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「お囃子の新助」(その五)
佐 藤 悟 郎
(その一)(その二)(その三)(その四)(その五)
千代に勇気付けられ、時太郎は横笛を吹き始めました。地主の父から庵を作ってもらい、朝晩となく稽古を重ねていました。千代は、毎日のように庵に通い続け、時太郎の笛の音を聞いていたのです。
千代の父は村の庄屋、織部惣右衛門という人望のある人でした。時太郎が江戸に立って間もなく、時太郎の父仁太郎から、時太郎と娘千代との許婚を反故にしたいと言ってきたのです。千代の父惣右衛門は
「それは千代と時太郎が決めることだ。二人も許婚ということを承知しているのだ。もう、親の出る幕でもないだろう。うまくないことになったら、その時に考えれば良いことではないか。」
と時太郎の父仁太郎に言いきかせたのです。時太郎の父は、千代の父惣右衛門の話を受け入れたのです。
時太郎が江戸に旅立って一年ほど過ぎると、千代は父に頼みごとをしました。
「時太郎さんが横笛の修行をしております。横笛には三味線が一緒だと聞いております。千代は、三味線を習いたいと思います。」
娘の真剣な顔を見つめると、千代の父惣右衛門は頷きを見せ承諾したのです。早速、城下の商家から三味線を取り寄せました。
そして城下の師匠に習い始めました。師匠は忙しく、月に一度の稽古も疎かになりがちだったのです。遠く離れた城下での稽古、その稽古も満足にいかなかったのです。千代が十八の年になると、隣村の梅田の家に後家さんが入りました。三味線がとても上手との話を聞き、梅雨に入ろうとするころ父惣右衛門に連れられて、千代は隣村の地主、梅田文四郎の家の門をくぐりました。そして千代は、梅田の後家さんから三味線を習うようになり、五年が過ぎていました。
しばらく経って、千代は時太郎に恥ずかしそうに言いました。
「千代は、時太郎さんが江戸に旅立ってから一年ほど経って三味線を習い始めました。最初は城下の師匠に習いましたが、五年ほど前から隣村の梅田の後家さんに教えてもらっています。できたら時太郎さんの横笛と一緒に合わせてもらえないでしょうか。」
時太郎は嬉しそうに 「それは有り難い。三味線の弾き方が欲しいと思っていました。」 と千代に向かって丁寧にお辞儀をしました。
千代は三味線を持ち込み、時太郎の前で小唄を弾きました。時太郎は千代の三味線を聞きながら、横笛で合わせました。
「お千代さん、とても上手ですね。江戸の姐さん方に負けないくらいです。」 と率直に褒め称えたのです。
ある日千代は梅田の師匠の志乃から、それとなく尋ねられました。
「千代さん、最近音が生き生きとしてきましたね。唄と言い三味線の音と言い、艶が出てきました。まるで横笛の音が聞こえるようです。」
千代は師匠の的を得た言葉に、時太郎のことを隠すことができないと思いました。
「はい、村で横笛を吹く人が江戸から帰ってきました。その横笛と合わせて弾くことがあります。」 と千代は言いました。それを聞いて師匠の志乃は
「よければ、今度、その笛を吹く方をお連れしてもいいですよ。」 と言いました。
春もまだ浅く寒い日でした。千代と時太郎は連れ立って、隣村の岩宿の梅田の家に向かったのです。二人は顔を見合わせました。
「千代さん、寒くないか。無理をするな。」
時太郎は、千代を労るように声をかけました。道端の草もちらほらと見えるだけでした。岩宿の村は、墨絵のように村影が浮かんでいました。
「大丈夫です。あの火の見櫓のある辺りが、お師匠さんの家です。」
千代は指差して言いました。千代は三味線の入った袋を小脇に抱え、時太郎は笛の入った袋を手に持っていました。
曇り空の下、ようやく二人は岩宿の梅田の家に着きました。梅田家の門構えは、そう大きくなかったのですが立派な造りで、黒塗りの板塀で囲われ、溝が巡らされておりました。門の中に入ると、大きな石と木々が目に入りました。前庭を進むと、奥まったところに母屋と蔵があり、鶏の鳴き声が聞こえてきました。
千代と時太郎は、玄関を通り過ぎ、水屋の方に回り、勝手口から土間に入りました。 「お稽古に来ました。この人は、横笛の高森の時太郎さんです。」
千代は、水屋にいた下女に言いました。下女は一礼をして、奥へ行き戻ってきました。 「奥様、お待ちになっております。」
下女の言葉を聞いて、二人は土間から板の間に上がり、千代が先になって奥へと向かいました。千代と時太郎は、庭に面した部屋の障子の前、廊下で座りました。
「お師匠様、織部の千代です。お稽古に来ました。」 と千代が声をかけました。 「千代さん、お入り。」
部屋の中から、しっかりした声が返ってきました。千代は、障子を開けて、廊下で座ったままお辞儀をしました。
「今日は、横笛の時太郎さんをお連れしました。」 千代が師匠の志乃に向かって言うと、続いて脇に座っていた時太郎がお辞儀をしました。
「それはそれは、今日のお稽古楽しみですね。」
志乃が答えると、二人は部屋に入り、千代は障子を閉めました。大きめの火鉢に炭が入っており、部屋は暖かくなっていました。志乃は、時太郎を見つめていました。二人は志乃の前に揃って座りました。時太郎は、志乃を見て、見覚えのある人だと思いました。志乃は、顔を綻ばせると、確信したように言ったのです。
「新助さん、お囃子の新助さんじゃあ、ありませんか。」 時太郎は、江戸での呼び名を言われ、多少驚きました。 「はい、新助です。」
千代は、驚いたように時太郎を見つめました。志乃は、頷きながら 「私、青柳ですよ。深川の。」
時太郎は、江戸で世話になった芸妓の青柳と分かると、緊張が解けて笑顔を見せました。志乃は三味線が上手な芸妓で、よくお囃子の横笛や太鼓と一緒に三味線を弾いていました。
「その節は、大変お世話になりました。」 時太カは、そう言うと深々とお辞儀をしました。
「こんな田舎で、上手な笛の吹き手なんかいないと思っていました。どんな人が来るのかと心配だったのです。」 そして志乃は、千代に向かって言いました。
「千代さん、新助さんは横笛の名手ですよ。一緒に合わせができるなんて、素晴らしいことです。」 志乃は笑顔で、何度も頷きを見せました。
江戸が東京と変わり、春之助は時太郎を気にかけて過ごしておりました。ある席で、囃子の新助のことを話す大店の商人に出会いました。
「最近、新助の姿が見えない。あれは横笛の名手だった。惜しい男だった。お里にでも帰ったのだろう。」 商人が、口惜しそうに言うのを聞いた春太郎は、
「新助さんのお里を、知っていますか。」 と、商人に尋ねました。商人は、思い出すようにたどたどしく言いました。
「確か、越後の北の方、岩船郡にある村と聞いている。村の名前までは覚えておらぬ。」 春太郎は、紙に書きとめ、商人に確認しました。
春太郎は、商人に聞いた新助の故郷を目指して、旅に出ました。おそらく新助は芸名であり、本当の名前は知らなかったのです。集落の一つひとつを尋ね歩いて回りました。遂に、時太郎にたどり着いたのです。春太郎は、時太郎と会って、これからの横笛の世界を作ろうと問い掛けました。
時太郎は、千代のいる前で少し考えたのです。東京に出て、横笛を吹きたいと思っていました。それに多賀良老人の言っていた、横笛の改革についてやらなければならないと思ったのです。春太郎と巡り合えたことは、絶好の機会だと思いました。落ち着いたら千代を迎えに来ると言うことで、時太郎は、春太郎と東京に向かったのです。
時太郎が深川に戻ると稽古場はそのままでした。春之助の世話もあり、時太郎はお囃子の仕事にありついきました。その一方で春太郎と共に横笛の改革にも携わったのです。
時太郎は、道場と住まいの整理を済ませると、千代を迎えに故郷に戻りました。そこで祝言を挙げ、千代を連れて深川に帰りました。千代が座敷で三味線を弾きたいということから、お囃子の一員として認めてもらうため波勢屋に向かったのです。波勢屋は、大女将に替わって芸者だった若女将が取り仕切っていたのです。深川芸者だった若女将は、お囃子として千代を使うか、その技量を確かめると言っていました。時太郎については、顔見知りで座敷に入ることは認めていたのですが、要は千代の技量だったのです。
若女将は、二階の大座敷で二人と向かい合ったのです。若女将は 「堅苦しいことをお願いして心苦しいのですが、お聞かせ願いたいと思います。」
そう言って「黒髪」を弾くように言いました。千代は凛とした顔つきで若女将を見つめ一礼をしました。三味線の用意ができると、千代と時太郎は「黒髪」を奏で始めました。千代の唄は、低い声、高い声は澄んでいてはっきりしていたのです。
若女将は横笛は勿論ですが、特に三味線と唄を聞いていました。それが終わると若女将が言いました。
「大変お上手でございます。深川の味がよく現れています。」 そして更に 「鄙びたところが少しもありませんでした。お師匠様はどなたなのですか。」
と若女将は尋ねました。 「隣村の梅田様の後家様で志乃様でございます。」 若女将は、その名前を聞いてしばらく黙って考え込んでいた。
「志乃様と言えば、深川にもおりました。青柳という名前で出ておりました。よもや青柳お姐さんでは。」 千代は、そう問いかける若女将を見つめ、
「江戸のことはよく分かりませんが、そのように聞いております。」 若女将は、それを聞くと嬉しそうに、優しい目を千代に投げたのです。
「青柳姐さんにそっくりな三味線で立派でした。この店の出入りをよろしくお願いします。千代さん、お姉さんの名前をもらって「青柳」と名乗ってはいかがですか。姐さんも喜ぶことでしょう。」
千代は若女将の言葉を聞くと、この上もなく嬉しく思ったのです。村を出るときに志乃から「青柳」の名を継いでほしいと言われていたからでした。検番が終わったのを見計らって、大女将が姿を見せました。若女将と時太郎との間に座って言いました。
「私も廊下で聞いていました。まるで新助さんと青柳姐さんがやっている長唄に聞こえました。」 大女将は、薄らと目を潤ませていました。
時太郎と千代は、稽古場の看板を新しくしました。「新助横笛稽古場」と「青柳三味線稽古場」の二つの看板を並べ稽古場の正面に出しました。しばらくすると芸者や町の人など習いに来る人が見えるようになったのです。
時太郎は春太郎とともに、誰でも手に入れることができ、簡単に笛が吹くことができるようにと笛作りを進めていきました。
明治の新しい風が世の中に流れ、全ての古い習慣は改められていきました。横笛の世界でもその流れがあり、二人の他にも新しい横笛を研究する人も現れてきました。
それらの人の中から、安価で安定した音が定まった横笛が開発されたのは、それから数十年の後でした。
(その一)(その二)(その三)(その四)(その五)
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