「山よりの便り」 その五
佐 藤 悟 郎
( その一 その二 その三 その四 その五 その六 ) 十一月二十三日(火)勤労感謝の日
十一月の勤労感謝の祭日、朝から寒い日だった。宿直明けで、家まで参考書を取りに行くことにしていた。午前中に、例の手掘りのトンネルを抜けて、始発のバスに乗って家に帰った。 家で昼食を取って、暫く休み、夕方には教員住宅に着くように家を出たのだ。お袋が作ってくれたおにぎりと漬物、鮭の塩漬けを焼いたものなど、夕食を袋に入れて肩に担いで向かったのだ。冷たい雨が降っていたから、私は長靴を履いてきていたのだ。 町のバス通りに出て、バスに乗った。乗客は数人程度で少なく、窓から外の景色を見ていたのだ。山に入って間もなくみぞれ混じりとなり、途中で大粒の雪がふっているのが見えたのだ。終点の桂谷になると本格的な雪となって、雪が積もっていて辺り一面雪景色となっていた。 例のトンネルを抜けて出ると、少し風もあり、雪が二十〜三十センチほど積もっているではないか。僅かに人の歩いた跡がトンネルの出口付近にあったので、それを頼りに大久保集落の方に向かって行ったのだ。勿論もう人の足跡は、雪のため分からなくなっていた。大久保集落の入口近くに、教員住宅のある池谷集落に行く道があるはずだと思っていた。大久保集落の入口近くまで行くと、池谷集落へ行く道が新しく踏まれていたのだ。 その道は下に谷川があり、一旦谷川まで下りて橋を渡って、今度は上っていかなければならない。曲がりくねっていたが、道がついていたので道から外れることなく行けた。踏まれた道を歩いて行くと、その道が教員住宅の方まで続いているのに気付いた。 雪が降りしきる中に、何やら懐中電灯が二つ光って近付いてくるのだ。間近になると、冬支度をした二人連れの姿が見えた。 「先生、お帰りなさい。大変でしたね。」 女の子の問いかけるような声が聞こえたのだ。立ち止まった二人に、なお近付いてみると、女の子は二年生の喜子と父親だと分かった。 「雪の降り始めは、先生方にとっては危ない。沢に落ちたら大変ですから。吹雪になると、方向も分からなくなる。」 喜子の父が、集落の人が交代で雪踏みをすることを話してくれた。深く感謝しなければならないと思った。
十一月二十四日(水)
昨夜、宿舎に帰ってきた先生はいなかった。今朝、私は雪を踏みしめながら第一校舎に行った。小学六年生の千代が雪を転がしていた。教務室に入ると宿直だった菊田先生が、参ったと言わんばかりに肩を竦めて言った。 「先生方、雪で遅れるとの連絡があった。中学生は午前中の二時間、体育をしてくれと西脇先生に伝えてくれないか、と言うんだ。」 私はそれを聞いて少し呆れたのだ。さて、どうするかと考えてな。女性教師の関川先生は出勤している。相談したところ、 「屋内では全員入りきれないわ。三年生は英語が少し遅れているので、私が受け持つわ。一年生と二年生、男子、女子ともお願いします。」 と言うのだ。私は、チラッと外を見た。千代が二つ目の雪だるまを作っている。 「先生、分かりました。生徒には外で雪合戦でもやってもらいますか。」 私が言ったのを聞いた関川先生は、 「それはいいですね。私もやりたい。」 と言ってくれたので、話が決まった。 小学校の方は、四年生までの女性担任教師は出勤していたので授業はできた。五年の担任の塚田先生は風邪をひいたと言って休暇を取ったので、菊田先生が五年生と六年生を受け持つことになったのだ。 考えることは菊田先生と大差がなかった。菊田先生は、やはりグランドの外れで、雪で何かを作ろうと考えていたらしい。 山の学校ではシャベルは多く用意してある。中学生には雪合戦をやるからと言って、それぞれ二列に並ばせて二組を作り、先ず陣作りをやった。これには小一時間程費やした。雪合戦を始める頃になると、遅れて来た先生方の姿が見えた。トンネルの向こうの桂谷終点の同じバスで来たのだろう。 雪合戦が始まった。別にルールも詳しく決めていなかったので、雪球が多く飛び交う有様だった。途中で変なことに気付いた。私に向かって投げてくる千代の姿が見えたのである。他にも見慣れない生徒がいた。 「小学生が混じっているな。まるで遊びだな。まあ、いいや。」 と思って菊田先生を見ると、笑って時々見ている。そのうちに遅れてきた先生もやって来て、雪球を投げている始末だった。 二時限目の終わりのベルが鳴ったので終わりを告げて、生徒に校舎に入るように指示をした。それぞれ生徒は校舎に向かっていく。ただ一人グランドに立っている私に向かってくる女の子がいた。小学生の千代だった。私の前まで来ると、両手で私を小突いた。 「芳夫、おらが作った雪だるま、メチャメチャにして、どうしてくれるんだ。」 そう言われれば、朝、千代が作っていた雪だるまは、陣と陣の真ん中にあったのだ。面白がって、そのだるま目がけて投げている生徒も多くいたことも確かだった。 「分かった。昼休みに別の物でも作っておくからいいだろう。」 そう言うと、千代は頷いたので別れた。約束どおり昼休みになって、雪だるまを作るためグランドで雪球を転がしていた。すると千代が出てきて笑顔で言うんだ。 「芳夫、千代も一緒に作る。」 そして二人で雪だるまを作ったのだ。
十一月二十七日(土)
この前の祭日に降った雪もほとんど消えた。グランドの外れに雪が少し残っている程度だ。今日の土曜は当直だ。橋村分校主任は、他の先生方が帰ったのに残っていた。最初の校舎の見回りをしたが、三年生の男子生徒が残っているだけだった。 教務室に戻ると、分校主任が私を見て手招きをした。私が分校主任の前に行くと、机の上に一枚のガリ刷りをした紙が上がっていた。 「これ、西脇先生が作ったものですか。」 そう言って私を見上げた。 「はい、昨日の放課後、私がガリ刷りをしたものです。私と一緒に卒業した文芸部にいた人に送ったものです。何処にあったのですか。」 私は少し訝しげな声で尋ねた。 「いやね、謄写版の篭の脇に落ちていたと言って、女の先生が持ってきた。」 分校主任の言葉からすると、何か詮索するような語調ではなかった。 君も知っているだろう。私が小説や詩に興味を持っていること。文芸部の卒業生に、同人誌を作ろうとの呼びかけの文書なのだ。分校主任は、暫くそれを見ていた。 「西脇先生は、随分勇気があるね。」 そう言った後に、分校主任は 「私も文学小説に興味を持っていた時期があってね。大学のサークルで同人誌の主宰をしたのだ。だが、大学を卒業したら、尤もらしい理由をつけて一人減り、二人減り、結局私一人になってしまった。その後一人で小説を書き続けたが、それも止めてしまった。」 分校主任は、そう言って天井見上げた。何か寂しそうな姿だった。そして顔を降ろして、私を見つめた。 「大学で誘った者達は、興味本位で、創作に対しての真剣味がなかったのだ。君の誘いには、多くの人を期待しない方が良い。一人でも、真剣に取り組む人を取り込むことが大事だ。」 分校主任は、ガリ刷りの紙を渡しながら言った。 「成功を祈っているよ。」 そう言うと、帽子をかぶり、右手を振って教務室から出て行った。私に言うため、残っていたのだと思った。教務室から出て行く後ろ姿が、いかにも寂しく見えたのだ。
十二月四日(土)
思春期の中学校三年の女生徒の思いもよらない態度に驚かされた。どう考えたら良いのか、私には分からない。 今日は土曜日で授業は午前で終わった。学期末テスト準備のため残業をした。午後三時近くなっていたが、空は晴れて日差しもあり、手持ちのノートや鉛筆、ボールペンなどが手薄になったことから、本校のある竹沢集落まで買いに行こうと思い、あの手彫りのトンネルに向かって歩いて行ったのだ。トンネルに近くになって谷の向こう側、大久保集落からトンネルに向かう道を二人連れが歩いているのが見えたのだ。 その二人は、トンネルの手前で立ち止まり、私の方を見つめているのだ。セーラ服とズボン姿の女子中学生と父親らしい二人だと分かった。手を振っている中学生は、三年生の則子だった。挨拶を交わして、私は父親と並んで話ながらトンネルを歩いたのだ。則子は私の直ぐ後ろを歩いていた。父親は言った。 「このトンネルは狭くて暗い。女の子の一人歩きはさせられないのです。昔、とんでもない間違いがあったのです。」 そう言った後、父親は養鯉業組合の会合があって、桂谷の始発バスで行かなければならない。則子は、桂谷の外れにある床屋に行くことになっている。則子は床屋が終わってから村の公民館で父親と待ち合わせ、それからトンネルを通って帰ることになっている。ただ、父親が戻るのには相当な時間がかかるということだった。 「ところで先生は、どちらへ行かれますか。」 と父親が尋ねるので、竹沢まで文房具を買いに行くと答えた。 「お父さん、丁度いいわ。私、先生と一緒に帰る。」 話を聞いていた則子が、後ろから言うのが聞こえた。 「そうだな、先生頼めますか。」 父親の頼みに、私は引き受けたと答えたのだ。桂谷から竹沢まで歩くと三十分足らず、床屋は小一時間ほどかかるので、丁度いいと父親は言っていた。 始発バスは間もなく出発し、私らの横を通って、下り道を土煙を上げて通り過ぎていった。道路沿いにある村外れの床屋は直ぐだった。どちらが先でも公民館で待っていると約束して、則子は床屋に入っていった。私は、竹沢の雑貨屋でノート、ボールペン、色鉛筆などを買って桂谷の村の公民館に向かった。公民館近くになると、則子が道路に出て手を振っているのが見えた。二人で並んで、木々に隠れるようにひっそりとしたトンネルに入った。裸電球が点々としてついていたが、暗いトンネルだった。期末テストの勉強具合などを話ながら歩いた。トンネルの中途を過ぎた頃になって、則子は急に話題を変えたのだった。 「西脇先生、二学期が終わると学校からいなくなるのでしょう。」 そう言われて、少し戸惑った。生徒と別れる話しをどう受け答えしてよいのか分からなかったからだった。私が黙っていると、則子はぽつんと言った。 「西脇先生がいなくなると寂しいわ。学校がつまらなくなるわ。」 私は、話題を変えなくてはと思った。 「このトンネルは、本当に暗いね。一人歩きは危ないよね。変な男に襲われたら大変だ。」 と言うと、急に則子は立ち止まった。 「則子は、西脇先生なら、抱かれても構わない。」 私は、首を振りながら一言答えた。 「そんな冗談は言うんじゃないよ。」 そう言うと私は歩き出した。則子は二、三歩後からついてきた。早くトンネルから出なければと思い少し速く歩いた。トンネルを出ると夕方の赤く染まった空が見えた。 「じゃ、気を付けて帰るんだよ。」 私は、則子と向かい合って言った。則子は、笑顔で言うのだった。 「先生、気を付けて帰るわ。だけど、私はもう恥ずかしくない。さっき私が言ったこと、冗談ではないわ。西脇先生の夢だって見ているんだから。」 そう言うと右手を小さく上げて振ると、くるっと向きを変えて大久保集落に向かって小走りに駆けていった。池谷集落に向かって歩いて行くと、谷の向こう側で手を振っている則子の姿が見えた。 私の脳裏には、則子の姿と言葉が離れなかった。そして寂しさが、サッと流れるのを感じたのだ。思春期の儚い思いを抱いて、当分の間則子は過ごすことだろう。私は、どの様に考えなければならないのか、さっぱり思いつかないのだ。君だったらどうする。良い考えがあったら教えてくれないか。
十二月六日(月)
今日の夕方になって、ガラスの小鉢で飼っていた錦鯉の稚魚を、近くの田圃に放してきた。稚魚は、一週間ほど前、一年生の級長年春が、ガラス瓶に五匹を私に持ってきてくれたものなのだ。大きくなっても売り物にならないものだが、よければ飼ってみたらどうかと言って持ってきてくれた。私は珍しさもあって、私の部屋の窓際に置いて、時々水を替えたりして飼っていたのだ。 それが今日、学校から帰ってみると二匹が腹を上にして浮いて死んでいた。何か病気でもあったのかと思い、死んでいた二匹を庭の空き地に埋めたのだ。ガラス鉢の水を替え、暫く稚魚を見ていた。やはり死んだ二匹の稚魚のことを考えていた。 突然思った。稚魚が死んだのは、病気ではないと思ったのだ。生きるための餌を与えなかったためだと。魚は水があれば生き続ける、そんな思いを持っていた私が、考えが足りなかったと思ったよ。小忠実に私が稚魚の世話ができるのだろうか。魚を育てる知識の持ち合わせもなく、村の人に聞く訳にもいかないと思ったのだ。 今後、どうすれば良いのかと考えた。以前、近くの田圃で、錦鯉の稚魚が泳いでいたのを見たことがあった。そこに帰すのが一番良いと思い、田圃に行って稚魚を放してきたのだ。知識もなく、生き物を漫然と受け取った私が愚かだったと思っている。
十二月十一日(土)
私がこの学校に来たときは、体育館の新築工事中だった。外見上の姿は出来上がっていた。でも工事をする人の姿は目立たなかった。大方ステージや内装工事をやっていたのだろう。完成の検査が終わったらしく昨日、体育館の竣工式が行われたのだ。集落から多くの人が集まり、体育館に長い座卓が並べられ御馳走が運び込まれた。 村長、教育長、本校の校長が挨拶をした。来賓として地元県会議員として長谷川県会議員が祝辞を述べたのだ。長谷川議員は、お前も知っているだろう。小学校の同級生の晴男君の父だ。 祝宴が始まって、私も少し酒を飲んでいたのだ。長谷川議員は集落の人に酒を注いで回っていた。私の近くになると時々私の顔をチラチラと見るのだ。そのうちに私の前に来ると、ドカッと胡座をかいて座り、私に酒を勧める。 「君、西脇君と違うのか。やっぱりそうだったのか。似ていると思ってな。」 そう言うとコップを取り寄せ、コップを私の前に出したのだ。私は、銚子を傾け酌をした。近くに座っている集落の人たちは、物珍しそうに私の方を見ている。 長谷川晴男君は、小学校を卒業して中学校は附属中学校に進み、それきりだったが、小学校のころはよく遊びに行っていたのだ。それで長谷川議員も覚えていたのだ。晴男君は、附属中学校、附属高校を卒業し、今は東京の私立大学に入っているということだ。 長谷川議員は、私が代用教員としての地域の感想を尋ねる。私は、地域が貧しいことが子供の教育の妨げとなっていると言ったのだ。また、新しいトンネルが開通すれば、この地域は大きく変わるだろうとも言ってやった。長谷川議員は、にこやかな顔を見せて頷いていたのだ。 そのうちに池谷集落の区長も私の前に座り、トンネルが開通すれば闘牛で人を呼ぶことができると言うのだ。私も、車が通るようになれば分校は本校に統合ができ、分校も要らなくなり、教育も変わるだろうと言ってやった。今考えると、新体育館が要らないようなことを言ってしまったとも思っている。
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