今までの挨拶全文記録
佐藤悟郎作品集


 

 

令和6年1月13日  

 寒波が訪れ、寒く雪が音もなく降り続いている。元日に発生した能登半島地震の被災地の映像がテレビで流れてくる。倒壊した家や道路などに雪が積もっている映像を空しく見つめた。多くの人々が亡くなられ、今なお死の危険にさらされている人がいると思うと悲しみや哀れさを感ずる。
 未だ孤立地域が多く、被害の全容が明らかでないと思われる。将来を考えて途方にくれている人が多くいる。多くの支援が被災地にもたらされているが、十分なのだろうか。被災地の自治体は疲労困憊しており、その力にも限界があると思われる。更なる政府の有効な施策を願うばかりである。

 

令和5年11月16日

 冬が訪れたような気候で、咲いた庭の山茶花の花も散り始め、地面を白い絨毯のように見せている。この一か月間、手を離せない用件ができて、尺八の練習や執筆活動もできなかった。その用件も一応のけじめがつき、尺八を手にしたが音がかすれ満足感がなかった。
 初心に戻り、諦めることなく練習を続けるしかないと思った。執筆についても同様であり、大切な情操が疎かになっていることを感じている。これも初心に返って始めなければならないのかと思った。継続とは力なりとの言葉が、重く心に響いている。
 遙か昔の未熟な作品を並べ、書き換えや補筆をしている作品が多いと思っているが、とにかく納得できる作品を求めて、根気強く活動を続けなければならないと改めて思った。

 

令和5年7月9日

 ホームページ「新潟梧桐文庫」の手記・雑記等を掲載していた「越後の風」については、単刀直入に「手記・雑記集」と名称を変えました。内容を充実するには、相当の時間を要する見込みです。とにかくリンク付けだけは急ぎやっております。皆様が読みやすい文章とし、写真についても見て楽しいことを心掛けて、ページ全体を改善していく予定です。

 

令和5年5月3日 

 新型コロナウイルス感染禍によって、長い間多くの人々の行動は大きく制約された。尺八が好きな私の周囲にも大きな影響があった。私の先生は、「鈴慕会」故青木静夫氏門下で大師範の山田貢(鈴雅)先生である。コロナ禍によって演奏会はおろか、稽古の機会すら奪われてしまった。黙々と独りで吹き続けるのは辛いことである。
 最近になって、三曲演奏会の便りを耳にするようになった。一緒に吹いていた先生方に尋ねたところ、吹くのを止めたとのことだった。山田先生からの稽古の話もない。高齢のため、尺八を手にすることがなくなったとのことである。実に侘びしく、残念なことである。

 

令和5年3月26日 

 寒暖の気候が繰り返し訪れている。雪国にも、確実に春が訪れつつあるのを感じている。阿賀野川の渡り鳥の数も少なくなり、阿賀野川河川敷の雑草の緑も増してた。世情は戦争や経済、金融不安など、暗く国民生活に暗い影を落としている。いずれも人間が惹き起こす現象であり、解決する方法があるのではないかと思う。人間の幸福に至る道筋が一つだけだと思わないが、幸福に名を借りた誤った道筋を騙るのは非難すべきものである。

 

令和4年10月21日

 青空が見え、時折日が射す温い午後、阿賀野川の堤防上を歩いた。河川敷に家族連れの釣り人の姿が多く見えていた。川面には、最近まで見られなかった鴨が11羽浮かんでいる。鴨の姿を見ると、冬が間近に迫っているのだと思った。

 最近は、国内外の暗い情勢が耳に入ってくる。こんな時、地上に生きる人間の幸福とは何なのか、強く考えるのである。それにしても、寒々と感ずる日々である。

 

令和4年7月6日

 暑い日が続いている。どうにか過ごしているが、それも自分のことしか考えていない。苦しんでいる人々のことが浮かんでくる。世情が思わしくないのは、世界に暗雲が見えるからだと思う。それを詳しく考える余裕すらない。好き勝手に過ごした日々の生活の負が山積みとなっている。
 窓から青い空に白い雲が浮かんでいるのが見える。自然の営みは穏やかに推移するだろう。本格的な夏、そして秋、冬を迎える。季節の足音は次第に早くなっていく。そう思うのは、老いが進んでいるためなのだろうか。

 

令和4年5月20日

 五月になって雑草も茂り、阿賀野川の鴨の姿は見られなくなった。浅い木々の緑も濃く変わりつつある。季節の移りは早く、アカシアの白い花も散り始め、暑い日も多くなった。

 日々を明るく、楽しく過ごしたい。そう思いながら、醜い世情の話を思いながら、散策する毎日である。人間の本来あるべき姿とは、何なのかと思いながら。

 

令和3年11月26日
 庭の純白の山茶花が散り、紅葉も大半葉を落とした。そして冬の訪れを知った。いずれ庭に雪が降り積もり、長い冬を過ごさなければならない。
 新潟の冬はまだ雪が少ないが、小千谷や安塚と雪の多いところで過ごしたことを思い出す。この冬を無事に過ごせるか心配である。春を待ちわびる心が強い。新型コロナウイルスの拡散が、どこまで、いつまで続くのか心配である。

 

令和3年7月3日
 梅雨の季節で各地で災害が発生している。新潟では山間地では雨が降っているようであるが、平地では雨が少なく、暑い日が続いている。梅雨の終末を迎えると平地でも豪雨になることが多い。早めに心の備えをしなければならない。
 東京オリンピックの開催が間近になっている。そんな中、新型コロナウイルス感染が収束していない。色々と対策を講じていると思われるが、効果が現実となって現れていない。考えてみると、国民一人ひとりが気を付けることが大切でないかと思われる。不注意による感染があってはならないと思っている。

 

平成30年5月4日

 トンボや蝶の数が減ったように感ずる。昔の小川には、鮒や糸魚、追河、泥鰌、イモリ、蛭などがいた。その姿は見えなくなっている。川が整備され、水が綺麗になったように思われるが、果たしてそうなのだろうか。水藻もなくなり、川の流れにも淀みもなく早く流れている。水質にも変化が生じているのかも知れない。

 戦後間もない時代を知らない人は、今の状況が当たり前と考えているだろう。本当の自然の姿を知らない時代になったことに寂しさを感ずる。絶えた自然を取り戻すことは、殆ど不可能のように思える。

 

平成30年2月3日

 今年の冬は、新潟市でも雪が多く積もりました。寒気が抜けると雪が溶けて地肌が覗きます。そしてまた寒気が来るようです。その繰り返しが続き、だんだんと春が訪れるのでしょう。今日は節分です。皆様の家庭が幸福でありますように、お祈りいたします。

 先月の二十日過ぎに、散歩にデジタルカメラを持っていくことにしました。松浜は、阿賀野川の河口に位置しております。時には阿賀野川の撮影写真を掲載したいと思っております。これは「新潟の風景」と別枠の掲載を考えております。

 

平成30年1月1日

 新年明けましてお目出度うございます。本年もよろしくお願い致します。昨年、創作面が遅々として進まず、反省する点が多くありました。また「新潟梧桐文庫」の内容を充実するために色々考えておりました。「越後の風」の雑記集の全面改定をすることを考えております。

 毎日のように散歩に出かけております。阿賀野川の堤防を歩いていると、冬になると多くの鴨の姿が見えます。鴨の幼鳥は、岸に上がって何かを啄んでおります。その幼鳥の数が減っていないのを見て安心を覚えます。寒い冬が早く過ぎないかと思い歩いております。

 

平成29年7月1日

 駅南コミセンでの尺八の稽古に行ってきた。山田先生は、頻りに時が経つのは早いと、幾度も言っていた。やはり歳のせいなのかも知れない。時の刻みは変わらないけれど、人間の行動力や脳の働きで変化するのかも知れない。行動や脳の衰えで、若い頃に比べ、時に追い付いていかないのだろう。これは誰にも言えることではないが、私には当てはまりそうである。時の長さを測りながら、生活を組み立てなければならないと思った。

 

平成29年1月22日

 先週の寒波による雪は、強いもので新潟の浜近くでも、降雪が四十センチほどとなった。庭の新雪に、雉の足跡が点々とついている。雉と異なった足跡は、おそらく狸のものだろう。

   新潟梧桐文庫の模様替えがほぼ終了しました。急激な変更は、全体を破壊しかねないことから、緩やかな変更となりました。以後も、考えながら良い方向へ改善をしていきたいと思っています。作品の内容の向上が、これからの重点となると思います。 

 

平成29年1月2日

 新しい年を迎え、皆様のご多幸をお祈りします。

 本年もよろしくお願いいたします。

 例年に比べ、暖かく感ずる新年のように思われます。「新潟梧桐文庫」の充実を図るため、模様替えを考えております。複雑から簡明へと、雑多から美的への配慮、各文書の推敲・校正などの強化を進めたいと思っております。年々、心身が脆弱となっているように感じておりますが、鞭打って活動を活発にしていきたいと思います。

 

平成28年12月22日

 年の瀬は、何かと心が騒ぎ、忙しくなる。そんな中で一年を顧みると、僅かなことしかしていなかったことに気付く。何故だろうか、考えてみても答えが見当たらない。怠けていたのだろうか、智恵がないのだろうか、そんな悪いことばかりが脳裏を掠めていく。頭の中を空にしなければ、新しい考えを描かなければ、新しい年を迎えることができないような気がしてならない。

 

平成28年6月12日

 時の流れと行動には、落ち着いて注意を払わなければならない。物事を考える力や活動する意志が弱くなっている事実を軽視しているのではないだろうか。桜、藤、躑躅の時期は、足早に通り過ぎて行った。それらの花々を茫然と見送るだけだった。余計な思いや行動に明け暮れた。思い描いた姿を追い求めなければならない。持つべき尊い思いを忘れ、深い悲しみに陥ることだけは避けなければならない。

 

平成28年3月1日

 早春の頃を迎えますが、寒さはまだ続きそうです。庭の藪椿の赤い花が満開となり、風雪に凛とした姿を見せております。春の暖かさが待ち遠しいのですが、春は瞬くの間に訪れ、そして過ぎ去っていくのでしょう。飯豊の山並みも緩くなったように見えます。季節の移りゆくのを、日々楽しみたいものです。

 

平成28年1月9日

 新しい年を迎え、心改まる思いがします。北風が渡る阿賀野川の川面に、鴨の群れが波に揺られながら浮かんでいます。雲の切れ間から一条の光が差し込め、川面は光り輝き、鴨たちは空を見上げました。一羽の鴨が水を蹴って空に舞い上がると、次々と群れの鴨達は空に舞い上がりました。私の目には、その群れは天空の光に向かっているように思いました。群れは光に吸い込まれるように小さくなり、やがて消えていきました。

 

平成27年8月23日

 夜の風が涼しさを増し、虫の音も高くなった。秋が来ているのだと思った。季節の移りは早く、冬の訪れを思ってしまう。年を重ねる度に、冬が大嫌いになってきた。冬の寒さが耐えがたいのだ。そうは言っても、秋を迎えたばかりで、あちらこちらで秋祭りが行われている。そう多くはできないが、作品を順次手直しをしている。少しでも思いに適うものとしたいと思っている。

 

平成27年7月20日

 暑い日が続き、青い空から灼熱の日差しが降り注ぐ。京都からお客様を迎え、松浜漁港や砂浜を案内した。私が訪れたのも、数十年前のことである。荒涼とした浜辺から、草木が目立つ風景となっていた。身近な風物の変化を捉えようとしなかったことに、不満を感じた。阿賀野川の堤に立ち、佐渡の彼方に沈みゆく夕陽を、ただ茫然と眺めていた。

 

平成27年8月15日

 過去と向き合っている。過去は、不満だらけの倉庫である。過去を捨ててしまう人が多いが、私は捨てない。捨ててはならないと思っている。今思えば、悔悟の日々のことである。どの思い出をたどっても、喜びの思いが浮かんでこない。それでも過去を捨ててはならないと思っている。

 

平成25年10月1日

 雲のない夜空を見上げ、星の瞬きを見つめた。ちりばめられた天空の星、冷たくあるいは暖かく輝いている。その輝きは、思いも及ばない程の太古の光であるのも多い。壮大な宇宙の歴史と生物誕生、人間として生まれた偶然性を思うと、生きていることの尊さを感ずる。人が逝くのも定めであるが、故なく生命を落とすようなことがあってはならない。

 

平成25年6月27日

 新潟では梅雨の季節なのに、青空が広がり暑い日が続いている。野山の緑は、ますます濃くなっている。紫陽花や菖蒲の花も盛りである。冬の厳しさに比べれば、暑さは何とか我慢ができる。そうは言っても国内では、大雨になった地方もある。如何なる天災に対しても、物の備えに増して、命を守るという強い心が大切でないでしょうか。

 

平成25年4月12日

 桜の季節を迎え、冬の寒さが過ぎていく。間もなく、草木の鮮やかな緑が、山や野を満たすだろう。穏やかな時の移りを眺め、人々の心の豊かさを思う。野辺の花を見つめて微笑み、川辺に佇んで顔を写し見る。懐かしい思い出が、彷彿と掠め、心に小さな囁きが聞こえる。静かに顔を上げ、大空に向かって手を広げた。

 

平成24年12月10日

 鳴り響く吹雪で新潟の冬の訪れを感ずる。千々に割れた雲が流れ突然暗くなり、遠くの木々や家屋が掻き消され、山並みは更々望むことはできない。紅葉の秋は瞬く間に過ぎ去り、長く厳しい冬を過ごし、春を待つだけである。大震災に遭われた人々の暮らしが心配である。荒涼とした大地に、寒風が荒れているのだろうかと。

 

平成20年1月1日

 新年、明けましておめでとうございます。皆様には、本年も良いお年でありますように心からお祈りしております。「新潟梧桐文庫」を更に充実していきたいと思っております。今後ともよろしくお願いします。活動の進捗状況を反省し、徐々に改善を図っていきたいと思っております。ご意見等ありましたら、遠慮なくお寄せください。

 思いついことは、実践することにした。主に職場での改善である。時間割を検討する必要がある。

 

平成19年12月27日

 新潟の自然の恵み、豊かな風情を大切にしたい。窓の外の青桐は、生きいきとした姿を見せている。青桐は、空に向かって精一杯、大きな葉を広げている。太陽と月、星と雲を友とし、時空を超えた想いを語り合っている。青桐を見ていると、過ぎ去りし日々を懐かしく思い、郷愁を感ずるばかりである。

 

平成16年12月20日

 昨夜から雪が降り出し、今朝も小雪がちらほらと舞っています。暖冬の折、漸く雪国らしい風景となりました。山間地では、有り余るほど雪が降ったのではないかと思います。長岡、小千谷、安塚と、雪の多いところで過ごしたことを思い浮かべます。千変万化する雪模様、純白の中に思いが流れていきます。

 このページ、何か、堅苦しいページと思いませんか。私の性格が良く現れているのかも知れません。気楽に行動していかないと、行き詰まってしまう。考え込んでも始まらないので、言葉だけではなく本当の自由を実現したい。感情の浮き沈みで左右されないように、フラットな活動が大切だと感じています。

 

平成16年11月2日

 新潟県中越大震災に遭われた人々に心からお見舞い申し上げます。

 私も中学校・高校を小千谷で過ごし、その後短い間でしたが、山古志中学校池谷分校で代用教員をしておりました。懐かしい思い出を多くいただき、それだけに心配しております。 どうか心を一つにして、再建のために頑張っていただきたいと思います。