「山よりの便り」 その二

                        佐 藤 悟 郎


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九月二十二日(水)

 昨日、授業が終わってから散歩した。本当に、楽しかったよ。校庭の外れの道が、三方に分かれているんだ。一つは池谷集落に、一つは崖に向かって楢の木集落に通じているらしい。放課後に出て行ったら、生徒が道草を食いながら、のらりくらりと歩いている。だから誰も歩いていかない真ん中の道を上っていった。スキーにお誂え向きの傾斜のある小高い丘だから、峰の道に出るまでには、二百メートルくらいだった。緩やかな上り坂で、あとは山の峰伝いに歩いていった。
 一方の谷に大久保集落が見えた。俺が、池谷集落に来るとき、通った道がよく見えた。トンネルもポッカリ黒く口を開いていた。左の方を見て、楢の木集落を見ようとしたが、谷が深くて、そこからは見えなかった。峰の道が長いのだな。引き返そうと思ったが、山は気持ちが良い。空も青く晴れ上がっていたし、山の色も少し色味がかっていたから歩いたよ。
 杉の林が多いし、また、他の木々が道に沿って続いていて、乾いて茶色となった山道は気持ちが良かった。途中で、紫色のリンドウに似た草が、たった一本、辻堂の前に咲いていたのを見た。三十分くらいは歩いたかな。道が左に大きく曲がって崖渕に出たよ。崖渕の松に手をかけて見下ろしたら、道が小さくなるまで下まで続いている。下には、集落があった。楢の木集落かと思ったが、方向的におかしいと思った。
 つづら折りに崖に細い道があって、と言うよりは足場の続きがあって、下りるのに苦労した。下駄履きだったから、裸足になって注意深く下りて、見上げたら絶壁の高いことに驚いた。この集落の人は、荷物を背負って、軽々と登っていくと考えると、人間業ではないと思った。
 その集落を抜けると直ぐに、少し幅のある川が流れていた。浅い流れで、音が響いて気持ちが良い。川を見つめ、山も見上げながら歩いた。道も川沿いに続いていた。とにかく、楢の木集落にたどり着かなくてはと思って、多少早めに歩いた。道の傍らの秋草を、学生服のポケットに入れて歩いた。この狭い谷の狭い平らな土地にも、余すところなく田圃で、稲は大方色付いていた。川も道も山裾伝いで、曲がりくねっていて、先が見えなくなったり、見えたりしてね。
 嬉しかったのは、私の前方を歩いていた、まだ小学低学年らしい女の子の仕草が、好感を持ててね。時々、振り返って、私を見る。そして秋の草花を一緒にいた母から、また自分も、時々手折って手に持ちきれなくなるまでにしてしまった。母は、モンペに前掛けの仕事姿で、女の子も身形は良いとはいえない。その女の子が、母と手をつないでいて、時折、母の腕の隙間から、私の方を垣間見ながら歩いている。あどけない仕草を快く思ってみていたよ。
 楢の木集落の外れの家が、遠く谷間に見えるころになると、何か、女の子は、私にしたいことがあるらしく、曲がり角で、よく隠れている。それでいて、私を見ると逃げてしまうのだ。そんなことを何回もやるのだから、私も心の中で
「きっと、私に、花束をくれたいのだな。」
と、察していたのだ。私は、楢の木集落の入口に近くに来て、足を緩めた。もう、集落に近付いた頃には、川よりも幾らか高いところに道があったし、そこから集落と川と、木立の風景を見て、気に入ったからだ。川に堰があり、流れ落ちる川の響きと緑色が、林の中の古めかしい茅葺きの家が見える中を流れている。対岸の道が縫うように走っているのを見て、町にいるよりも、余程このまま、ここにいたいと思った。
 見とれながら、集落に入る最後の曲がり角に差しかかったとき、道の真ん中に、花束が置かれているのを見付けたのだ。拾って良いものか、悪いものか迷ったね。立ち止まって、拾う決心をしたのだが、中々、気恥ずかしいくて拾えない。誰も見ていないのだが興奮して、顔を真っ赤にして拾ったよ。私は、やっとの事で拾って胸に当てたら、花束を置いた女の子が、物陰から走り去っていくのを見て驚いたよ。拾っておいて良かったと思った。
 女の子は、楢の木集落の両側をつなぐ橋の上で手を振って、母の後ろを追いかけていったのだ。あんな物心のついたばかりの山の子が、私みたいな男を、花で迎えてくれたのだ。野辺の可憐な花だ。山の子等を、馬鹿にすることができなくなってしまったよ。私は、できる限りのことをして、山を去りたいと思ったよ。
 楢の木集落から真上の学校まで行くのに、下校する生徒に数人会ったが、何故か知らないけど、道を譲ってもらう度に、興奮と顔が紅潮したのを押さえることができなかった。学校から見た時、崖の道だろうと思った楢の木集落への道は、中腹に山が突き出ていて、急なところが多少あったが、特に転げ落ちてしまうような道ではなかった。却って突き出た山腹を巡る道が、木々に囲まれて、山道を知る人が感ずる抒情的な道だったのんだ。本当に、私は山の子等や山の集落も知らないんだな。とにかく、できるだけ頑張ってみるつもりだ。


九月二十六日(日)

 今朝は、十時過ぎまで寝ていたよ。気疲れしていたんだな。日曜日は、食事を作ってくれる叔母さんも休みだし、即席ラーメンを三つも食べた。
 昼過ぎに、私は第二校舎のグランドに行ってみた。生徒がバレーボールをやっているのだ。とっても楽しそうだ。山の中の学校では、特にバレーボールや卓球が盛んだ。グランドの外れにコートが二面あった。男子と女子に分かれてやっているし、私はまだ初めてだし、恥ずかしくて、第二校舎の窓に足をブラブラさせて見ていた。二年生と一年生が多かったね。二年生の三羽烏と言われている雪江と早苗、喜子という生徒がバレーをしていた。先生たちが噂しているとおり、とても仲がいい。早苗という生徒は、立派な体格して、激しく動く。気持ちよさそうに躍動している。山の子の生徒と思っていたんだが、よく見れば一人ひとりまともな顔をしている。却って、町のガリ勉生徒よりも、生気漲り、美しいと思うよ。男子の方は、バレーが本校よりも強くて、町の大会に出るため一生懸命やっていた。女生徒達の掛け声が、秋の山に響いて、つい見とれていたのだ。
 そしたら突然、千代の声がしたのだ。
「芳夫、そんなところに腰掛けていると、落とすぞ。」
と言って、力一杯、俺の背中を押すのだ。慌てて柱にしがみつき、落ちるのは免れたよ。それでも千代は、背中に手を付けたまま、押している。さっきまで、小学生の中で、バスケットのボールを蹴り飛ばして遊んでいたのに、廊下に入り込んで、後ろから押したのだ。
「芳夫なんか、落ちてしまえ。」
そう言って、押すのだ。
「千代、もう落ちないよ。柱に掴まったからさ。」
「芳夫の顔なんか、見てられないさ。中学の女の子ばかり見ていて。」
実際、私も返す言葉がなかった。千代は、いつも長靴を履いている。だから、それを口実にして
「何だ、千代、土足のまま、校舎に入ってよ。」
「何言ってるんだ。芳夫が、助平な顔で、デレデレしているから来たんじゃないか。」
本当に、口の減らん餓鬼だよな。それが、笑窪を見せて言ってのけるから、憎めないんだ。それから、背伸びをして、俺の首元のセーターを引っ張るんだ。
「芳夫、おら達と遊ばんか。なあ、来いよ、来いよ。」
バレーボールをしている中学生が、手を休めて、俺の方を見ている。そして笑っている。頭に来たよ。お陰で、球蹴りを二時間くらいさせられた。千代が、俺の後ろから走ってきてばかりいるのだ。千代にボールが集まるものだから、その度毎に、悲鳴を上げなけりゃ駄目なのだ。千代は、地面に描いたゴールの方に蹴らずに、私の体に向けて蹴り上げるのだ。女だと言っても、男勝りの女だから、それに毎日球を蹴って遊んでいるだろう、勢いがあって正確なのだ。初めのうちは、私も我慢はできたのだ。頭に当てられ、腹に当てられているうちに、頭に来て、私も千代に向けて蹴飛ばしたのだ。千代は、両手でしっかり受け止めて、私の顔にパシャンと当てるから処置なしさ。私は教師と言うことになっているから、腹を立てる訳にいかないのだ。
 二時間も走り放しで疲れたから、グランドの外れの草むらに腰を下ろすと、千代が餓鬼共を連れてきて、側に腰を下ろすのだ。
「先生は、昨日、帰らんかったのか。」
そう言うんだ。どうして、そんなことを聞くのかと、問い質してみたら
「先生方なんて、土曜日になると、嬉しそうな顔をして、町に行くんや。お等達のことを忘れちまってよ。」
だから、私も言ってやったよ。
「先生方だって、町に用事があるさ。」
「そうや、先生方はね、洗濯物を取りに行ってくると言うんや。」
他の生徒達まで、不平を並べ始めるんだ。その内に、中学生まで来て言うのだ。
「先生方って、長くはいないのよ。一年か二年で、ここから出てしまうのよ。」
確か、喜子が言ったな。真剣な顔で、そう言われて、私だって大きな顔はできないよ。十二月には、山から出て行かなければならないのだから。黙って、頷いて聞いていたよ。
 毎年のように新しい先生が来ては、去って行くと言うのだ。まるで、学校授業の練習所みたいに思われると言うのだ。特に、新しい初めての先生方というのは、色々と自分達の方針があり、山の学校では、それが実施しやすいから、生徒達は実験台にされているらしいのだ。目まぐるしい人事異動に、生徒達がついていけるかどうか、私も疑問に思うよ。
 少なくとも、教員を天職としている者は、開けっぴらに生徒達と接するために努力するべきだと思う。自分達が、知識者層と勘違いしている。高踏的な姿と思っているのだ。赴任手当を貰うために、住民登録を移すのじゃないのだ。山の人という住民になるために、そうするのだ。山の中の生活を嫌ってはいけない。心の交わりを、ぶつけ合う。答えが出るまで。私は、何か生徒達に済まないことをしたように思うよ。代用教員として赴任したのだから。でも、私は、私としての答えを出すよ。
 夕方暗くなって三人の先生が、一軒家の教員住宅に帰ってきた。握り飯を分けてもらって食べた。どうみても、米の飯が即席ラーメンより美味しいな。


九月二十九日(水)

 今日は、疲れた。小学校の中村校長は、とっても仕事好きなんだ。私なんか、一日に三時間も授業があればいいと思うのだが、今日は、午前中一時間で終わりだった。暇を持て余してブラブラするのも悪いと思って、校舎の裏側で、小学生と中村校長が一生懸命に土掘りをしているから、手伝ったのだ。
 校長の仕事は、切りがないのだな。私は、若いと思って汗を流して午前中やり通したが、午後から中村校長が
「西脇先生、午後は授業がないでしょう。外で、もうひと頑張りしましょう。」
と言うのだ。手の豆が潰れて、ヒリヒリして堪らなかった。鋸や鍬、シャベルで、木の根と闘ったのだからな。私が一生懸命やっていると、生徒も一生懸命にやってくれるから、手を休める訳にはいかなかった。
 とうとう今日は、日暮れまでやった。放課後になって、私が一生懸命に土掘りをやって、一輪車で崖に捨てているのを、寄って集って生徒は見るだけ。ことに中学生の女生徒は、崖渕に繁っている木に登って、木を揺すって、ギャギャ喚きながら遊んでいるものだから、頭にきた。まるで女の子じゃないな。だから
「そんな危ないことをするんじゃない。仕事の手伝いをしたらどうなんだ。」
そう怒鳴ったら、近くにいた女も男も皆来て、手伝ってくれる。驚いたな。生徒達は、恥ずかしがって見ていたのだ。もっと早く言えば良かった。何か、言い知れない嬉しさを感じたよ。だから、飽きずに夕方までやれたのだな。でも、もうやるものかとも思ったよ。
 この山の学校は、小・中学校が合同になっているが、校舎が二つあるだろう。毎朝、必ず教員の朝礼をやる。小学校の先生は、出たてのバリバリの女性教師が二人いた。その中の一人は、音楽大学の短期の出だ。もう一人は、女らしさのない、おどけた先生のようだ。他に男の教師が二人、女性教師が一人、この女性教師は、我が母校の卒業生と言っていたよ。あと、小学校の方は、校長と教頭、全部で七人だな。中学校の方は、各学年の担任、それに私と分校主任、合わせて五人かな。あとは用務員の叔父さん。先生は、小学校と中学校合わせて、合計十二人かな。やあ、すっかり忘れていた。小母ちゃん先生がいた。地元の先生がいるよ。小学校一年生の受け持ちの先生だ。
 とにかく、山の中では、先生方は、神様のように尊敬されているようだ。集落の人は、学生服を着ている私のような者にも、頭を下げるから感心なことだよ。とにかく、悪い感じがしないな。
 お産で休んでいる先生が、成績簿をどこかにしまって、見当たらないから、何から何までやらなければならない。誰が頭が良いのか、手に負えない生徒はいないか、全然分からないし、勿論、名簿も自分で作った。代用教員なんて、楽な商売だな。責任はないし、自由だし、一生やりたいと思うよ。


十月二日(土)

 生徒に宿題を出すのも良いが、宿題の処理に苦労したよ。読んでしまうのは、骨の折れることじゃないのだ。一人ひとり批評を記すのも、まだいいのだ。しかし、彼等がどれだけやってきたか、実績を示す必要があると思うから、俺は、一人ひとりの作品をレポーティング用紙に写すことにしたよ。と言っても、拙い字だから、読み取るのにひと苦労だ。
 俺は、生徒が、どんな詩を書いてくるかと思ったのだ。まるで、文章だよな。
「秋の山道を 百姓が 汗をかきかき 登っていった」
これなんか、まだいい方なんだ。
「今年の盆は 楽しく 面白く そして愉快だった」
これだから、嫌なのだ。これから、どう教えていくか、見当もつかない。作文なんて、殆どの生徒が、てんでバラバラの用紙に書いてくる。それも一枚きり。一枚、全部書いてあれば、まだいいんだが、半分書いてないのが、大半だったよ。でも嬉しいことには、全員が宿題をやってきたよ。脈が、まだあるな。一年生は、余り勉強をしないけど、それだけに、勉強することに、敬意と尊重の心を持っている。町の勉強の渦に入っている生徒よりも。
 とにかく、毎週、作文と作詩の宿題を出すことにした。書くことを嫌いにならないようにね。それから毎日、漢字の書き取りテストをやることにした。今週中のテストのプリントは出来上がっているし、生徒が、どれだけ指定範囲をやってきてくれるか楽しみだよ。


十月四日(月)

 午前中は授業で、午後から中学生全員で、読書感想文の発表会で本校へ行ってきた。本校へ行くときは、体力を鍛えるためといって、トンネルを通らず山越えをした。とても疲れたよ。
 一年生の発表する女生徒が、午前中の私の時間に欠席したから心配だった。その女生徒を選んだのは、前の先生だったが、責任を感じたのだ。私は、列の先頭に立って、高男と話しながら歩いていた。高男とは親しく話ができたな。それにつられて一年生の連中が寄って集って、話ながら歩いたよ。池谷分校を出て、大分歩いたとき、高男が
「あんなところにいらあ」
と言ったので見ると、発表する女生徒がいたんだ。原稿用紙をしっかり手に握ってだ。確か豊子と言ったな。女生徒は、男子生徒の後ろに列を作って歩いていたのだ。豊子は、私たちと一緒に先頭集団に入って話ながら歩いていた。私も時々、豊子と言葉を交わしたが、それを見て、後ろに並んでいた女生徒が列を乱して、私の周りに男子と一緒に寄ったかってきたのだ。嬉しかったね。皆と親しくなれたようで、教室にいるときとは違って、開放された態度で振る舞うから、やはり教室でも、こうあって欲しいと思ったよ。
 残念ながら、我が分校の生徒の読書感想文は、一つも入選しなかったよ。本校の中澤校長の長い講評を聞いて、つい眠気が差してきたから、生徒の中に入って少し眠った。本校は、私が赴任するとき立ち寄ったから、二度目だった。中学校本校の先生方に紹介されたよ。年輩の先生が多い中に
「西脇先生を紹介します。」
と言われたとき、変な気持ちだったよ。
「西脇少年を紹介します。」
と言われた方が良いのに。それがまた、聞く方も聞く方だ。私がお辞儀をすると、深く頭を下げるから、そしていちいち、一人ずつ自己紹介をするのだから、その度に私に頭を下げる、体裁にも合わないよ。何か、馬鹿らしい気持ちになった。機械みたいに頭を下げる先生が、気に食わなかった。

 帰りは、山越えでなく手掘りトンネルを通って帰るから、暢気なものだったよ。一年生から三年生までが入り混じって、列にはなっていたが、牛のように、ゆっくり歩いてきた。夕暮れが、とっても綺麗でね。振り返れば、長岡の方の山や、遠く柏崎の米山が、夕焼けの中にポッカリと浮かんでいてね。近くの山の木々の繁りが、頂上付近まであって、赤と黒のシルエットを作っていた。
 私は、どうも二年生と三年生の女生徒が苦手で、一番後ろで三年生の男子二〜三人と話をしながら歩いていた。トンネル近くになって、彼等も前の方に行ったから、一番後ろからのんびりついていった。時折、二・三年生の女生徒が振り返って、私を見るもんだから、空を仰ぎながら歩いたよ。そうしたら真似をして、女生徒たちも空を仰いで歩くのだ。癪に障ったな。二・三人の女の子が茂みに入っていった。見過ごして、私は先にトンネルに入ったよ。
 裸電球の薄暗いトンネルの中で、ざわめきと悲鳴が聞こえたから、何かあったかなと思ったら、前の方から、酒に酔っているのか、土工風の質の悪そうな二人連れが、二・三年の女生徒を冷やかしているのが見えたのだ。集団をなして歩いていたから、絡まってくるようなことはなかったんだ。トンネルの中で、後ろを振り返ってドキッとしたよ。
 さっき茂みに入った生徒が、まだ私に追い付いていないからだ。私は、トンネルを走って引き返したよ。女生徒たちは、ようやくトンネルの入口に入ったばかりなのだ。私が走ってくるのを見付けて、怒られるものと思ったらしく、俯いて立ち止まっていたのだ。怒ることなんかできやしない。相手が、二年生だから恥ずかしいんだ。私は
「向こうから、変なのが二人来るから、私と一緒に来なさい。」
と言ったのだ。そしたら、真面目に聞いてくれ、私の後ろに付いてきた。
 二人が近付いてきたとき、わざと二言三言喋って、男性がいることを二人に知らせるようにした。ただ、冷やかして行ってしまったから、助かったよ。それから、急に親しみを感じてだ、話をしたのが失敗だったな。
「どうして、あんな草むらなんかに入ったんだ。」
と何気なく言ったら、薄ら恥ずかしそうな笑い声を立てて答えないのだ。
「どうして笑うんだ。」
と言ったら
「先生ったら、案外鈍いのね。」
そう言って、走って行ってしまった。少し歩いて、しまったと思ったよ。その生徒らは用足しをしていたのだと、やっと分かったのだ。今、思ってみて二年生の家庭の時間が思いやられる。きっと噂になって、私のことが槍玉にあがるに違いないと思うのだ。本当に、失敗してしまったよ。


十月七日(木)

 心配だった二年生女子の家庭の時間も、先ずは無難だった。えげつない噂が集落に広まると、命取りになるからな。草むらのことがあるものだから、照れくさくてな。そっぽを向いて教壇に立ったのだ。静かに起立して挨拶したよ。号令をかける級長が、その時の女生徒だったのだ。三羽烏の一人、雪江だった。明るい性格の生徒らしいよ。他の生徒と違って、目付きが賢そうだ。そこで、これからやる二学期の勉強のあらましを説明したよ。そしたら、その雪江という生徒が
「先生、聞きたいことがありますが。」
と言って、起立をするから、これはと思って怒った顔をして見せたよ。それが愛嬌に見えたのか、笑うのだ。仕方ないから
「言ってみろ。大体のことは、答えてやる。」
と言ってやったよ。
「家庭科なんて、どうやって勉強すれば良いのですか。今まで、手芸や工作ばかりやってきたのですが。」
 そう言われて、内心ホッとしたよ。とにかく過去の授業の実情が分からないから、色々と聞いてみた。毛糸編みとか裁縫ばかりしかやっていない。たまに図面や工作みたいなことをやっているのだ。知識として、家庭科というものを教えていない。尤も、家庭科なんて、それで良いかもしれないと思うが、しかし勉学範囲にある以上、知識の下における裁縫であり、工作であるのだと思うよ。偏ってはいけないのだと思うから、至極当たり前のことを言ってやったよ。
「私が黒板に書くことを写して、覚えなさい。とくに、これからやるミシンの部品の名前は、正確に覚えるのだ。それが、君らの第一の仕事だ。家庭科は、特にそうだが、これからやるミシンにしろ、三年生になってやる蛍光灯にしろ、それがどうして便利に使えるようになっているのか、仕組みを考えることだ。私も、丁寧に説明するつもりだから、君らもできる限り、ついてきてもらいたい。」
こう言ったら、生徒の中にというよりは、多くがざわめきだした。どうも、考えるのが嫌らしいのだ。だから、とにかく書くことを全部暗記しろ、と言ってやったよ。私は、とにかく受け持ち範囲のことを終了して、情操教育をやりたいと思っている。刺激の少ない山の中で、情操教育をやらなければ、生徒が社会に出て負けてしまうからだ。とにかく、自分を発見させることに努めるつもりだよ。本当に、草むら事件のことが無難で、嬉しい。

 

 

 

「山よりの便り」

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