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「お囃子の新助」(その二

 

                 佐 藤 悟 郎

 

その一)(その)(その)(その)(その

 

 

 それから数日後のことです。時太郎が稽古場で横笛を吹いているとき、音もなく春太郎が稽古場に入って、正座をしたのです。稽古日ではなかったので客人と思い、時太郎は横笛を止めて春太郎にお辞儀をしたのです。春太郎は一礼をして言いました。
「私は福田春太郎と申します。多賀良師匠にお会いしたい。」
時太郎は名前を聞いて、横笛の名人と名の高い人だと分かりました。
「師匠は只今笛作りをしております。お伺いしてきますので、お待ちください。」
そう言って時太郎は、稽古場から姿を消し、間もなく戻ってきました。
「師匠は、福田様をお連れするように言われました。」
時太郎はそう言って、春太郎を多賀良老人のいる作業場へと案内しました。時太郎が稽古場に戻ろうとしたとき、多賀良老人が時太郎に声をかけたのです。
「新助、お前も、ここにいたがよかろう。」
時太郎は、言われたとおり春太郎の横に座りました。
「この御仁は誰か、知っているか。」
多賀良老人の問いかけに、時太郎は答えました。
「はい、先ほど名前を伺い、宝一門の横笛の名手であることが分かりました。」
多賀良老人は頷きを見せ
「春太郎が幼いころ、よく横笛を教えたものだ。」
と言いました。そして顔を春太郎に向けると
「用件は概ね分かっている。横笛作りのことだろう。」
と言った。春太郎は
「そのとおりです。幼いころから師匠に、誰でも手に入れ、吹き易い笛ということを聞いていました。宝の中では、笛作りなどすることができません。どうか教えていただきたいと思い、伺いました。」
そう言う春太郎の顔を、多賀良老人はしばらく見つめて、その覚悟のほどを確かめていました。
 多賀良老人は、一本の笛を取り出し、春之助の前に見せました。
「この横笛は、ここにいる新助が江戸に携えてきた笛だ。新助が作った笛だ。」
春太郎は、一見して六孔の笛であると分かったのです。
「いずこかの祭囃子の笛と、お見受けいたします。」
と春太郎は答えました。多賀良老人の勧めで、その笛を春太郎は吹いてみたのです。吹き終わると
「音色は美しく、大きいのですが、音が定まっておりません。私が吹くには、いささか時がかかりましょう。」
と春太郎は答えました。多賀良老人は、その横笛を時太郎に渡し、吹くように言ったのです。時太郎は故郷の祭囃子を吹きました。豊かな祭り囃子が作業場にあふれました。
 時太郎は、多賀良老人が大きく頷いたのを見て、吹くのを止めて笛を多賀良老人に渡しました。多賀良老人は、二人に向かって言いました。
「私は、いつもこの横笛を見ている。そして音の渡りをどのように作ればよいか。どの音を主と定めて、どの音を幾つ作ればよいのか、今まで多く作ってきた。いずれも納得いくものではない。誰でも手に入る、どの笛を吹いても合わすことができる。音に名前を付けて譜を作り、譜を見れば誰でも曲を吹けるようにする。私の余命は限られている。どうだ、二人で一緒にやってくれるか。」
多賀良老人の言葉を聞いていた時太郎と春太郎は、顔を見合わせて
「分かりました。」
と言って、多賀良老人に揃ってお辞儀をしたのです。
 多賀良老人は、春太郎に笛作りの手ほどきをすると言い、時太郎には笛の練習をするように言いました。

 時世が激しく動き出し、江戸に大君の軍が、錦の御旗を掲げて攻め入って来る噂が流れました。そんな最中に幕府の旗本と思われる侍の宴が深川の料亭であったのです。旗本侍は八人ほどで、芸妓とお囃子が呼ばれたのです。芸妓の一人が唄を口に三味線を弾き、二人の芸妓が静かに踊りました。時太郎は小太鼓の隣に座り横笛を吹いておりました。小唄で秋の侘しさを扱ったものでした。大君の軍と対峙する話を時々耳にしましたが、静かな宴席でした。浮かれることもなく、静かに宴席は終わったのです。
 宴席の終わり際に、一人の旗本侍が時太郎を呼び寄せました。
「お主の笛の音、美しい。拙者は横笛を嗜んでおるが、お主のような心を打つような音は出ない。是非とも頼みがある。娘の琴に合わせてくれぬか。拙者には、胡弓の曲は吹けそうもない。」
時太郎は、その侍の顔を見つめ、そんなに酔ってはいないと思ったのです。
「胡弓と言いますと、どのような曲を所望なのですか。」
と時太郎は尋ねました。
「娘は、常々「残月」という曲を、胡弓でなく横笛に合わせたいと申していた。如何なものか。」
「はい、承りました。ただ「残月」は、悲しく、寂しい曲でございます。」
時太郎は、そう言って承諾したのです。訪ねる時と屋敷を伺いました。訪ねる時は二日後の夕刻、旗本新見家の屋敷とのことでした。名のある旗本であることは、侍が去った後芸者に教えられました。

 二日後の夕方、時太郎は約束通り新見家を訪れたのです。暑さも幾らか和らぎ、女中に案内され奥へと進んでいきました。廊下を伝い、一番奥と思われる部屋に案内されたのです。その部屋は三方の戸が払われて、広い池と築山、草木が茂り、花が咲いているのが見える部屋だったのです。
 時太郎は廊下で座り、中にいる主人と娘に頭を下げて挨拶をしました。娘は、琴を庭に向けており、主人は少し離れて脇に座っていました。時太郎は、娘の左手前に座りました。時太郎は、横笛を取り出して音合わせをした後、横笛を脇に置いて出されたお茶を啜り、横笛を膝にのせて時を見計らっていました。
 娘が時太郎に軽く会釈をしました。時太郎は、会釈を返すと横笛を取り上げ構えました。ゆったりとした前弾きが始まり、時太郎は遠くを見据えるように、琴の音に合わせて吹いていきました。悲しく、寂しい曲だったのです。時太郎の横笛の音は、琴の音と絡み合うように流れていきました。曲が進むに従い、娘の啜り泣くような息が聞こえてきました。前弾きが終わり、二段入ろうとしたとき、琴の音は途絶えました。娘は、両手を膝の上に置き俯いたままでした。時太郎も静かに横笛を膝の上に置きました。主人に目をやると、目を曇らせていたのです。
「これほど悲しく、寂しいものとは思いませんでした。これ以上弾くことはできませぬ。」
娘は、時太郎に向かって深々と一礼すると、部屋から静かに出て行きました。
「いや見事でござった。拙者も、目が熱くなり申した。私の笛を馬鹿にしていた、あの娘、悦も耐えられなくなったのだろう。」
主人は、時太郎に、そう言ったのです。お茶を勧め、暫く横笛の独り立ちの話を交わし、時太郎は新見家を後にしたのです。
 時太郎が帰るとき、女中は草履を玄関に回してあると言って、時太郎を玄関に案内しました。主人が玄関まで見送りに出たのです。娘は玄関に座って、時太郎に丁寧に一礼をして見送りました。

 それから半年ほど経つと、多賀良老人は、口から血を吐いて床に就いてしまいました。
「血を吐いてしまった。息も苦しくなった。先も、すぐそこに来ている。」
濡れ手拭いを桶の上で絞っている時太郎に言ったのです。時太郎は、静かに濡れ手拭いを多賀良老人の額に置きました。
「わしが死んだら、この手紙を宝一座に届けてくれ。わしが書き上げた横笛の譜、全部お前が受け継いでくれ。横笛などは、お前が勝手に処分するがよい。」
そう言って眠りに入ったのです。町医者を呼びましたが,まもなく息を引き取りました。お囃子仲間を呼び寄せてから、時太郎は宝一座を訪ね多賀良老人の手紙を渡したのです。時太郎は、宝一座の人を引き連れて稽古場に戻りました。
 取りあえず宝一座の者が、多賀良老人の亡骸を引き取り、道場は静かになったのです。別れ際に、福田光之丞と名乗る者が時太郎に言いました。
「お囃子の新助さんと言ってましたね。良かったら、宝一座に身を寄せてもいいんですよ。」
時太郎は、暫く考えさせていただきたいと答えたのです。

その一)(その二)(その)(その)(その