下町には料亭のたたずまいが多くあった。もう日も暮れ果て、料亭の明りがほんのりと道を照らしていた。梅雨の頃であるが蒸し暑い。夕食を終わった人が時々玄関に出て涼を求めていた。一時の晴れ間に急いでポストのある煙草屋に向かった。この道を真っ直ぐ、更に下って行けば道は橋を渡って左右に分かれる。橋の下の川は右に大きくカーブをしながら信濃川に注いでいるのである。橋を渡ろうとしたとき、ふと、川の流れを伝って、お祭りの横笛の音が聞こえてきた。橋の上で立ち止まって、どこでやっているんだろうかと見渡すと、すぐ下流の下町の公民館から流れてくることが分かった。毎年十六日頃から夏祭りが始まり、その練習なのだろうと思った。ふと、私はもう夏が来たことを感じた。横笛の音は絶えない。

 

 ピーヒャラヒャラ、ピーヒャラヒャラ…という音色に合わせ、公民館に集まっていた小学生や中学生が踊っていた。煙草やは橋を渡って斜め前にあった。その脇には大きな料亭があり、垣根から庭の木々の枝が出ていて、川に沿った道に覆っていた。その木々の豊かさが、庭の明りのためであろうかほんのりと空に浮かんでいた。厳めしいほどの苔むした階段が料亭の奥へと続いているのが見えた。

 

 私は煙草屋のポストに手紙を入れるとすぐに川の反対にある公民館のほうに歩いていこうとした。涼みに出てきた人達が横笛の音に耳を傾けていた。橋の欄干に手を掛けている者、腰を掛けている者がいた。私は公民館の入口で、ふと女の子二、三人が中の様子を伺っているのに気付いた。小学生や中学生なのか、声こそ聞こえなかったが互いに肩を揺するようにして嬉しそうな姿だった。このような思い出が六、七年も経てば子供達の甘い夢となって心に残るのだと思った。私がそんな場所にいって雰囲気を壊すのもどうかと思った。

 

 私は川の岸辺に腰を下ろしてじっと公民館の練習風景を見ている老人の側に行き並んで見た。老人は囁いていた。

「あの踊りも、あの横笛の音も、太鼓の音も変わっていやしない。」

老人の声は寂しそうに聞こえた。今年の祭りは老人にとって一つ年が増えるだけでしかないのだろう。太鼓の音も横笛の音も老人の幼い日々を思い出させるだけのものなのかもしれない。

「私ゃね、連れも去ったし、家にいても孫に馬鹿にされるんじゃ。」

生きる望みもほとんど絶えた老人は私が立ち去ろうとしたときも、その場所から動く様子はなかった。家に帰っても仕方がないのだろう。小雨の中で私が橋の上から振り返ったとき、老人の姿は料亭の薄赤い灯の中に小さく見えていた。