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   「谷卯木の花」【その二】

                             佐 藤 悟 郎

 

 【その一】  【その二】  【その三】  【その四】


 夏休みも近くなった日の学校で、忠明は音楽の授業を受けていた。授業が終わると、忠明は宮崎先生に残るように言われたのです。
「高野君、涼子の相手をしてくれて、有り難う。残って頂いたのは、高野君のピアノを聞きたいの。弾いてくれる。」
宮崎先生は、そう言ってピアノの蓋を開け、ショパンの幻想即興曲の楽譜を掲げました。忠明はピアノの前に座ると、静かに弾き始めたのです。宮崎先生は、忠明の後ろに立って頷きながら聞いていました。演奏が終わると、宮崎先生は笑顔で拍手を送ったのです。
「上手だって涼子が言っていたけど、本当に素晴らしいわ。」
忠明は、宮崎先生の言葉に、頭を掻いて恥ずかしさを見せました。
「どう、音楽部に入ったら。ピアノを弾けるわ。」
「音楽をやれるほど、私の家は豊かではないのです。」
宮崎先生は、暫く忠明を見つめました。落ち着いた、優しそうな瞳に曇りはなかったのです。
「高野君、苦労しているのね。今日、残って頂いたのは、本当はお礼が言いたかったの。」
そう言うと、忠明に向かって深いお辞儀をしました。
「涼子を助けて貰って、本当に有り難うございました。涼子から話を聞きました。」
宮崎先生が頭を上げると、忠明の明るく微笑んでいる顔が見えたのです。
「先生にお礼を言われる程のことではないのです。谷卯木の花を取る手伝いをしただけです。」
そう言って、忠明は一礼をすると音楽室から出て行きました。

 宮崎先生は、涼子が自らピアノの前に座り、真剣に練習する姿に喜びを感じました。それまでは母を喜ばせたい気持ちでピアノを弾いていたのだと思っておりました。宮崎先生も、涼子にはピアノに親しんでもらい、自分と同じように学校の音楽教師になることを期待していたのです。自ら真剣に練習をする涼子は、見違えるように上達していくのが分かりました。宮崎先生は、若い頃の自分より深く、美しく弾いている涼子の姿を見て
「涼子、随分上手になったわね。将来も、ずーとピアノを弾きたいの。」
と尋ねたのです。涼子は、輝いた瞳を母に向けました。
「お母さん、涼子はピアニストになりたい。どれほどの才能があるか分からないけれど、努力するわ。」
と答えました。宮崎先生は、とても嬉しく思い、何度も頷きを見せました。
「じゃ、ピアニストになれるように頑張りましょうね。」
そう言って夕食の支度を始めるため、台所へ行きました。

 宮崎先生は、一流のピアニストになるためには、本人の努力が必要であるのは勿論、良い環境、取り分けよい指導者が必要だと思いました。若い頃の自分を思い出し、心当たりがあると思ったのです。

 宮崎先生は、若い頃ピアニストを目指して東京の桐葉女子学園という音楽教育に優れた高校に入り、毎日激しい練習をしていたのです。その学園には、全国から音楽に優れた生徒が多く集まっておりました。田舎から入学した自分が、如何に劣っているかを知り、人一倍練習を重ねたのです。
 学園の生徒として、ピアニストとして世に出た生徒がおりました。名前は藤原小夜子という生徒でした。宮崎先生も一緒にピアノを弾き、一時期親しくなりましたが、彼女は有名となって忙しくなったことから疎遠となったのです。

 宮崎先生は、一流のピアニストへの夢を諦め、故郷に帰って地元の大学の教育学部音楽科に入学したのです。大学を卒業して中学校の音楽教師となりました。三十歳も過ぎた頃、ある出会いから高校で国文専攻の教師と結婚したのです。女の子二人を設けたのですが、夫が病死し、長女も若くして死んでしまいました。次女の涼子と二人暮らしとなったのです。涼子がピアニストになることを期待していたのですが、無理に勧める言葉を口にしませんでした。
「お母さんのために、ピアノを上手になるわ。」
幼い頃、そう涼子が言った言葉を喜びましたが、自らの意志でないことに不安を感じていたのです。その時は、ピアニストの道から外れていると思っていました。今では、涼子自らの目的となっているのを感じ、涼子の将来に夢を託すことにしたのです。

 宮崎先生は、桐葉女子学園で同期生の藤原小夜子を思いました。藤原は学園卒業後、ドイツに長期留学し、良い指導者の指導を受け、西洋での有名なピアノコンクールで入賞したのです。一流のピアニストとしてヨーロッパで演奏しておりました。ところが疲労があったのか肺結核を患い、帰国して長く療養生活を送ったのです。病気から回復した後、国内での演奏活動を始めましたが、無理をすることはありませんでした。演奏というより、後進の指導に力を入れるようになったのです。主に、母校の桐葉女子学園で指導し、時には芸術大学に赴き指導に当たっていました。

 宮崎先生は、藤原小夜子に涼子の指導してもらいたいと思いました。桐葉女子学園では指導を受けることができる、涼子には桐葉女子学園に入学する技量が備わっていると確信していました。
「東京の桐葉女子学園でピアノの勉強したら。お母さんも、そこで勉強していたのよ。」
夏も終わりに近い頃、宮崎先生は涼子に言ったのです。
「本当、桐葉女子学園で勉強しても良いの。藤原先生がいるわ。一生懸命に勉強するわ。」
と、涼子は嬉しそうに答えました。その答えを聞いて、宮崎先生は涼子を桐葉女子学園に進学させる準備を進めました。

 忠明は、中学校の授業が終わると音楽室に向かいました。音楽部に入部して宮崎先生の指導の下で、合唱曲などを歌っていたのです。自分がやりたいのは歌ではなく、ピアノだったのです。ピアノが空くのは歌の練習が終わってからでした。ピアノが空くと三年生が独占してしまい、忠明が弾くことができるのは校内に人影もなく、暗い時間帯になりました。それも運が良いときに限ってのことでした。
 宮崎先生も合唱の練習が終わると、学校から姿を消しました。その後は、音楽部の部長に運営が任されていたのです。忠明は、結局音楽部を辞め、自宅で音の出ない自作の鍵盤に向かって練習をしていたのです。

 天候の良い日になると忠明は、時々宮崎先生の家の庭のベンチに腰掛け、涼子の奏でるピアノ曲を聴いておりました。
「最近、とても綺麗で、美しい音になっている。格段に上手くなっている。」
忠明は、そう思いながら聴いていたのです。
「おそらく、ピアノの専門学校に行くのだろう。」
とも思いました。ある日、庭で腰掛けている忠明の前に宮崎先生が姿を見せました。
「忠明君、貴方だけに言っておきます。涼子は、東京の桐葉女子学園で音楽の勉強をさせることにしました。試験も難しいの。できるだけ多く練習がしたいと涼子も言っているの。だから貴方にピアノを弾かせることができないの。ご免ね。」
宮崎先生は、そう言って済まなそうに頭を下げたのです。
「先生、私は聴くだけで良いんです。涼子さん、すっかり見違えるほどに上達したと思います。東京の学校も大丈夫ですね。」
忠明が答えると、宮崎先生は嬉しそうに微笑みました。忠明は、更に言いました。
「私、聴くだけでいいんです。時々ここに来てもいいですか。」
宮崎先生は、頷いて微笑みながら
「ええ、良いですとも。でも、特別お構いしなくってよ。」
そう答えました。

 秋の冷たい風が吹き始めると、庭のベンチに腰掛けている忠明の前に、涼子が姿を見せました。
「家の中に入って、私のピアノを聴いてくださる。」
そう言って忠明の手を握り、家の中に入れました。ピアノのある庭に面した広間のテーブルの椅子に二人は腰掛けました。涼子は忠明を見つめて言いました。
「これから寒くなります。私がピアノを弾いている時、いつでも良いですわ。玄関から黙って入ってきてね。鍵は開けておきますから。でも、私も母も、何もお構いしなくてよ。」
そう言ってくれる涼子の顔を忠明は見つめました。明るく健康そうに、しかも美しい少女だと思いました。雪が積もると回数は減りましたが、それでも忠明は宮崎先生の家を訪れました。

 二月の中頃になると桐葉女子学園の試験のため、宮崎先生と涼子は東京へ出向き、翌日帰ってきました。三月になって桐葉女子学園から、涼子の合格通知を受け取りました。忠明は、涼子が東京の高校に合格したことは知りませんでした。涼子は試験から帰ってくると、いつもの通りピアノの練習を続けました。姿を見せた忠明に、涼子は練習の合間にテーブルの椅子に腰掛けました。
「私東京の学校に行くことになったわ。忠明君も、頑張ってね。」
涼子は、忠明に向かって言いました。忠明は、
「本当に、おめでとう。涼子さんなら、一流のピアニストになれるよ。」
と言ったのです。忠明は、今の涼子の技量からすれば、本当に一流のピアニストになれると思ったのです。

 涼子は中学校の卒業式が終わると、早々と東京に向かうことになったのです。桐葉女子学園の入学準備があるからでした。東京の母の親戚の家に住み込んで通学するとのことでした。
「涼子さん、元気で勉強してください。頑張って一流のピアニストになってください。期待しています。」
忠明は、宮崎先生の家の前で宮崎先生と涼子を見送りました。涼子は、微笑んで頷きを見せ、手を忠明の前に伸ばしたのです。
「これ、家の合い鍵です。好きな時に家のピアノを使ってください。」
忠明は、鍵を受け取って良いのか躊躇っていました。それを見て涼子の母が言いました。
「高野君、いいのよ、鍵を受け取ってね。」
忠明は、おずおずと右手を出して掌を広げました。涼子は、左の掌を忠明の掌の下にあてがい、右手に握っていた鍵を、掌を合わせるように載せると、両手で強く忠明の手を握ったのです。柔らかな甘い感触を忠明は感じました。涼子とその母は、待たせていたタクシーに乗り込み、忠明は走り去っていくタクシーに向かい、右手を振って見送っていました。

【その三】

 涼子が東京に行ってしまうと、忠明は宮崎先生の家に行く勇気がなくなったのです。忠明は、涼子から預かった宮崎先生の家の鍵を、時々見つめていました。ピアノが弾きたいと思いましたが、ピアノの楽譜が満足になかったのです。また、宮崎先生の留守中に、その家に入ることはできないと思いました。休日であれば、宮崎先生も家にいるだろうと思いました。

 春も過ぎ、梅雨の頃の休日になったのです。忠明は家を出て、足は宮崎先生の家に向かっていました。忠明の耳にピアノの音が聞こえてきました。芭蕉布の伴奏曲だったのです。それが終わると早春賦が流れてきました。忠明は、物音がしないように気を付けて宮崎先生の家の庭に忍び入り、ベンチに腰を下ろしました。庭の外れの崖際には、谷卯木の花が咲いていました。その遠くに越後の山並みが空に浮かび雲が流れていたのです。

 庭に入ってピアノに向かっている宮崎先生の姿が見えました。唱歌の伴奏が終わったのでしょう、トロイメライ、それに続きヴェートベンのトルコ行進曲が聞こえました。忠明は目を閉じ、ピアノの音に合わせるように、両腕を前に広げてピアノの鍵盤に手を滑らせるように腕と指を動かしていました。すると曲の途中でピアノの音が止みました。忠明は、目を開けて広間のテラスの方を見ますと、宮崎先生が広間の戸を開けようとするのが見えました。忠明は、立ち上がって宮崎先生にお辞儀をしたのです。宮崎先生はテラスに出ると、笑顔を見せて言いました。
「忠明君、そんなところにいないで、中に入りなさい。ピアノを弾いてちょうだい。先生も聴きたいわ。」
そう言って手招きをしたのです。

 忠明は、テラスから広間に入り、嬉しそうにピアノの前に腰を下ろしました。ピアノの譜面台には、使い古した「トルコ行進曲」の譜面がありました。ピアノの上には、他にも多くの譜面が載っているのが見えました。忠明は、暫く譜面を見つめた後、鍵盤の上で指を走らせました。奏でるというより、叩くという風で音が割れることさえありました。一度弾き終わると、直ぐに二度目を弾き始めました。幾らか音も滑らかになったのです。三度、四度と弾き直し、それらしい曲となったのです。
「若いって素晴らしい。格段に上手くなっていくわ。」
宮崎先生は、忠明に言いました。ただ内心では、叩くような音を徹底的に矯正しなければならないと思ったのです。忠明が、家では鍵盤のない板を指で打ち、口で音を出して練習していた癖が出ているのだと思いました。それを矯正するには、ピアノを実際に多く触れての練習が必要だと思ったのです。
「忠明君、涼子から私の家の鍵を預かっているわよね。私がいない時でも良いのよ。家に入ってピアノの練習をしても良いのよ。」
宮崎先生は、忠明の練習の合間に言いました。忠明は、傍に立っている宮崎先生の顔を見上げました。
「先生、ありがとうございます。でも、僕は楽譜を少ししか持っていないのです。」
忠明は、そう言って鍵盤に目を落としたのです。宮崎先生は、明るく言いました。
「楽譜なら、いっぱいあるわよ。私が若い頃使った楽譜よ。古いけれど、いっぱい出して置くからね。足りなければ言ってね。どこかで都合してくるから。」
宮崎先生は、練習を再開した忠明の後ろ姿を見つめて思ったのです。
「この子は、涼子の命を救ってくれた。私は、忘れないわ。この子は音楽の才能がある。できるだけの援助をしなければならない。」
そう思うと、忠明の姿が尊く、眩しくさえ見えてくるのでした。

 その日から、忠明は毎日のように宮崎先生の家に通うようになったのです。忠明は、腕や指の動きがピアノに適していないことを知っていました。とにかくピアノを多く弾いて、鍵盤の感触を早く掴まなければならないと思っていました。
 そんな忠明でしたが、とにかく家が貧しかったのです。忠明の家族は、母と兄との三人暮らしでした。兄とは十歳も年が離れておりました。兄は貧しいながらも高校を卒業し、市の職員として働いておりました。兄は、学業に優れていたのですが、母子家庭の貧しい家で高校を卒業すると、直ぐ働くことになったのです。市の職員と言っても、まだ年も若く給料は幾らもなかったのです。母は和裁の仕立てをしており、収入も多くありませんでした。兄は職場での仕事が忙しく、夜遅くまで残業し、朝早く仕事に出かけていきました。それでも母は、食事だけは用意し、朝食は早く、夕食は遅い時間でした。忠明に対しては、母や兄も手が届かず、音楽に夢中になっている子くらいにしか思っておりませんでした。忠明が、そこそこ勉強に優れていることは知っておりましたが、野放し状態になっていたことは確かでした。

 宮崎先生は、忠明の家庭状況や学校の成績が優れていることを、担任の先生から聞いて知っておりました。忠明が、時々ピアノの練習に疲れると、広間にある書棚を見つめる姿に宮崎先生は気付きました。
「書棚の本、気に入ったのがあれば、読んでも良いのよ。私の夫が国語の先生でね、読書が好きだったのよ。家に持って行っても良いのよ。」
と言いました。前に立って
「私、詩が好きなんです。」
そう言って、リルケの詩集を取り出し
「これ、暫く借ります。いつ返せるか分かりませんが。」
宮崎先生は、大きく頷きを見せました。普通の子であれば、読んでしまえば終わりだろうと思いましたが、忠明には深く読む力があると思いました。

 また、秋も深まる頃でした。宮崎先生は、学校での昼休み時間に、大切にしていた財布を家の広間のテーブルの上に置き忘れてきたのに気付いたのです。学校の授業が終われば、忠明がピアノ練習のため、家の広間に行くことになる。そうすれば財布が目につくはずと思いました。
「大丈夫かしら。お金が入っている。」
宮崎先生は心配したのです。それが忠明の過ちを惹き起こしやしないかと思ったのです。午後五時になると、宮崎先生は学校から家に急いで帰りました。家に近づくとピアノの音が聞こえてきました。家の中に入って広間に入ると、忠明は熱心にピアノを弾いていました。テーブルの上には、置いた時と同じ状態で財布がありました。ピアノを弾き続ける忠明の後ろで、宮崎先生は財布を取り上げ中身を調べましたが、別に変わったところはなかったのです。
「それにしても、この子はピアノ以外に、何も興味がないのかしら。」
と思うと、一層忠明を愛らしく思ったのです。夕食時になると、忠明は練習を切り上げて家に帰りました。

 忠明は、宮崎先生の家でピアノの練習を続けました。宮崎先生は、忠明から意見を求められなければ、ただ黙って聞いているだけでした。宮崎先生は、忠明が自分の足りないところを知る力を持っていることを知っていたのです。新しい曲に挑む姿、暗譜する早さ、その態度に宮崎先生は微笑むだけでした。

 そんな日が毎日続き、忠明はその町の高校に進みました。彼がピアノに熱中していることは、殆どといってよいほど、誰も知らなかったのです。家に帰ると学業にも励んでいたのです。涼子も高校二年生に進級することができました。夏も近くなった少し暑い日に、涼子は東京から帰って来ました。東京に出て、初めての帰省だったのです。家に近くなると、家の方からピアノの音が聞こえてきたのです。それも聞いたこともない激しい曲でした。
「忠明君が弾いているのだわ。この時間、母はいないはず。」
そう思いながら、涼子は家の前に立ちました。
「面倒な旋律を弾いているわ。それも繰り返して。」
涼子は、庭に入りテラスへと行きました。窓から覗くと、忠明がピアノを弾いているのが見えました。繰り返し同じ旋律を、回を増すごとに激しく弾いているのです。鍵盤を叩き付けるように弾いている姿でした。涼子は、練習が終わるのを椅子に腰掛けて待っていました。練習の途中で、ピアノの音が止んだのです。忠明は、涼子の姿に気づきました。涼子が、ピアノの前まで行くと、ピアノの譜面台に手書きの譜面が置いてあるのに気付きました。
「練習のための譜面です。古い曲の難しい箇所を抜き出し、練習のためにアレンジしたものです。」
そのアレンジ曲は、あたかも独立した曲に聞こえたのです。

 間もなく宮崎先生が帰ってきました。三人でテーブルを囲んで、涼子が買ってきたお土産のケーキを、紅茶を飲みながら食べていました。宮崎先生は、涼子に尋ねたのです。
「どう、練習はうまくいっているの。体の調子、悪いところないの。」
涼子は、笑顔を見せ、頷きながら答えました。
「体は大丈夫よ。練習は、辛いこともあるけど楽しくやっている。藤原先生の薦めもあって、いよいよ日本音楽コンクールに出ることになったわ。」
そう言っている涼子は、明るく希望に溢れていると忠明は思いました。

 涼子が帰省している間も、忠明は毎日のように宮崎先生の家に行きました。日本音楽コンクールという目標を持った涼子は、家でのピアノの練習を欠かしませんでした。忠明は、テーブルの椅子に腰を下ろし、目を閉じて聴いておりました。軽やかに音が流れてくる。強弱も快く耳に入ってくる。格段に技術が上達しているのを忠明は感じたのです。

 涼子は三年生になると、日本音楽コンクールに出場し、入賞を果たしたのです。一位ではなかったのですが、入賞者は全て僅差だったとのことでした。二日ほど経って校舎の前庭で、涼子は藤原先生に呼び止められました。
「宮崎さん、入賞おめでとう。もっと勉強するためにドイツへ行くことを考えてみない。良い先生を紹介するわ。」
藤原先生は涼子に言ったのです。藤原先生が留学を勧めることは滅多にないことでした。
「是非、私も行きたいと思っております。よろしくお願いします。近いうちに母と相談してきます。」
涼子は、そう答えました。すると藤原先生は
「宮崎さんには、もっと勉強してもらいたい。私、期待しているのです。お母さんとも、是非お目にかかってお話をしたいと思っています。」
と言うのでした。藤原先生が忙しいことを知っておりました。
「先生、いつ頃であれば、ご都合がつきますか。」
涼子が尋ねると、
「土曜日の午前中であれば、必ずこの学園におります。」
と答えたのです。涼子は、話は早い方が良いと思ったのです。
「先生、来週の土曜日、母を連れてきます。」
涼子が言うと、藤原先生は頷きました。
「でも、お母さんの都合が悪かったら、教えてくださいね。」
そう藤原先生は約束をして、校門の方へと歩いて行きました。


 

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