リンク:TOPpage 新潟梧桐文庫集 新潟の風景 手記・雑記集



 

     「藤の花房」 その一

 

                         佐 藤 悟 郎

       

 ( その一 その二 その三 その四 その五 その六 その七 )

   

    

 秋の冴えた夕暮れには、西の山は薄紅の輝きを見せる。日吉神社の境内に立つと、川岸町の家並みの上に信濃川の流れが青黒く、時折、川波の煌めきが見える。川岸町と下町は町続きとなり、町の真ん中に小さな川が流れ、信濃川に注いでいる。川岸町と下町はまるで谷間となり、周囲は丘となっていた。日吉神社の向かいの丘には、本町の二荒神社の杜が見えた。天領地として縮織物で栄えた、この塚原町は、静かな町である。
 下町から、丘の住吉町に上がる坂がある。町の人々は、その坂の名前を脇にある料亭の名前をとって、「藤中の坂」と呼んでいた。崖を切り崩して造ったその坂は、周囲の欅の大木の枝で覆われ、石段で穴続きのようになっていた。

 大きな自然石の段が続く藤中の坂を、誠治は高下駄を履いて下りていた。誠治は、町の中学校の制帽を被り、小脇に教科書を包んだ風呂敷包みを抱えて、白袴に紺の羽織を風になびかせている。坂の左には三階の大きな料亭「藤中」の建物があり、坂と接して塀が巡らされ、その塀の中程に裏木戸があった。
 誠治は、その料亭の脇に差しかかった時、足を踏み外し尻餅をついてしまった。高下駄の鼻緒が切れ、懐から布切れを取り出し、石段に腰を下ろして鼻緒をすげた。鼻緒をすげ終わると、誠治はそっと料亭の二階の窓に目をやった。桃割れに結い上げた黒髪、大きな黒目勝の目をした娘の笑い顔が目に入った。藤の花の簪が頬のあたりまで垂れ、揺れていた。誠治は、窓の手摺に両手を置いて見ている娘と、時々、下校する際に顔を合わせていた。

 誠治は、娘を知っていた。名前は吾妻藤代といい、幼い頃よく遊んだ仲だった。父の都合で、遠く離れた新潟に住むようになり、音信も途絶えた。最近になって、新潟の地で父が病死し、誠治は母に連れられ、母の実家に転がり込んだのだった。もう年頃の娘になった藤代は、誠治のことなど忘れてしまったと思った。今更、名乗ったところで意味がないと思った。ただ、美しくなった娘を見た時、心騒ぐのだった。

 誠治の父篠田文治が、その優秀さから県の中枢機関に呼ばれ、県都に引っ越しとなった。そして誠治は成長し、県都の小学校、中学校へと進んだ。誠治が、中学校五年となろうとする三月に、父文治が病で倒れ、急死してしまった。
 誠治は、母妙と二人で、塚原町の母方の家に戻り、篠田から関口姓に変わった。塚原町を出て、十一年が過ぎていた。関口の家には、祖父母が健在であり、相当な資産家でもあった。誠治は、塚原中学校四年に編入し、四月を迎えて五年生となった。数年前から、高校の入学試験は、秋から春へと変更されていた。誠治の年齢は、十七歳になっていた。

 誠治は、藤代が誠治を「マコ」と呼んでいたのを覚えていた。藤代は、一歳年下だった。藤代と誠治は、幼い頃、仲が良く、一緒に遊ぶことが多かった。誠治の父文治が、地元の役人で料亭「藤中」を多く使っていた。料亭「藤中」は忙しく、子供の面倒を見る暇もなかった。そんな時、誠治の家では、藤代と藤代の兄の和助を時々家に呼んで面倒を見ていた。
 幼い頃の思い出をたどり、誠治は藤中の坂を通って通学していた。時々、二階から顔を出す娘を見て、藤代ではないかと思った。ただ、声を掛けるだけの勇気はなかった。

 藤代は、春の晴れた日に日吉神社にお参りに行った。鳥居を潜ると、お参りをしている少年の姿を見た。脇に寄って、その少年がお参りを済ますのを待った。少年は、お参りを済ますと向きを変え、藤代に気付いたのか、一礼をして藤代の前を通り過ぎた。藤代は、軽く礼を返して少年を見送った。藤代は、その少年が藤中の坂を通る中学生だと気付いた。藤代は、日吉神社の社殿の前で、懐の上に両手を合わせてから、社殿に向かい手を合わせた。
 懐には、日吉神社のお守りがあった。幼いとき、「マコ」と二人でお参りしたのを思い出していた。
「仲が良い子だね。お守りを上げよう。何時までも仲が良いようにね。」
そう言って、年老いた神主が、二人にお守りをくれたのだった。日吉神社からの帰りに藤代は、貰ったお守りを
「お守り、交換しましょう。そうすれば、お互い、いつも一緒にいられる。」
と言って、交換したのだった。それ以来、藤代は、お守りを懐に大切にしていたのだった。別れたけれど、何時の日か一緒に歩き、語り合うのを楽しみにしていた。

 藤代は、高等女学校に通っていたが、春になって学校に行かなくなった。
「料理屋の娘が、勉強なんかして、何様の気になっているのかしら。」
そんな陰口を耳にしていた。中には、
「客商売なんだろう。お客と、何をしているか分かりゃしない。」
など、聞くに堪えない陰口さえ聞こえた。勉強をして、優秀になればなる程、陰口が激しくなるのだった。自分の将来を考えると、はっきりとした目的もなかった。女学校へ行くのが苦痛となった。

 

( その一 その二 その三 その四 その五 その六 その七 )