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「お囃子の新助」(その一)
佐 藤 悟 郎
(その一)(その二)(その三)(その四)(その五)
江戸時代も末のころ、越後の岩船郡のある村に高森時太郎という若者がおりました。その村の祭りでは横笛の囃子が聞こえました。時太郎が吹く横笛は、皆が上手と褒めていたのです。時太郎は、暇さえあれば熱心に横笛の稽古をしていました。祭りのお囃子では物足りなさを感じ、江戸に出て横笛の名手となって一派を立てたいと思うようになったのです。
十六歳になると父と兄の承諾を得て、江戸へと旅立ったのです。江戸で遊んだことのある村の長老が、 「江戸の深川では、笛や三味線の音がよく聞ける。」
と言ったのを時太郎は覚えておりました。江戸に入り深川に行きますと、芝居小屋、楼閣から横笛の音が流れてくるのを耳にしました。横笛の音を聞いては、自分を使って欲しいと申し入れたましたが断られてしまったのです。
時太郎は諦めませんでした。通りを少し離れたところを歩いていると、横笛と三味線の音が聞こえてきたのです。その家の前に立つと、「多賀良横笛稽古場」と書かれた看板が見えました。
時太郎が覗いていると、老人が時太郎が覗いているのを見て、道場から出てきて時太郎に 「どうしたのだ。何か、横笛でも好きなのか。」
と問いかけたのです。時太郎は 「はい、私も横笛を吹きます。修業したいと思い、江戸に出てきたのです。」
老人は、彼の風体を上から下まで見つめたのです。時太郎は、懐から横笛を取り出し、老人の前に出して見せたのです。老人は時太郎が出した横笛を手に取って、しばらく見つめていました。
「この横笛、誰が作ったものか。」 と時太郎に尋ねました。時太郎は 「私が作りました。村で横笛を作る人がおり、教えてもらって作りました。」
と答えたのです。老人は頷いてから時太郎の横笛を構えて一通り音を出してみました。
「この笛は、音が定まっていない。江戸の唄、笛や三味線などと合わない。」
そう言って、老人は、横笛を時太郎に返しました。老人は時太郎を手招きをして、稽古場に入れたのでした。
老人の後を歩き、稽古場を通り抜けて小部屋に入りました。彼は小部屋の中の台に並べられた横笛を見て、蒔絵で美しく飾られているのを見て驚いたのです。そして老人が横笛の吹き手だったことが分かりました。
「この横笛を吹いてみないか。」
老人に言われて、彼は横笛を手にして吹いたのです。音は出るのですが、自分の手の運びでやったためか、思うような音を出すことができませんでした。
「初めてにしては、中々良い音が出ている。指の運びも早く、高い音と低い音の出し方もできている。江戸の横笛の音が分かれば、良い吹き手となるだろう。」
老人は、彼にそう言いました。その後に、 「どうだ、私のところで修業してみないか。」
と誘われたのです。老人は多賀良と名乗る人でしたが、時太郎は深いことは知ろうとしませんでした。
深川での料亭の座敷は、芸者の唄や踊りには三味線を使うのが専らでした。ただ地方で流行っているように芸者の唄や踊りにお囃子として横笛や小太鼓を使う座敷も数軒あったのです。深川は、地方の商人達が多く訪れることから、賑やかな座敷としたのです。そればかりでなく長唄や小唄などで横笛が入るのを楽しんでいる客が少なからずいたのです。波勢屋という大きな料亭は、そのようにお囃子に横笛や小太鼓を入れる料亭の一つでした。
多賀良老人は内弟子を置いておりませんでしたので、時太郎が初めての内弟子となりました。稽古場には芸者や町の子弟等が日を定めて習いに来ておりました。時太郎は、稽古場で廊下続きの離れで多賀良老人と二人で寝食を共にしました。時太郎は、多賀良老人から横笛をさずかり、持っていた横笛を多賀良老人に渡し、稽古を重ねたのです。時太郎の激しい稽古で、多賀良老人が思っていた以上に早く時太郎は上達をしました。
大勢のお囃子がいる場には、多賀良老人は時太郎を伴って連れて行くようになったのです。二十二の年になると時太郎は、一人で座敷に赴き芸者の三味線と合わせて横笛を吹くようになりました。こんなことから芸者衆や料亭の中では、お囃子の「新助」と呼ばれるようになりました。お客の中でも「新助」と名指しで座敷に呼ぶお客も少なからずおりました。
時太郎は、一人前のお囃子仲間となりましたが、時々故郷の庄屋の娘千代のことをを思いました。江戸に向かうとき、故郷の川の渡し場で手を振って見送る千代の姿を思い出すのでした。そして故郷を後にするとき、父仁太郎に言われた言葉をも思い出すのでした。
「お前は江戸に行くのはよいが、江戸で暮らすようになるだろう。庄屋の千代とお前が許婚ということは承知していると思うが、お前がどうなるのか分からない。許婚のことは反故にすると庄屋に言っておくから、それだけは覚えておくが良い。」
困惑した顔で言った父仁太郎に、時太郎は申し訳なく思い、首を垂れて聞いていたのです。一人前のお囃子仲間になりましたが、所帯をもって妻を養うことは、ほど遠いことだと思いました。それにもまして許婚の約束から解放された千代が、どのように成長したのか分かりませんでした。そんなことを思うことは意味のないことと時太郎は思いました。
多賀良老人は、時太郎に口癖のように言っていることがありました。
「私は横笛の音は大好きだ。いつまでも、唄や三味線のお囃子の道具であってはならない。横笛は独り立ちをしなければならない。胡弓の曲、尺八の曲を吹けるようにしなければならない。それを踏まえて、横笛だけの曲を創ることだ。」
また、ある時は
「新助、お前と始めて会った時、お前が作った横笛を見せてもらった。蒔絵の作りではなく、簡素な作りだったのに感心したのだ。横笛は誰でも手に入れることができ、吹くことができるように安価なものでなければならない。そうしないと横笛は狭い世界に閉じ籠り、いずれは絶えていくだろう。」
「今の横笛は、音が笛によって高低が異なっている。どの笛でも音が同じように定まっていなければならない。そして一つひとつの音に符号を付けて、誰でもその符号を見て曲を吹くことができるようにしなければならない。そうなれば横笛が永遠に吹き続けられ、愛されていくことになるだろう。横笛の音色は人の心を打つものだ。」
時太郎は、多賀良老人の言葉に心を動かされたのです。横笛は、単にお囃子であってはならない、そのためには一層の稽古を積むこと、多賀良老人が言っている安価で、どの横笛でも同じ音が出る横笛を作らなければならないと思ったのです。
時太郎は尺八の曲を吹いてみました。音の響きや重厚さは尺八の音と異なっていると思いました。そして横笛に似合った曲を作らなければならないと思ったのです。
ある武家屋敷の前を通ると、まさしく横笛の音が流れてくるのを耳にしました。立ち止まって聞いていると、澄んだゆっくりとした音色の曲でした。時太郎は、おそらく古い曲なのだろうと思ったのです。多賀良老人が求めているのは、古い曲だけではなく、横笛だけの新しい曲なのでないかと思いました。
時太郎は稽古場が空く日には、横笛としての曲を作っては吹いていました。ある夜、彼の笛の音に耳を傾けている者がいたのです。
「尋常ではない、吹き手だ。」
その者は、足音を忍ばせて稽古場の中を覗いたのです。燭台の仄暗い中で、凛とした姿勢で横笛を吹いている時太郎の姿を見ていました。
「ここは多賀良名人、宝一座から暇乞いした名人の稽古場だ。確か、評判のお囃子の新助という内弟子がいるところ。今、横笛を吹いているのは新助さんか。それにしても評判以上の吹き手だ。初めて聞く曲であるが良い曲だ。」
そう言葉を漏らして、彼の笛の音が終わるまで聞き惚れていたのです。その人物は、福田春太郎と言われる笛の名人でした。
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