「山よりの便り」 その六

 

                           佐 藤 悟 郎

 

( その一 その二 その三 その四 その五 その六 )

 

 

十二月十四日(火)

 昨日の昼過ぎに本校の中澤校長が訪れた。橋村分校主任が応対していた。それが終わると校長は私の側に来て言うのだ。
「どうだ、代用教員を続けたければ、県の教育委員会に頼んでやる。代用教員でも、東京の玉川大学の通信教育を受けて卒業すれば、正教員として採用される。考えてみてくれ。」
そう言って、分校主任に玄関まで見送られて帰って行った。
 夕方になって、小学校の菊田先生が私の側に来て
「良ければ、これから私の家に来ないか。夕食を一緒に食べよう。」
と言ってきた。私は菊田先生の自宅は知らなかった。おそらく集落のどこか、とにかく近くに住んでいると思っていたのだ。
 私は菊田先生と一緒に学校を出た。菊田先生は池谷集落から離れ、トンネルの方に向かっていた。
「菊田先生、ご自宅はどちらですか。」
と尋ねると
「竹沢ですよ。」
と答えた。竹沢集落と言えば、トンネルを越えて、村役場のある桂谷の次の集落である。近辺では最も大きな集落で、小さな町を形成して商店も郵便局、銀行もあり、中学校の本校もあるところだった。
 トンネルを出て三十分ほど歩いて竹沢集落の菊田先生の自宅に着いた。菊田先生は電話で連絡しておいたのだろう、奥さんが丁寧な挨拶をして迎えてくれた。子供は、上は男、下は女の二人兄妹だった。兄は中学校三年生、妹は中学校一年生である。食事を済ませたのか、二人は私に挨拶をして居間から姿を消した。
「上の男は、来年高校受験だ。」
そう言い終わると、二人でビールを飲み始めた。学校の生徒のことや先生のことを話していたんだが、暫くして、
「今日、本校の中澤校長が来て、西脇先生に代用教員を続ける話をしたと思うのだ。どう思った。」
私は、菊田先生の本題は、このことだったのかと思った。
「ええ、そう悪い話しではないように思いました。」
何故そんなことを尋ねるのかと思った。菊田先生は、私に言った。
「西脇先生、それは良くない話です。先ず、大学を出てから先生になることです。私も代用教員をやっていました。大学の通信教育を受け卒業して正教員となったのですよ。」
私は少し驚き、菊田先生の顔を見ました。
「当時は、大学を出るというのは大変でしてね。給料を得ながら正教員になれるという道を選んだのです。」
「代用教員としてやっていた当初は、若いということで生徒は条件なしに、私についてきたのです。正教員資格を取得すると翌年は異動で、また山の中の小学校に転勤となったのです。」
「もう二十五歳は過ぎていました。生徒の受け方はまるで違いました。他人を見ているように振る舞うのです。」
「それに先生方の世界は、学閥と言いますか派閥と言いますか、それが意外と激しいのです。地元の師範、いや教育学部が大勢を占めており、会を作って教育界を席巻しているのです。」
「私も年齢を重ねたある時期には、困難であろうが大学を出てから教師になれば良かったと思ったほどです。生徒からも教師からも疎外されることは寂しいことです。」
「その後、私は子供達の心の中に飛び込もうと思いました。特に、山の子供を幸せに育てようと考えを変えましてね。先生方に対しては無構えで接しております。入ってくれば受け入れるのですが、何を気にしているのか、そんな先生は少ないですよね。」
「これは、あくまで私の思ったことです。校長の話を聞いて、是非言わなくてはと思ったんです。」
菊田先生は、要点を捉えて話してくれた。教員の、将来の姿を垣間見たように思った。菊田先生は、
「この話はこれくらいにしましょう。聞きたいことがあれば、いつでも伺います。今日は飲みましょう。」
そう言ってくれた。難しい話をお終いにして、本格的に酒を飲み始めた。昨日は、菊田先生宅で泊めてもらい、今朝菊田先生と一緒に学校に入った。少し頭が重く感じながら、それでも生徒一人ひとり見つめながら、授業を進めた。


十二月十八日(土)

 分校主任が言っている。
「来春卒業する生徒は、全て就職する。勉強なんかどうでもいいんだろう。」
私は、そんなことを度々聞いているものだから、生徒の意志を面と向かって聞けないのだ。三年女子家庭科の期末テストをしたんだ。蛍光灯の詳細な名称や原理など、少し理論的な問題を出したのだ。授業中に私の話を聞いていなければ解らない問題なのだよ。
 ところが綾子という子が満点だった。私としては驚きだった。それまでは綾子は、目立たない生徒で気付かなかったのだ。先生たちに尋ねてみると、
「あの子は静かで目立たないが、頭が非常に良い子だ。本校、いや町の子供達に比べても、少しも見劣りのしない優秀な子だよ。」
分校主任は、それに付け加えた。
「綾子は、名古屋の紡績工場に行くことが決まっている。少し勿体ないが、仕方がないな。」
私は、それを聞いて、やはり貧しさが原因なのだと思ったよ。能力に応じて学問ができるなんて、およそ縁のないことなのだと思ったよ。
 試験答案を返した後に、三年の女生徒に向かって言ったのだ。
「中学校を卒業しても、勉強は続けて欲しい。時には本を読み、物事を考えてほしい。そうすれば知識や人格が身に付き、豊になる。」
私は、綾子を見つめながら、お前に話しているのだという思いで話したのだ。綾子はそれを察していたのだろう、私を睨み返すように反抗的に見えたのだ。
「都会の会社に勤める人もいるだろう。学校に行きたければ定時制高校がある。更に勉強したければ、夜間大学だってある。夜間とは限らず二部制の大学だってある。勉強する意志があれば、門は開かれている。」
私が具体的に話すと、綾子は何度も頷きを見せ、顔から険しさが消えていくのが分かったのだ。
 次の三年女子の家庭科の授業は、三年女子家庭の最後の授業となっていた。期末テストも終わり、別に教えることもなかった。私は川端康成の「伊豆の踊子」を読んで聞かせた。思春期の女生徒たちは、私の方を見つめながら静かに聞き、終わりになると目が光っているのが見えたのだ。


十二月二十一日(火)

 私の代用教員生活も終わり近くになった。生徒と親近感が深まった頃である。最後となる作文を紹介する。優等生の作文ではない。目立たない生徒達の感情が心を揺さ振ってくる。ひらがなが多いので漢字を当てはめて書いた。

「私の村」一年 女子生徒

 私の村は、山奥と言ってよいほど山の中だ。その中で、この楢の木集落の人は住んでいる。
 何をするにも、こんな山の中は不便だ。この世の中に、まだ私達の村はバスが通らない。通るのは、小型三輪くらいのものだ。それだって集落の真ん中は通らない。ある一部のところしか通らない。町へ行くにしても桂谷まで歩いて行かなければならない。桂谷までは長い距離だ。歩いて約四十分くらいはかかる。学校に行くにも坂道を歩いて行かなければならない。雨の降る日などは、学校に行くにも大変だ。
 雪降る日などは、もっと大変だ。吹雪の時は、道が全然分からなくなる。小さい子供達は、その分からなくなった道を漕ぐように歩いていく。冷たそうな手足、それを見ると、こんな坂道がなければいいのにと思うときもある。
 だれでもが、もっと学校が近ければいいのにと思っている。雪が降れば、毎朝、道をつけなければならない。それに屋根の雪も掘らなければならない。
 この村が町だったらいいなあと私は思う。そうすれば、そんなに苦労するのはいらない。
 雪が沢山降れば、雪が消えるのも遅く消える。雪が遅く消えれば、田植えは遅くなる。私達の村でとれるのは米、米は高い値で売れるので、それでも良いが、その他の物はとれるけど余り売らない。
 冬は、仕事は余りないのだから、内職をほとんどの人がしている。少しでも仕事をすれば、お金が取れる。こうして私達の村は働いている。
 お正月やお盆が一番楽しい日だ。正月は、お餅をついて食べたり、煮もんというものをつくって食べる。正月は、兄さんや姉さんが家に帰ってくるので楽しい。花がるたや、色々な遊びをして過ごす。
 お盆は、みんなで遊んだりする。盆踊りもある。その時は、家族して盆踊りを見に行ったりする。盆、泊まりにくる人もいる。私達の村は、苦労するときもあれば、楽しく遊べる日もある。

「この村で一生を」二年 女子生徒

 私達は、この村で生まれ、この村で育った。今までには、数え切れない程の苦しみを経験した。だが、その反対に数え切れない程の喜びも経験した。
 いつも父や母と一緒に暮らしていけることも、一つの喜びだった。苦しみといえば、雪のボサボサ降る中で、冷たくなった手を息で温めながら学校に通ったこと、夏になれば、この村だって、そんな不便なところじゃない。不便な点は、バスがこの村まで来ないこと、そのくらいなものであろう。
「都会に比べて欠けている点がたくさんある。」
などと人は言う。だが、私の考えでは、そんなに沢山あるとは思われない。私の姉は、
「都会よりも生まれたところの方が思い出深い。だから、みんなが都会に行く必要はない。」
などと言っていました。私には、姉が言った言葉がよく感じとれた。
 今、姉は家にはいないが、私の一番尊敬しているのは、ただ一人の姉である。私も、姉の言葉を思い出しながら、この村で一生を過ごしたい。苦しいことにも、悲しいことにも負けず、私は一生を楽しく過ごしたい。

 詩「十二月」二年 女子生徒

 十二月…金の綿が空から舞い降りてくる月
 そして一年が終わり
 大晦日の晩も やはり十二月
 その翌日には 来年という輝かしい年があり
 除夜の鐘の音を聞きながら眠る
 日を数えて十二月 そして一年間という
 長くもあり短くもある

 最後の月の最後の日

 だから別れも十二月なのかしら
 さようなら

 私は、生徒達が愛らしくもあり、深い寂しさにも襲われた。「さよなら」の文字を見たとき、涙が流れてきたのだ。心の整理がつかないまま、この村を去るのかと思うと、人としての無力さを感じてやるせなくなる。


十二月二十三日(木)

 退任が間近になったのに、驚いたことがあった。初雪がふった後は、比較的温暖な気候となっていた。放課後になって、新体育館で遊ぶ生徒たちの声が聞こえていた。私は机の中の整理を始めていた。
 突然、教務室の戸が勢いよく開いたのだ。そして小走りの足音がした。私が音のする方を見ると、小学六年生の千代が、私の方に駆け寄ってくる。入口近くの先生は、開け放たれた戸を閉めた。千代に向かって椅子の向きを変えたところ、千代は両手で私の胸を小突いてきた。
「芳夫、先生を辞めるんだって。帰ってしまうんだって。もう来ないんだって。」
そう矢継ばやに言って、息をついたのだ。
「どうしてなんだ。もっといたら良いじゃないか。」
怒り顔をして、口を尖らせて言う。
「根津先生が戻ってくるんだ。」
「そんなこと知っている。芳夫がいても良いじゃないか。」
「千代、よく聞くんだよ。私はいつまでもお前の心の中にいるんだよ。お前が忘れなければ、いつでも会えるんだ。」
「そんなのいやだ。千代は、芳夫の姿が見たい、触りたい、話をしたい。」
私は、そう言っている千代の顔を見たのだ。千代は、目に涙を浮かべて泣いていたのだ。つい、私も目頭が熱くなってきた。
「分かった。千代、教務室から出よう。外を歩いてこよう。」
私は、そう言って千代を外に連れ出し、グラウンド脇のベンチに私は座った。千代は、私の前に立ったままだった。
「千代、できることと、できないことがあるんだ。」
「芳夫、千代だって、そんなことは知っている。でも、寂しいから言うんだ。」
「時には、寂しさや悲しみだって、人間には訪れるんだ。」
恐るおそる近寄ってきた中学三年の女生徒たち、そのうちの一人が千代の肩を叩くと、千代はその女生徒にしがみつき、顔を埋めて泣いていたのだ。私は、立ち上がってその女生徒に、
「千代を頼んだよ。教務室に戻らなくては。」
と言ったのだ。そうしたら千代は顔を女生徒に埋めながら、ひょこっと右手をだした。私は千代の手を握りしめ、そして離した。そして救われた気持ちを抱きながら、教務室に向かった。今、私の心に、言い知れない侘しさだけが流れているのだ。

 

 

 

 

 

「山よりの便り」

( その一 その二 その三 その四 その五 その六 )