「山よりの便り」 その一

 

                           佐 藤 悟 郎

 

( その一 その二 その三 その四 その五 その六 )

 


 私の親友、西脇芳夫君が大学に合格したのは昭和四十一年の春、一年間浪人してからのことである。その浪人した昭和四十年の九月、秋も深まりつつある頃であろうか、代用教員をしていた彼から、頻りに手紙をもらった。それから十数年が過ぎた。丁度、秋にもなり、このへんで思い出として送ってやるつもりだ。
「高校の徳永先生の紹介で、山の分校の代用教員を、三か月間やることにした。大学の方は、大体準備が出来上がった。気晴らしになるかも知れないから行くことにした。山で、何か新しいものでも、生徒に吹き込んでやりたい。どんなところか知らないが、冬には雪が四〜五メートルも積もるそうだ。正月には引き上げてくるつもりだ。田舎の貧しい生活の匂いがするかも知れない。出来の悪い生徒がいるかも知れない。とにかく分からない世界なのだろう。満足な服を着ていない生徒たちなのだろう。気晴らしに、君のところに手紙を出すことにした。返事なんか要らない。でも、景色の良いところらしいから、君も学校などに気を取られず、休日に遊びに来たらいいよ。山の中でも、酒くらいは出せると思うから。じゃ、しばしの別れを。」
彼が出発する時、書いて投函したらしい。彼にとって、気晴らしの旅行気分だったに違いない。しかし、人が人と接するとき、何かしら影響されずにおられないことを、知っていなければならない。彼が、軽い気持ちで、山の分校に入って、何を学んだか知らない。おそらく私も知らない多くのことを学んだに違いないと思う。
 なお、彼が代用教員をした池谷分校の地域と桂谷を結ぶ手掘りトンネルに代わり、新しい隧道が開通したのは昭和四十二年である。各集落の道路も整備され、自動車が通れるようになり、闘牛も再開された。数年後には分校が本校に統合されたのである。


九月十日(金)

 山古志村立山古志中学校から中澤校長先生に連れられ、三十分ほど歩いて桂谷集落に着いた。この集落には、山古志村役場があり、乗り合いバスの終点にもなっている。西と南は広く山裾が開いていて、あちらこちらに民家が下の方に見え、こじんまりとした竹沢集落の家並みも見える。その景色を見て、相当に山奥の高いところに来たと感じた。砂利道であるが、車の往来、役場や公民館に出入りする人の姿も見られる。東には急勾配の山があり、中澤校長先生はその東の山に向かった。小さな林を抜けると、大きなトンネルが口を開けている。
「このトンネルは、まだ工事中で抜けていない。いつになったら通れるのか、分からない。」
そう言って右の方に少し歩くと、洞穴の入口が見えた。
「これは手掘りのトンネルだ。五百メートルはあるだろう。このトンネルがなければ、山越えをするしかない。」
洞穴と思っていたのはトンネルだという。中に入り歩いていると、裸電球がかなり離れた間隔で天井についているが薄暗い。左右の壁や天井には、シャベルのような痕が生々しく浮かんでいた。歩きながら校長先生は、
「山での三種の神器は、コウモリと長靴、それに懐中電灯だよ。」
と山での必需品などについて説明してくれた。
 手掘りのトンネルを抜けると、深い谷と正面に小高い山が見えた。狭い砂利道が谷の右と左に延びているが、人影はなく静かだった。そこは桂谷とは違い、別な世界のように感じた。左の道を暫く歩いて、ようやく分校に着いた。
 途中、谷の向こう側や学校近くの集落の茅葺きの家を見て、貧しそうな集落だと思った。覚悟はしていたのだが学校に入ってみると、女子生徒はセーラー服、男子は学生服を着ていた。もっとも、小学生は着の身着のままだったが。それに、私より背の高い生徒が、ぞろぞろいて少し圧倒された。赴任の挨拶で、法螺を吹いてやろうと思ったけど止すことにして、代わりにただ礼だけした。顔が真っ赤になって、屋外グランドの生徒の前で、突っ立ったままだった。
 それに、先生方が爺さん婆さんと思っていたのだが、どうしてどうして、大学を出たばかりのバリバリが目につくのだ。私が大学落ちたことを知らされているので、どうも体裁が悪い。でもいいや、国語くらい何とかやれる。本校の中澤校長に、他に家庭と習字、女子体育、それに音楽を受け持てと言われた。音楽は、知っての通り、流行歌とギターぐらいしかできないから断ったよ。
 学校近くに二階建ての一軒家の教員住宅がある。山の中の分校と思っていたが、中学校教師だけでも五人もいるんだ。生徒も七十人はいるらしい。昨日の午前中、身辺整理ということで授業はなかった。授業が終わり夕方になって、歓迎会だといって私に酒を勧めるので、呆れるほど飲んでやった。風通しの良い部屋に寝かされることになった。でも、何かしら授業に出るのが楽しみだよ。
 そうそう、教務室に郵便マークと郵便箱と書かれた木箱があった。分校主任に尋ねると、先生方の郵便物だけでなく、集落の人の郵便物を入れる箱だと言っていた。生徒たちが、家の郵便物を入れたり、家にくる郵便物を持ち帰ったりするということだった。毎日、郵便局の嘱託員が来て出し入れをするようだ。だから君への手紙も出しやすい状態なんだよ。


九月十一日(土)

 今日は、一年生の国語の授業に出た。無口で、私を迎えてくれた。きちんと立って、規律ありそうな態度に驚いたな。何をやったらいいのか分からんから、名簿を見ながら名前を呼んで、手を上げさせた。級長に、どこまで進んだか聞いてから、自己紹介をした。面白く話したつもりなのだが、俯いて笑って、声を上げないのには閉口した。だから
「笑いたいときは声を出せ。失礼なことになるぞ。」
と言ってやったら、ようやく小声で笑い始めた。今日は、国語の教科書の一頁目を開いて、中学校一年入学時の詩を何遍も朗読させた。大体、山の子の国語は、読めて書けて、それで良いのだ。理解させようたって無理だよ。また、そんなに面倒臭いのは、教科書にないがね。作文と詩を書くこと、漢字を覚えることの癖だけは付けさせておくつもりだ。
 それから、生徒にどこの集落からか聞いてみた。大久保、池谷、楢の木の三つの集落から来ているという。手掘りトンネルを出て谷の右に見えた集落が大久保集落なんだ。谷の中腹に人家が見えた集落だ。考えてみるに、谷の下の方は田圃に使えるから、中腹を削って家を建てているらしい。この学校があるところは、池谷集落だ。一番大きい集落らしい。と言っても、店は一軒、学校近くの農家がやっているだけだ。楢の木集落は、良い名前だと思ったが、初めはどこにあるのか分からなかった。校舎が、崖渕にあるだろう。その下にあると言うのだ。中学生の教室は二階にあるものだから、二階から首を出して覗いても、何も見えない。放課後になって崖渕に立ってみたら、真下に集落が確かに見えた。垂直にも思われる崖の下に集落がある。考えてもみろ、一〜二百メートルはあるかな、マッチ箱のように家が見える。不思議に思ったよ。生徒が、この崖をよじ登ってくるのかと思ってね。笑い事じゃないよ、生徒が落ちたらどうするのだとも思ったよ。山、そして谷と険しい土地に、よくもまあ人が住み着いたと思った。山の頂上まで田畑が耕されているから、驚きだね。山道の走るのが見え隠れするのは、私を散歩に駆り立てているようだ。明日は、散歩してみようかなと思うよ。何と言っても、学校の窓からの風景は良いよ。近寄る谷と低い山並みの続きの緑がね。それに、遠くには越後三山がよく見えるよ。三国連峰も見える。只見の方の山々も見える。魚野川も見える。多分小出の町だろうが、光っているぞ。よく分かるだろう。この学校が、崖の上に建っていることを。でも、反対側は、池谷集落のある、比較的緩い谷と言うより窪みに近い。そして、山に囲まれている。多分、長岡方向だと思う。学校のグランドの直ぐ後ろには、小高い丘というか、山というか、スキーにお誂え向きの傾斜がある。一つ、面白い教育目標を教えてあげよう。
「ませた子にならないようにしょう。」
と言うのだ。山の中の子に、それも中学生、ませようがないと思うが。思わず笑ってしまったよ。


九月十三日(月)

 今日は、雨だった。一年生の国語の時間に、不意に書き取りテストをやってみた。半分もできない。今までやっていたところだったのに。やっぱり勉強不足なのだな。それに、原稿用紙を半分に切って、書き方をやらせたのだ。字も拙いし、読ませても訛りが入るし、手が付けられない。
 それよりも、静かに授業をしているのは、性に合わなくて息苦しい感じだ。それに、生徒から「先生」と呼ばれるのが恥ずかしいよ。先生方まで、俺みたいな青二才に、「西脇先生」と呼ぶのだ。照れくさくて。
 二年の授業もあったよ。女子の家庭科だ。家庭科といったって、「ミシンの構造と原理」だし、黒板に書いて、後は生徒が、暗記してくれればいいと思っている。二年生の女子生徒は、山の子としては育ちすぎていると思った。体が大きくて、男勝りの体格の生徒いれば、山の子とは思えないほど、なよなよした生徒もいた。教室に入った瞬間、女子生徒が多いのに気付いた。二年生は、男子生徒がたった六人しかいないというのだ。そのせいか、直感的に
「この女子生徒等、ませている。」
と思ったのだ。仕方ないから、私もニヤニヤしながら授業に入ったよ。
 癪に障ったから、いきなり黒板に、メモしたことを書き捲ったら、ただ、ポカンとして私を見ているだけで、書くつもりがないらしいのだ。だから、黒板を消して、生徒を一人ひとり立たせて、自己紹介をさせたのだ。私は、窓越しに外の景色を見ながら聞いていたよ。
 実際、二日目にして、授業方針が変わった。のんびり、分かり易いように教えることにしたよ。新しいことなど、口にも出せないと思ったからだ。
 夕方になって雨が止んだが、散歩なんてする気にもなれない。さっき、風呂に入ってきた。そうそう、この山の分校は、第一校舎と第二校舎の二つの校舎がある。それも、百メートルくらい離れている。小学の五年生と六年生は、中学生と一緒の、崖渕にある第一校舎だよ。もう一つは、小学一年から四年まで、池谷集落の入口にある第二校舎だよ。教員住宅からグランドを挟んで向かいにある。教務室は、小・中学校兼用、第一校舎にある。教務室の隣には校長室があって、村立池谷小学校の中村校長が座っている。風呂は、第二校舎の水屋の隅にあるんだ。風呂から上がって、涼しい風に曝されるのは、何とも言えぬ味だ。
 夜は、集落の灯も点々としていて静かだ。谷からの風に吹かれて、住宅に帰る気持ちの良さ、君も来て風呂に入っていけよ。俺の三畳の間は、廊下を改造したらしい。戸を開けると、池谷集落が見える。何となく、懐かしい思いに駆り立てられる。だいぶ、灯も少なくなった。さっきから、下の部屋でジャラジャラ煩い音がする。


九月十六日(木)

 生徒の名前を覚えるのに一苦労だ。覚えた名前の生徒から、本を読ませる。一年生の高男という生徒は、毎日のようにかけてやるつもりだ。中々、豪傑みたいだから、隠れた組の中心人物だと思う。級長よりは、隠れた中心人物の心を掴むことが大切と思うからだ。一年生が、どうして静かなのか、考えてみることにした。山の子が、これじゃいけないんだ。もっと、緊張から解放されなければならない。
 三年生の女子家庭の授業に初めて出た。お淑やかな、少し大人ぽい感じの雰囲気だったな。教えるのは、「電気工作」についてだ。主に蛍光灯の仕組みについてだから簡単だと思う。
 中学三年生といえば、私と四つしか年が離れていない。大人ぽくて、気が詰まりそうな時間になりそうだ。私だって、ちゃんとした男だから気にはなる。とくに、麗しき山の子だっているからね。皆、厚ぼったい目をして、私を見ている。彼女等には、真剣に勉強するつもりの目付きなのだろうが、それが私には厚ぼったい風に見えるのだ。
 とくに、窓辺の中間の席の女生徒の目が、山の子にしては珍しく、潤んだ光を持っている。顔の鼻筋や唇は言うまでもないが、殊に首筋が美しい。窓からの光に、その女生徒が純潔な風体をして、厚ぼったい目を向けるものだから、上気しながら授業をしたのは無理もない。口が上ずって変に聞こえるのか、クスクス笑う声が聞こえる。その度に、私は目を前に落としたのだが、最前列の女生徒が、微笑みながら私を見上げている。それが、子供を見つめるような優しい目なのだ。他の生徒のように、クスクス笑っていないが、私を見て嬉しそうに微笑んでいるから、気持ちが悪くなった。私が若いといえば、若いのだろうな。高校卒業したばかりだから、とてもじゃないが授業なんかできた雰囲気じゃないから、私は言ったよ。
「お前さん達には、参ったよ。中学生のくせに、お前さん達には、ちっとも子供ぽさがない。いや、大人ぽくて、こっちが恥ずかしくて堪らないよ。」
そしたらゲラゲラ笑うのだ。処置なしさ。それでも、最前列の生徒だけは、声も立てず、ただポカンと嬉しげな顔をして私を見ているから、少し頭が変な生徒じゃないかと疑ったよ。
 まだゲラゲラ笑っているから、少しの間、その最前列の女生徒を見つめていたら、急に赤い顔をして机に伏せてしまったのだ。実に、ませている生徒だなと思ったよ。窓辺の席の女生徒は、泣いているかと思われるほど、目を光らせながら笑いこけている。ハンカチを出して拭いているところを見ると、目が悪かったのかもしれない。
 別に、私が可笑しくないことを言ったのに、思い出すように一時間中笑っているのだ。だから、級長を起立させて
「笑わないようにさせなさい。」
と言い付けると、級長から笑い出すから始末が悪い。それが一時間で終わればいいのだが、放課後になって教務室の清掃にやって来ても、俺の姿を見ると、雑巾をかけながらクスクス笑ってる。恥ずかしくて、外に飛び出したよ。
 仕方ないから、教員住宅に帰ってから三年担任の加藤先生に、
「笑わないようにさせてください。」
と言っておいた。とにかく、言っておくと約束してくれたが
「西脇先生は、もてるね。」
と、冷やかしを言うのだ。特に分校主任の橋村先生という男は、蛙を踏み潰したような顔をして、ニヤニヤしている。分校主任は、それでいて目付きが鋭い。
「おい、良い相手を見つけなよ。」
と言うのだ。冗談じゃないよ。誰が山の中の小娘を相手にできるかと思って癪に障ったよ。ご飯の時は、一部屋に集まって食べるから、私は、冷やかされ放しだった。
 さっきまで、俺の部屋で一年生の担任教師、新保先生と少し話をしたよ。出たての先生だから、張り切っている。国語の方と女子家庭をよろしく頼むと言って、色々と生徒個人についての成績を聞かせてもらった。


九月十八日(土)

 目の保養になったことがあった。別に、不潔なことじゃない。今日は、土曜日なのだが、例によって小学校の中村校長は、午前中は仕事のしっぱなしさ。小学六年生を引き連れて、土掘りをやっていたのだ。授業が終わって、校長は、大層にこやかな顔をして教務室を通って校長室に入っていった。そして用があるからと言って、リュックサックを背負って、学校を飛び出した。そしたら、直ぐ後に六年生の、本当に可愛い顔した女の子が、大方、何かを踏み台にしていたのだろうが、裏手の窓から顔を出して、大声で
「新しく来た先生、マッチ、貸してくれんか。」
と言うのだ。
「何に使うんだ。」
と尋ねると
「裏にある、鉋屑に火をつけて、燃やすんや。」
それが、何ともないというように、円いにこやかな顔をして言うのだ。何か、お茶目な大きな目をして、お下げも、何か楽しく見える。怒る気にもなれないし、私もつい話がしたくて、窓際まで歩きながら行ったのだ。
「鉋屑なんか燃やして、どうするんだ。」
「燃えれば、面白いがな。どうや、あんなの邪魔なんじゃろ。一層のこと、ボーと燃やした方が良いがな。」
新しい体育館を造っている最中で、鉋屑も、山のように裏に積まれている。それに、風もあるのだな。
「でも、風があるし、これから掃除だろ。」
そう言って、近くにあった椅子を引っ張って、窓際にいる、その女の子と向かい合ったのだ。そして、肩を竦めながら笑っている女の子の返答を聞こうと思って、顔を前に乗り出したのさ。そしたら、調子を合わせて、俺の耳に囁くのだ。
「新しく来た先生って、何という名前なの。」
「俺の名前は、西脇芳夫だよ。」
と囁き返したんだ。
「やっぱりそうか、どう書くの、芳夫という字。」
私は、指先で書いて見せた。そしたら、その女の子は、もう一度確かめるように、自分で書いて俺に見せるのだよ。
「こういう字なんだろう。やっぱりそうや。俺の大きい兄ちゃんと同じ名前だね。」
それからが良いのだ。俺の顔に、その嬉しそうな顔を近付けて
「俺の名前ね、千代というのよ。君が代の歌に出てくる、千代なのよ。良い名前でしよう。兄ちゃんと同じ名前なら、きっと良い先生ね。千代が、先生のことが好きなことを、誰にも言わないのよ。」
私が今まで生きてきて、初めて女に好きだと言われたのは、これが初めてだ。それも、好きも嫌いも訳の分からん、小学生の餓鬼に言われたのだからな。笑いたくなったよ。その後、直ぐに、まるで態度を変えて、大声を張り上げ
「芳夫、マッチを貸せねえか。」
と言うのだ。調子が狂うな、本当に。怒鳴ったら、ピョコンと踏み台から下りて
「アッカンベェー。」
なんて言って、振り返り、振り返り走って行くのだ。頭が変な女の子じゃないかと思って、後から小学校の先生に千代のことを聞いた。そうしたら
「西脇先生も、あの子にやられましたか。憎めない子だよな。成績は、抜きん出て良い子なんだが、言葉遣いが男みたいだし、実際、俺もよく分からんのだよ。」
どうも、話によると、この教務室にいる先生は、皆んな、からかわれたそうだ。でも、その悪い虫も治まっていたが、私が来た途端に張り切ったらしいのだ。一週間くらい、からかえば自然と止むそうだとのことだった。
 土曜日になると、夜は俺一人だよ。宿直の先生を除いて皆、先生方は、町に帰ってしまうからだ。風呂も立たないし、つまらない、実に。これから宿直の先生と話しに校舎に行ってこようかとも思うけど、つまらん話をしても始まらないし、こうして試験勉強の間に、君のところに手紙を書いていた方がいいよ。毎日聞こえる、ジャラジャラする音がないと、池谷集落も活気がなくて、侘びしい感じがするよ。

 

 

 

 

「山よりの便り」

( その一 その二 その三 その四 その五 その六 )