リンク:TOPpage 新潟梧桐文庫集 新潟の風景 手記・雑記集
 

 

 

「社長の賭」 (その四)

 

                         佐 藤 悟 郎

 

 ( その一  その二  その三  その四  その五 )

 

 

 翌日、二人は早く起き、信司は新宿駅まで社長を見送りに行きました。駅で蕎麦を食べ別れたのですが、その時社長は
「昨日の食堂の奥さん、どこかで会ったような気がするな。まあ、大西君体には気を付けてな。」
と言ったのです。社長は上野に出て、長距離列車に乗り込み新潟に向かったのです。車中でうとうとしながら目を閉じました。そして食堂の奥さんに似た女性を思い、記憶をたどっていました。
 小学校、中学校を過ごしたころ、食堂の奥さんに似た女生徒がいたのです。少し可愛らしい子だったのですが、貰われっ子だとの噂がありました。口数も少なかったのですが、一生懸命に勉強をする子でした。
 社長が親戚の家を飛び出して、新潟で働いていたころのことでした。二十歳も過ぎたころに偶然街角で会ったことがありました。その時、彼女は紡績会社に女工として勤めていると言っていました。それから三年経って、商用のため喫茶店でお客相手に話し込んでいるとき、隣の席に彼女が座りました。彼女の向かいには背広姿の青年の姿があったのです。
 彼女は社長に気付いたらしく、お客が小用のため席を外した時、彼を紹介し結婚するのだと言っていたのです。彼女の名前は確か田村幸子でした。おそらく信司の母ではないかと思いました。食堂の奥さんが、余りにも彼女に似ていると思ったのです。
 社長は、そんなことを思い出しながら、人間の巡り会わせの不思議さを思ったのです。敢えて信司に言う必要はない、言わない方がよいと思いました。そして眠ってしまったのです。

 年が明けて春になって、澄子は、大学を卒業すると新潟市内の私立女子高等学校の教員となりました。最初の年で、授業の在り方や生徒の生活指導などで結構時間を費やしました。部活動については、担当から外れましたが大学で美術部に入っており、将来は美術部を担当したいと思っておりました。
 仕事に追い捲られ、秋を迎えました。突然、宇佐美百合子から電話があり、高校時代の集まりの誘いがありました。話を聞いてみると、それまで四人の友人だけの食事会とのことでしたが、四の数が縁起が悪いということで誘ったとのことでした。何の魂胆もないと思い、澄子は誘いを受け入れました。
 昼食会に出ると、高校時代によく話をした者ばかりで安心したのです。食事をしながら高校時代の思い出話や近況など、盛り上がりました。会を取り仕切ったのは百合子でした。
 百合子の家は、市内では大きな経理会社を経営しておりました。百合子も計理士として会社の仕事に従事しておりました。百合子が地方財閥の鶴橋家の息子雄一と婚約していることで、会の中心人物となっているのでした。
 次回に会うことを約束し、会は終わり別れたのです。百合子は、澄子に話があると言って、ビルの屋上喫茶に誘い、小さなテーブルに向かい合って腰掛けました。腰掛けて間もなく、百合子がこともなげに
「澄子、大西君という人知っている。絵がとても上手な方よ。」
澄子は予期もしない問いかけに、驚き慌てたように百合子を見つめたのです。澄子は一度下を向き、顔を上げると
「ええ、少しは知っている。」
そう言って、俯いたのです。百合子は、鶴橋雄一と一緒に、信司のアパートで見た澄子に似た絵のことが気になっていたのです。百合子は、澄子の様子を見て何かがあると確信しました。
「実を言うとね、私の彼氏、鶴橋雄一さんと大西君は、とても親しい仲なの。」
百合子が話し出すと、澄子は顔を上げ頷きを見せて聞いていました。
「鶴橋さんが、私の肖像画を描くように、大西君にお願いしたのよ。大西君、一生懸命に描いてくれたわ。描き上げてね、その絵を二科展に出品したのよ。私たちに黙ってね。絵は見事に特選となったわ。あちこちの会場に展示され、こともあろうに買い手が付いたの。有名な画廊から高額でね。でも依頼主に渡すと言って断ったのよ。」
澄子が嬉しそうな表情を見せて聞いているのを見て、、百合子は意外と深い知り合いだと思ったのです。
「一年遅れで大学に入ったでしょう。でも、学業でもトップクラスだと鶴橋さんは言っていたわ。来年の春には大学を卒業するわ。新潟の会社に就職が決まっているとも、鶴橋さんが言っていたわ。」
澄子は、大西が来年帰ってくると聞くと、嬉しくてたまりませんでした。でも澄子は、悲しそうな顔をして俯いたのです。
「どうしたの澄子。大西君を少し知っているのと違うのでしょう。大西君を好きなんでしょう。」
悲しそうな顔を上げて、澄子は言ったのです。
「私、大西君のことを好きです。今でも忘れることができません。百合子、聞いて。大西君の交際を断ったのは、私なのよ。もう、取り返しがきかないのよ。」
そう言うと今にも泣きそうな目を見せ、俯いてしまったのでした。
「澄子、よく聞いて。今でも、大西君は貴女のことを思っているわ。鶴橋さんと一緒に、大西君のアパートへ行って私の肖像画を見に行ったとき、大西君の部屋に、微笑んでいる貴女の絵が額に入れられて飾ってあったわ。今でも大西君、貴女を思い続けているのよ。大西君を信じてあげて。」
澄子は、瞳を濡らした顔を上げて、百合子に向かって大きく頷いた。
「私、信じます。百合子、有難う。今度大西君に会ったら、謝るわ。そして仲直りするわ。」
そう言って、澄子はハンカチを取り出し目に当てました。百合子はその姿を優しく見つめていました。

 信司は卒業式が終わり、優等生の賞状を手にしてアパートに帰りました。翌日の午前中に運送会社に荷物を渡す手はずをしており、蒲団を残して全て荷物を纏めました。初春の夕方は、まだ冷え込んでいました。食堂「かみやま」で最後の卵丼を食べるつもりで食堂に行ったのです。ところが提灯の明かりは消えて、店の暖簾も出ておりませんでした。玄関戸の内側のカーテンが引かれており、僅かに店内の明かりが点いているのが分かりました。
 信司は食堂の前に立ち、どこの店に行こうかと思案しておりました。そんな時食堂の玄関戸が開き、奥さんが顔を覗かせて手招きをしているのが見えました。信司は、一礼してカーテンを押さえている奥さんの前を通り店の中に入りました。信司が店内に入ると、奥さんは勢いよく「ピシャリ」と玄関戸を閉めて鍵を掛けました。
 店の中の真ん中のテーブルにご馳走が並んでおり、帳場から一升瓶の清酒を持ち上げて信司に見せながら店主が姿を見せたのです。
「大学卒業、お目出とう。明日、お里に帰るんだって。今夜はお別れのパーティをすることにしたんです。女房がどうしてもと言うし、私も大賛成だったんです。」
そう言いながら、テーブルの椅子に腰を下ろしたのです。
「お目当ての卵丼は、最後にしましょう。」
そう奥さんが言って、信司が腰掛けるのを待って、奥さんも腰を下ろしました。酒は茶碗に注ぎ、三人で乾杯の声を上げました。蛸やイカ、鮪、鯛などの刺身が大皿に盛られ、それを小皿に取って食べました。キャベツ、玉葱、干物、そして漬け物が並んでいました。信司は、どれも美味しく食べ、酒も大いに飲みました。酔いに任せて、主人と信司の声が大きくなった頃、主人が言いました。
「大西さん、毎日のように来ていただき有難う。女房が話したいことがあると言っていた。ひとつ聞いてやってくれないか。」
と言ったのです。信司は、奥さんの顔を見つめました。
「いやね、大西さんに、毎日のように卵丼を食べていただいたでしょう。そして大西さんのお母さんの味だと言ってくれたでしょう。私が、大西さんのお母さんと似ているとも言ったわ。私、とても嬉しかったのよ。他人のように思えなくなったの。」
そう言って、奥さんは酒を一口飲みました。
「これから少し、身の上話をするわ。私には、一つ違いの姉がいたの。私が生まれたのはアメリカと戦争が始まった頃なの。私の父は貧乏画家だったわ。戦争が終わって間もなく母が死に、それを追うように父も死んだわ。姉は、どこか遠くの家に貰われていったの。突然いなくなったのよ。父が死んで、私は路頭に迷ったのよ。折良く、主人の父に拾われて育ったの。ここにいる主人は、とても私に優しくしてくれたわ。だから私、喜んで主人と一緒になったの。」
奥さんはそこまで言うと俯きました。悲しみを思いだしたのでしょう。少し無言のままでしたが、それを振り払うように顔を上げて、笑顔を見せたのです。
「家で鶏を飼っていたのよ。三羽いたわ。餌がなかったのよ。私と姉さんの二人で、あちこち駆けずり回り、餌を集めたわ。卵を産んでくれたの。時々お母さん、卵丼をして、それを分けて食べたの。とても美味しかった。母が亡くなった後も、父が卵丼を作ってくれた。お母さんと同じ味で美味しかったの。きっと母に教えて貰ったのでしょう。」
そう言って、奥さんは懐の四角の袋から写真を取り出し、信司の前に出したのです。写真は、幼い女の子が二人並んで写っているものでした。信司は、確かに双子のように似ていると思いました。
「もしかしたら、大西さんのお母さん、私のお姉さん、名前は小夜子と言いますが、私のお姉さんではないかと思ったのです。そう思うと、大西さんが他人に思えなかったのです。ご免なさいね。」
信司は、母の旧姓は田村であり、食堂の奥さんとは違うと思い、写真を奥さんに返しました。
「私の母の旧姓は田村、名前は幸子です。ご免なさい。辛いことですね。でも、私の母、奥さんに似ています。」
信司は、奥さんをいたわるように言ったのです。
「でも、大西さんに会って、幼い頃のこと、姉のことを思いだすことができました。感謝をしていますわ。そろそろ、卵丼を作りましょう。」
奥さんがそう言って立ち上がろうとしたとき、店の玄関戸を激しく叩く音が響きました。奥さんは、玄関戸まで行き、何やら話し声が聞こえました。奥さんは戸を開いて男女二人連れを店に入れると、玄関戸を閉めて鍵を掛ける音がしました。
奥さんは、信司の側まで二人を連れて行きました。
「大西さん、息子の浩伸と息子の彼女です。大学を卒業して帰ってきたのです。」
奥さんの言葉で、信司は二人を見て少し驚きました。息子を見たとき、多摩湖で会った西岡浩伸青年だと分かったのです。息子も、気が付き
「大西さん。大西さんですよね。良かった。」
そう言って、大西に手を延べて握手をしたのです。
「知らないお客さんだと困ると思っていたのです。」
そう信司に言いました。そして信司の手を離すと、店主の父と奥さんの母に向かって言いました。
「お父さん、お母さん、知っていますか。大西さんは絵の上手な人です。一昨年、大きな展覧会に特選を得た人です。絵の世界でも、将来大いに期待されている人です。」
奥さんは息子の言うのを聞いて、やはり信司は姉の子供ではないかと思いを強くしました。
 その後、浩伸とその彼女が加わり、夜遅くまで飲み食いをしたのです。信司はアパートに帰ると、すぐ床に入って深い眠りに陥りました。翌朝、少し酒が残っていると思いながら、蒲団を蒲団袋に入れ、しっかりと結びました。荷物を運送会社の車に積み終わり見送った後、すぐに食堂の奥さんが来ました。
「これ電車の中で食べてください。私達のこと、忘れないでくださいね。食堂の名前の「かみやま」、これは私の旧姓、神山からとったのです。」
そう言って信司に昼食の包みを渡しました。アパートの管理人が姿を見せ、部屋の中を確認しました。管理人、それに食堂の夫婦、息子に見送られタクシーに乗り込み、アパートを後にしました。
 

 

( その一  その二  その三  その四  その五 )